1-04話 やらかし
俺の背中を一筋の冷や汗が流れ落ちた。
平穏な日常が唐突に崩れ去ったという事実を、『殺し屋』というその言葉により改めて実感してしまう。
何より、次には俺が狙われるかもしれない恐怖感。じっとしていると今にも足が震えだしそうだ。
一方、アリシアは至って平静な様子でしげしげとスマホの残骸を眺める。
彼女が取り乱さない人間であることが、今は何よりも頼もしかった。
「だけど、不思議な服装の中にまさかこんな板が入っているなかったでしょうね。不意の一突きで殺す筈が、思わぬ手間を喰って焦ったでしょう」
「なあ、ちょっと思ったんだが……、普通襲われて辛くも助かったなら一目散に逃げるよな?ここは学校だし、校舎に行けば誰か居ると思うのが当たり前だと思うんだが」
気を取り直した俺は、彼女に気になったことを言ってみた。
「それに、おっさんの死体がある所以外、ほとんど花壇が踏み荒らされてないし……。でも、ただ倒れただけにしては折れたヒマワリの数が多すぎる」
アリシアは俺の言葉に感心した様子で唸る。
「貴方、意外に鋭いのね」
「そりゃどうも。だけど、なんだってこのオッサンはこんな場所に隠れたんだかな……」
「多分、逃げ出してここに追い詰められたわけじゃないと思う。寧ろ、この場所で待ち合わせをしていたんじゃないかしら?」
彼女は新たな推測を打ち出した。
「断言の理由は何だ?」
「今朝転校の挨拶に先生のところに向かおうと思ったのよ。ところが、職員室で先生は校庭にいるはずって言われたの。この道が続く先にあるのは校庭だけだけど……、まさかそんな所で人を襲おうなんて出来る訳無いでしょ?」
校庭に屯するような教師、同期ながら俺のクラスではないという事実。
するとアリシアが探していた教師ってのは……。
「もしかしてお前の担任…、ダーマンって奴か?」
「あら、そうよ?よく分かったわね」
なんてこった、よりによってあの嫌味な筋肉ダルマか……。
「かわいそうに……、アイツが担任とはな」
「そうなの?まだ残念ながらお会いできていないのだけど……」
「なら早く会ってみろ。間違いなく後悔する筈だ」
俺は痛々しい物を見るように、彼女をみやった。
「そうなの……。でも、校庭に来たのだけどダーマン先生は居なかったのよ」
不思議そうに言う彼女。
しかし俺は知っている。ダーマンが校庭に居る訳がないんだ。
俺はアリシアに今朝の事を伝えた。
「居るわけない。なんたって今朝、奴は校門前で生徒を指導していたからな」
「あら?校庭に居た生徒さんは近くに居るはずって言って一緒に探してくれたけど……。生徒指導なんて誰も言わなかったよ」
「抜き打ちだからな……、おかげで俺は今朝ダーマンに散々追いかけられたよ。こんな可憐で可愛い俺を追いかけ回すなんて犯罪的な事だと思わないか?」
「あなたが可憐なのは認めるけど、犯罪的かと言われると……」
「奴は筋肉モリモリマッチョマンの変態だ」
「犯罪的ね」
目の前にマーマイトを10本おかれたかの様に、げんなりとした表情を浮かべるアリシア。
ちょっと逡巡は見えたが、俺の可愛さを分かってくれた様で何よりだ。
「そんでもって、俺はダチのレイノルズって奴と全力で逃げたんだが……」
不意に俺の頭の中で、レイノルズの発言がフラッシュバックした。
”う、嘘だろ!?なんで壁があるんだよ!!”
”昨日までは此処に壁なんてなかったのに!!”
「どうしたの?」
急に押し黙った俺に、アリシアが心配そう話しかけてきた。
「そう言えば、ここからちょっと離れたところに昨日の夜まで無かった土壁があるんだ」
「土壁?それって犯行に関係あるかしら?」
「さぁな、それは分からん。とりあえず見に行ってみるか」
「ええ……、何が犯人と結びつくかは分からないし」
彼女の同意も得、俺達二人は初夏の日差しを浴びつつ例の場所へと向かった。
ひょっとするともう無くなっているんじゃ……、という一抹の不安とは裏腹に、土壁は先程と変わらぬ姿でその場に鎮座していた。
アリシアは慎重に近づき、ぺたりとその表面に手を付いた。
「すごく不自然ね……、土魔法で作られたものかしら」
「多分な、朝これに阻まれて死ぬかと思ったよ」
「仮に事件に関連するとすれば……、恐らく被害者の逃げ道を塞ぐ目的ね」
彼女は言葉を続ける。
「それにしてもこんな精緻な土壁、相当な魔法の使い手じゃないと造れないと思うのだけど……。あれ?」
ふと視線を土壁の傍の藪へ向けるアリシア。よく見ると、その草むらの中に何か黒っぽい物体が落ちている。
彼女はそれをひょいと拾い上げると両手で広げ、暫しその内容を凝視する。
「……どうやら被害者のメモの様ね」
手渡されたそれは、前世で俺も使っていたごく普通の手帳だった。
恐らくは例のオッサンのものだろう。裏表紙に挟まれた写真付きの運転免許証は、今も脳裏に焼き付く死に顔とそっくりだ。
どうやらこの世界に来てからも、オッサンはこの手帳をメモ代わりに使用していたらしい。
何か事件解決に繋がる重要なことが書かれているかもしれない。
注意深くページをめくると案の定、直ぐに興味深い記述が見つかった。
「8時15分、場所は王立魔道学園にある体育館の南側通路。ヒマワリの咲き乱れる花壇」
これは間違いなく事件現場だろう。之を目安にすれば、事件発生時刻もより明確に絞れそうだ。
「スーツ着用で向かう必要、目印。協力者は5分後に到着予定。……、なんでこんな微妙な時間に裏路地に呼び出したんだ?下手したら生徒が通るのに……」
俺は独り言ちた。
犯人の立場で考えれば、こんな人通りの多い時間に呼び出すなんて危険極まりない筈だ。これにも何か理由があるんだろうか?
「なあ、アリシア。理由は何か推察できそうか?」
俺はアリシアに呼びかけるが、彼女の返事が無い。
「アリシア?」
不思議に思いメモ帳から視線を外して顔を上げると、彼女は信じられないものを見た様な顔でこちらを凝視していた。
「貴方……、なんでそれが読めるの?」
「え?」
意味が分からず聞き返すと、彼女はまるで得体の知れない存在を前にしたような顔付で口を開いた。
「異形装束殺人事件の被害者が全員所持していた、特務警邏隊ですら未だに解明出来ない謎の暗号……。どうして貴方がそれを読めるの?」
……油断していた。
この世界に日本語は存在しない。
俺が今、レイノルズやダーマン、アリシアと当たり前の様に話しているのは俺があくまでこの世界の住人としてこの世に生を受けたから。
当然だが、日本語を話しているわけではない。
この世界の住人であるならばそもそも、日本語なんて読める訳がないのだ。
「そ、それは……」
俺は言葉に詰まる。
今まで前世の記憶があることを隠してきたのは、前世の記憶が戻ったなど信じてもらえるわけがない上、余計なトラブルに巻き込まれたくないかったからだ。
そして、現実にトラブルに巻き込まれたまさに今。
よりによってこの最悪のタイミングで、俺は大きな過ちを犯してしまったのだ。




