怪しすぎる不動産屋
その日の坂口不動産は、いつもよりひどく賑やかだった。
「お客さまもたいがい贅沢おっしゃいますね。このへんで家賃三万以下とか、いまどき学生アパートでもそんなんありませんよ」
四葉テツヤはそれを聞いて、目の前の不動産屋にすがった。
【坂口不動産 代表取締役 坂口ソウイチ】手の中の名刺にはそう書いてある。
若いながらも代表取締役で、しかもなかなかにひらけているこの街で不動産屋をやっているということは、経験が豊富でやり手なのだとテツヤはみていた。
「そこをなんとか、お願いしたいんですよ。百歩譲ってちょっきり三万でもいいんですけど」
「しかも部屋の条件が2LDKでしょ。その上熱帯魚とカブトムシの飼える部屋。新婚さんでしたっけ? 最初から身の丈わきまえない豪邸はやめたほうがいいと思うな」
部屋を探しに来てそこまで言われるとはテツヤもさすがに思っていない。ただもうとにかく安い部屋を探せと彼女から厳命されて、もう一週間経っていた。
「……いや結婚はまだなんですが」
「じゃなおさらじゃないですか。もし破局にでもなったら部屋無駄になるでしょ」
「そういうこと言うのやめてくれます?」
必死なテツヤに不動産屋――ソウイチはため息をついた。不動産屋をはじめて何年にもなるが、こんな無茶を言う客はなかなかいない。
まいったな、とつぶやいたそのとき、彼の眼のわきをかすめる人影があった。無論それがテツヤでないことは、ソウイチにはすぐにわかった。
「……!」
洒落た和柄の着物が可愛いその人影――それは少女だった――は、ソウイチににっこり笑いかけていた。顔を上げて少女のほうを見る。
だがテツヤには壁しか見えず、「もしもーし?」とソウイチを揺すった。
ソウイチは彼女の笑顔の意味するところを察し、思いついたようにテツヤに言う。
「……安ければ安いだけいいって、おっしゃいましたよね?」
「え? ええ、まあ」
ソウイチは戸棚からファイルを出すと、ぺらぺらとテツヤの目の前でめくった。
「2LDK一万五千円のマンションがありますが、いかがです? ペットも飼えますし規則は比較的ゆるいですよ」
「い、一万五千円!? なっ……なんでそんなに安いんですか……」
トンデモな安さのあまり、テツヤはいわゆる事故物件を懸念した。幽霊でも出るのかとあらためて聞いてみたが、ソウイチは笑って言った。
「出る? まさか。出ませんよそんなもん。――角部屋なんです。ええと、いま空いているのは、四階」
「四階!!」
テツヤは白目をむいておののいた。
「考えすぎです。なんでそんな不吉な方向に持っていこうとするのかなあ。一階から五階まで、ぜんぶ角部屋はこのお値段なんですよ」
「ほかの部屋は?」
「四万五千円です」
いくらなんでも開きがありすぎだ、と、テツヤは抗議してみせた。角部屋に何かいわく因縁でもあるマンションなのではないだろうか。
そんな心の声を聞いたか聞かずか、ソウイチは説明する。
「ここね、自治会費が高いんです。月三万円。角部屋の住民は強制的に自治会役員になるから、自治会費免除でお安く借りられるんですよ」
ああそういうことね、と、テツヤは納得した。自治会費が三万円もするというのは突飛すぎる値段設定のようにも思えたが、一万五千円は破格だ。しかし、
「強制的に……役員に? それはそれでめんどくさいなあ。ご近所づきあいとか、あんまり好きじゃないんですよね」
大変いまどきの若者らしい。本音を言うなら引っ越しの挨拶すらめんどくさいと思っているのだ、彼は。
「じゃ四万五千円の部屋にします?」
「……ほかに安い部屋は?」
「ありません」
なんともあっけらかんと言ってのけたソウイチに、テツヤは身体ごとすがりついて懇願した。
「勘弁してくださいよ、街じゅうの不動産屋回ってここが最後なんですよ! 安い部屋探さないと俺ホントに彼女に捨てられる!!」
「……彼女さんはなんで一緒に来ないんですか?」
「……先週から三週間の海外出張で……」
「ほほう、その間に部屋を探せと。……そうですねえ、一週間お試ししてみるのはどうですか」
お試し? ソウイチはなんとも不思議なことを言い出した。ウィークリーじゃあるまいし、マンションの一室を試しに一週間借りてみろというサービスはなかなか聞いたことがない。
「一週間、一万五千円のお部屋に住んでみてください。住んでみてどうしても嫌だったら、二万円のお部屋を融通しますよ」
それを聞いてテツヤは食いついた。
「二万円! あるんじゃないですか安い部屋!」
「ただし三畳一間キッチントイレ共同です」
テツヤは無言で崩れ落ちた。二万円でも三畳一間キッチントイレ共同。それを考えたら……多少怪しい感じがしようとも、試しに住んでみる価値はあるかもしれなかった。
「じゃ、決まりましたね? 善は急げって言いますしねえ。お部屋、ご案内しますよ。近くなんです」
ソウイチに言われて、テツヤは不動産屋を出た。車で行くのかと思ったら、マンションは意外にこの近くにあるらしく、すたすたと歩きだしたソウイチのあとを、テツヤは慌てて追いかけた。




