2-11話 テロの準備
その夜は、6月にしては珍しく港の一帯に濃い霧が立ち込めていた。
天高くに浮かぶ半月と夜空に輝く星々をそれは暗幕の様に覆い隠し、港湾労働者達が一日に幾度となく見上げる時計塔は、鬱勃とした暗い靄の中で夜11時を告げる鐘を鳴らす。
普段、多くの労働者がすでに就寝する様な時間。
だが今日この日に限っては、港湾街の大通り時計塔前から数えて4ブロック目の角にある食堂から立ち昇る熱気とざわめきが留まる事を知らなかった。
本日の仕事も終わりかと人々が商売道具を片付け始めた頃、突如として入港したレイノルズの生家、ドゥラノワ家の保有する大型商船。
その荷揚げ作業が深夜まで続いたのだ。
疲労に包まれた男たちは、故に深夜まで開いているこの食堂に皆集う。
ここは、港湾で働く労働者たちの波止場なのである。
夜間、街の警邏を行う騎士団員達にとっても、その役割は変わらない。
ましてや、夜風に打たれながら巡回を行う警邏隊員にとって、その喧噪と窓の隙間から流れ出すスパイスの香りは、その疲れた身体には何よりの誘惑であろう。
港湾街の日常とも言えるその光景。
先の時計塔の上から望遠鏡で観察を行う俺の目の前で、夜の巡回を一回り終えた警邏隊の連中がくたびれたように店に吸い込まれていく。
それこそ、俺達が待ち望んだタイミングだ。
「どう?時間通り?」
通信用魔法水晶から発せられる、少々ノイズを孕んだ音声。
俺は周囲を見回すと、慎重に声を抑えて返答する。
「ああ。アリシアの言う通り、警邏隊の巡回組が食堂に入っていった。」
「…、準備は整ったということね。」
落ち着いたアリシアの声に、俺はゴクリを唾を飲み込んだ。
「本当に、良いんだな?」
「ええ、爆発と同時に飛び降りて全力で逃げる、でしょう?もしかして、今更怖気づいたのかしら?」
「当然だろう…。今から俺らが引き起こす爆破テロは失敗したら文字通り全てを失う。仮にお前が捕まっても、あるいは俺が捕まっても、その行きつく先は身の破滅――」
「もうタイムリミットまでは一時間しかない。これ以上、迷う時間は無い。」
引き返すなら今、と言い掛けた俺の迷いを断ち切らんとするアリシアの言葉。
離れた所で待機している以上その顔は見えない。だが、彼女が今どの様な表情を浮かべているのかは、俺には何となく想像が付いた。
「もう一度確認するが、本当にいいんだな?」
「勿論、男に二言はない。」
「…お前は女だろ。」
初めて彼女と出会った時の様な、軽い冗談を挟んだやり取り。
俺が呆れた返答を水晶に投げかけたその瞬間。
突如、港湾街の中心部にある裁判所の尖塔がドーンという轟音とともに吹き飛んだ。
「裁判所は無事吹き飛んだわ!」
「さあ、次は警邏隊が出てくるぞ!」
「作戦開始!!」
アリシアの一際鋭い声を最後に、目の前の水晶がビシリと音を立て次の瞬間には砕け散る。
作戦通り、アリシアが向こうで水晶を破壊したのだろう。
ゆらりと立ち上がる俺の背後でまた一つドンという爆発音が響き、倉庫から立ち上がる火柱が夜闇に立ち昇る。
賽は投げられた。
一時間後、俺達は刃の下に首を差し出す事になるのか、それとも勝利の感情を分かち合うのか。
後は、俺達の賭けが成功することを祈るしかない。
☆
遡る事今から2時間程前。
俺達は、騎士団の連中がよく利用するという食堂、その一番奥のボックス席に陣取り湿気た面を晒していた。
状況は絶望的だった。
辛くも捕縛の危機から脱し、逃亡したソフィアの行方を追う為必死で辺りを走り回って手当たり次第に聞き込みをおこなったものの、全くと言っていいほど手掛かりが掴めない。
時間は無情にも流れ、気づけば街頭からはほぼ人が消え、街の食堂の明かりもポツリポツリと消え始める。
碌に飯も食わず、一日中駆けずり回った俺達は焦燥と疲労でお互い極限状態となっていた。
「駄目だ、見当がつかない……」
俺は、コーヒーというにはお粗末に過ぎる液体が入ったカップをドンとテーブルに置くと頭を抱える。
「タイムリミットまでは後2時間。正直、分が悪いわね……」
「残念だがな。」
何しろ、藤木田の家からのソフィアの足取りが分からないのは無論、その前の足取りすらようとして掴めないのだ。このままでは何もできずに0時を迎えてしまう事になる。
それは、俺達の敗北を意味する。
ため息をつく俺に対し、アリシアは不味い泥水を流し込むと、渋面を作りながら此方へ視線を向ける。
「一度状況の確認をしましょう。当初、私達は騎士団員に変装し突入と同時に入れ替わるように逃げたのかと考えたのよね。」
そして、それはあり得ないという結論にも達した。
「それについては不可能だと言う結論だっただろ?あの騎士団長の言う通り、周りはガチガチに囲っていた訳だからな」
「そうね。そこで貴方と話し合った結果、次に出た可能性は隠し通路の存在」
「とはいえ、あの短時間だしな。だが、あの部屋の本棚は動いた形跡がないし、魔法の使われた痕跡もない。……煙突からでも逃げたのかね?」
俺の軽口に対し、アリシアは真面目な口調で返答をする。
「まあ、レイノルズ君を抱えて暖炉を通り抜けられるのならば不可能ではないわね。そんな面倒な手を彼女が打つとは思えないけど……」
彼女はそこで言葉を切ると、空いたマグカップの取っ手をくるくると回す。
「彼があの場に連れてこられていたのは間違いないわ。ただ、彼の偉丈夫な身体を逃亡の際に誰一人にも気付かせずに運搬するなんて出来る筈が無い……やはり何処かすぐ傍の建造物に隠れているとしか思えないわね」
この考えには、4時間程前に既に達していた。
無駄な危険を冒して厳戒態勢の中逃げているのではなく、何処かしらの建物に身を潜めているのではないか?
