第3話「名前を呼ばれなかった日」
夏の暑さがじわじわと校舎に染み込み、吹奏楽部の練習は日に日に熱を帯びていた。
全国大会へ向けての選抜メンバーが発表される日、部室の空気は張り詰めていた。
私は緊張で手が汗ばんでいた。
去年の成功もあり、今年もソロパートを狙っていた。自信はあった。
しかし、名前が読み上げられる度に、胸が締めつけられていく。
「クラリネットのソロパートは、結城蒼真さんに決定しました。」
その声が響いた瞬間、私の心は凍りついた。
周囲の部員たちの祝福の声が遠く聞こえる。
でも、私はその声に答えられず、ただ静かに目を閉じた。
「なぜ、私じゃないの?」
心の中で何度も問いかけた。
後日、蒼真は私のところに来て、こう言った。
「先輩の音は素敵だけど、今は僕の声を聴いてほしいんです。」
その言葉は優しく、でもどこか鋭く胸に刺さった。
私は自分の音を探す旅の始まりを、痛感していた。
ソロパートを奪われたことは、正直悔しかった。
でも、それ以上に胸に刺さったのは、蒼真の言葉だった。
「先輩の音は素敵だけど、今は僕の声を聴いてほしい」
その言葉はまるで、私に「今のままじゃ足りない」と告げているようだった。
その日から、私は自分の奏でる音を見つめ直す時間を増やした。
毎日の練習で、ただ音を出すだけでなく、一音一音に意味を込めることを意識するようになった。
部活の帰り道、夜空を見上げながら思った。
「私の音は何だろう? ただ綺麗なだけじゃ足りないのかもしれない」
自問自答を繰り返す中で、ふと、姉の梨乃茅のことを思い出した。
彼女はいつも自分の音に誇りを持ち、そしてそれを武器にして輝いていた。
でも、彼女は私の姉であることを、学校では誰も知らない。
姉の存在は秘密のまま、私は一人、音の道を探し続けるのだ。
その夜、眠れずに吹奏楽部の部室を訪れた。
そこには蒼真が残っていて、またクラリネットを吹いていた。
「先輩、聴いてください」
彼の音が、私の心の壁を少しずつ溶かしていった。
そう、私の新しい旋律は、まだ始まったばかりだったのだ。
翌日の練習で、私は新たな決意を胸に臨んだ。
蒼真の音に触発され、自分の音をもっと深く、もっと強く表現したい。
競争や順位ではなく、自分自身の心に響く音を。
部長の相川遼が私に言った。
「梨奈、君はもう十分に強い。だけど、強さは音の大きさじゃない。心に届くかどうかだ」
その言葉に背中を押され、私は静かにうなずいた。
「私、自分の音を探す。絶対に見つけるんだ」
桜の花びらが風に舞う中、私は新しい一歩を踏み出した。
音楽は、私の人生そのもの。
これからも揺れる心と共に、奏で続けていく――。