俺達はその仮説の元、騎士団警邏隊の協力を付近一帯全ての住居の家宅捜索を行い、不審な人物が出入りしている建造物が無いかの聞き込みを行ったのだ。
結局の所、それも又徒労に終わったが。
人間二人がまるで神隠しのように忽然と姿を消す。
本当に、そんな事があり得るのだろうか?
だが現実に、俺たちはこうして今もソフィアとレイノルズを探し出せずにいる。
「結局のところ、詰みって事か……」
俺は諦めた様にテーブルに突っ伏す。
絶望、諦観、無力感。
どう考えても、残された時間の中で問題を解決できるとは思えない。
崩れ落ち、無防備に晒された背中を、不意に強烈な一撃が襲った。
「グボッ!?アリシアてめえ、何しやがる!?」
「諦めてるんじゃないわよ!ここで諦めたら、レイノルズ君がどうなるか分からないよ!?」
見上げた先に、怒気をはらんだ顔でこちらを見下ろす彼女の姿があった。
その様子に俺も思わずカッとなって叫ぶ。
「諦めたい訳じゃない!!でも、なんの手掛かりも掴めてないのにどうしろっていうんだよ!!?」
「だからって、こんな所でいじけて居たって何も始まらないでしょう!?」
「そんなことは分かってる!!」
我を忘れ、エスカレートする俺達。
「うるせぇぞ!!痴話喧嘩なら他所でやれよ!!」
「「……っ!」」
慌てて周りを見回すと、テーブルのあちらこちらから俺達へ向けて白いまなざしが注がれている。
俺達は黙ってゆっくりと席に着くと、どちらが言い出すまでもなく、お互いに「ごめん」と呟いた。
どうやら焦りの余り頭に血が上っていた様だ。
「……結局のところ、何とかしてソフィアをあぶり出さない限り私たちに道はない。」
沈鬱な表情でそう話す、アリシア。その様子に俺は、先ほど怒鳴った事に対する罪悪感を感じながらも返答する。
「ああ、その通りだ。だが、今の俺達にはその手立てが無い……」
「そう、ね……」
「……」
俺達は黙り込んでしまう。
このままではレイノルズの救出は絶望的、だが今から起死回生の一手など打てるだろうか?
日付が変わるまでは後2時間、それだけの時間で、いったい何ができる?
考えろ、今、俺達でも出来ること。
奴を俺たちの前に引きずり出す為の手段。
前世ではこんな時、いったいどういう手を用いた?
彼女なら、どの様なことをすれば俺たちの前に現れるしか無くなるだろうか?
……。
そうだ。
「もしかしたら……、出来るかも知れん。」
「え……?」
追い詰められた者はその土壇場で、思いもよらぬ一手を打つことがある。
それは時に名案であり、状況を打破する究極の行動となる。
しかし、同時にそれは危険な悪手ともなり得る。
俺の頭の中に急速に描かれつつあるその計画は、一歩間違えれば途方もない事態を招く。
だが、紛れもなく俺の友人を救う事ができる唯一の方法。
俺は興奮し、目の前にあるアリシアの手を訳もなく握ると声を張り上げる。
「出来るかも知れないんだ!」
「え、え、え!?」
「これならソフィアを炙り出せるかもしれない!!」
「え、ちょっと、え、まって!?」
俺はそのまま彼女の手を引き店の外へと飛び出す。
後ろでアリシアが顔を真っ赤にしながら何か喚いているが今はそれどころではない。
もはや一刻の猶予もない、まずは彼女へこの計画の全貌を打ち明けなくては!
脱兎の如く駆け出す俺。
訳も分からず顔ただ手を引かれるがままのアリシア。
背後からは店主の「お客さん!勘定は!?」という怒声が聞こえてくる。
「騎士団長のレナルドという男に請求してくれ」と叫び返すが、正直その短いやり取りの時間すら今の俺には惜しまれた。
俺達はわき目も振らず、人気の無い倉庫街のその場末までひた走る。
時間にして10分少々だろうか。
此処ならば問題は無いだろうという場所まで来ると、俺は漸くアリシアの手を離した。
「一体どうしたのよ、急に店を飛び出して!?」
「済まない。だが、あんな人が多い場所で話せるような内容ではないからな」
怒りからか、相変わらず顔の上気したアリシアに対し、俺は平謝りする。
だが、実際の所これは人前でひけらかす様な計画ではない。
一歩間違えれば、文字通りの身の破滅だ。
「全く……。一体どんな事を考え付いたのよ、貴方は」
「最悪、俺達が起こしたと露見すれば絞首刑になる」
一瞬冗談だと思ったのかため息をつくアリシア。
「……ライラがいきなり駆け出すから何事かと思ったけど、ジョークなんて……」
「俺は冗談を言いたいわけでは無い。これはそれ程までに危険な賭けだ」
俺の真剣な表情に何かを感じ取ったのか、徐々にその顔は真顔となる。
そして気がつけばアリシアは少し気圧されたように、心配そうに言う。
「……貴方、何をするつもりなの?」
不安げにこちらを見るアリシア。
だからこそ、俺は彼女を真っすぐ見据えて、口を開いた。
「今から、この街を爆破する。」




