2-09話 誘拐の犯人
薄暗い石造りの家の中。
目を凝らすまでもなく、アリシアのいる場所は直ぐに分かった。
階段を登った二階にある扉、その前に彼女は立ちはだかり、構えた杖の先からは今にも放たれそうな火魔法の紅い光が迸っている。
「待て!!」
俺は叫ぶと同時に魔法を放つ。
ロンゲン翁の杖のおかげもあってか間一髪、アリシアの杖から発射された魔法の前に発現した俺の闇魔法『ブラックホール』が彼女の魔法を吸収し、辺りは再び暗闇に支配される。
「何するのよ!?」
「落ち着け!こんな狭い空間でそんな魔法を放つ奴があるか!!」
アリシアの怒声に対し、俺は怒鳴り返した。
彼女の放とうとした魔法は恐らく強力な火焔魔法だろう。それをこんな室内で打てばどの様な被害が出るか全く予想がつかない。
最悪の場合、レイノルズ諸共この家は爆散だ。
「冷静になれよ!さっきからお前らしくもない行動ばかりだぞ!?」
「落ち着いていられる訳ないわ!!だって、この扉の先にはアイツが……!」
「あらあら、何か御用かしら?」
不意に掛けられた声に、俺達は思わず身を固くする。
気が付くと、先程まで閉じていた筈の目の前の扉は開け放たれていた。
その奥、部屋の中央に一人の女性が悠然と佇んでいる。
足丈まである黒いロングコートを羽織っていてもなお分かるグラマラスな体系。
心なしかウェーブを利かせた金髪。
謎多きヒロインの様な出で立ちに。
その妖艶とも言える美しさに、俺は状況も忘れ思わず見とれてしまう。
「貴方、可愛い顔をして相当な技量の持ち主ね。正直、感心したわ」
「そうか、賛辞は受け取っておく」
俺は軽く頭を下げながらも油断なく相手を注視する。
傍らに転がる見覚えのある杖、レイノルズの物で間違いない。やはり奴はこの女に誘拐されたのだろう。
それに、この女は美人ではあるが隙がない。
腰に下る使い込まれたサーベルや実用一辺倒の靴からも分かる。
此奴はヤバい奴だ、と。
「アリシア、彼女は一体何者だ……?」
「コイツは……、絶対に生かして返すわけには行かない相手」
そう言うとアリシアは険しい表情を崩さず、相手に杖を向ける。
「アリシア……。そんな説明じゃあお隣さんには伝わらないわよ?」
目の前の女はそんなアリシアの様子に呆れたように言った。
「……あの女は、私と同じ元騎士団員にして、私の元パートナー。そして私の恩人で……、絶対に許せない裏切り者」
アリシアはそこで言葉を区切ると、まるで苦虫でも噛み潰したかの様な表情で吐き捨てた。
「ソフィア・コルチャーク。騎士団史上最悪の犯罪者にしてダーマン殺しの最有力候補よ」
何時も涼しげな彼女のその表情は今は憎悪の色に染まり、隙さえあればその喉首を掻き切らんとするかの様であった。
「そして、フランソール王国最高の騎士と謳われた魔剣術の天才」
「あらあら、確かにそんな風に言われた時期もあったわね?」
そう言って唇を噛み締めるアリシア。
対照的に、ソフィアと呼ばれたその女は顔を赤らめて照れたように笑う。
アリシアはそんな彼女の様子に、馬鹿にされたと感じたのか顔を朱に染める。
「優しい、正義感の強い貴女が何故!?あの、王家に忠義を尽くす騎士の鏡であった筈の貴女が何故……!!北部巡察隊の団員を皆殺しにして、反王政派へと反旗を翻したのよ……!?」
一転、終いには苦悶に満ちた表情で咽ぶように呟くアリシア。
俺はそんな彼女の様子に痛ましさを感じずには居られなかった。
恐らく、アリシアは騎士団に所属していた際、彼女に絶対的な信頼を寄せていたのだろう。
当時彼女たちの間に何があったのかは無論分からないが、それでも俺が想像だに出来ないほど、強い関係性であったに違いない。
そんな人間の突然の裏切り。一体彼女はどれほどのショックを受けたのだろうか。
とてもではないが、俺には想像することが出来なかった。
アリシアが鼻をすする音が聞こえる以外、静まり返った室内。
その様子をじっと見つめていたソフィアは、少し陰のある声色で呟いた。
「簡単よ……騎士団員である限り、私は人を救えないから。」
「え……?」
涙をぬぐいながら顔を上げるアリシア。そんな彼女にソフィアは静かな口調で語る。
「あの北部巡察の時、私は色々な人間を見た。一斤のパンの為に子供を売り飛ばして騎士団に捕まった親が居た。病弱な妹を救う為に窃盗を犯した子供も居た。そしてそんな惨状を前にしても、騎士団員は接待を受けて豪勢な食事三昧よ、無論領地をその様な惨状にした領主を咎めようともせずにね。」
そこで一度言葉を区切るソフィア。
俺はただ、黙って彼女の言葉に耳を傾け続けた。
「私が騎士団に入った理由、それは一言で言えば人を守り人を救う、騎士に誇りと憧れを持っていたからよ。……でも、それは間違いだった。周りに居たのは表向きは正義を謳い、裏では利権を貪る腐った連中ばかり」
何時しか彼女の顔から表情は消え、それは能面の様に変わる。
「私は理解したわ。この世界、この国、そして貴族制度はもう限界なんだと」
薄暗い、乱雑に書物が放置された埃っぽい部屋。
その中心に立ち、大げさに両出を広げるソフィア。
だが、その様子はまるで演説台の中央に立ち、無知な民に説話を解く革命家の様だった。
「善良な民が飢え、搾取され、特権階級が栄華を誇る。有能な者は虐げられ、無能な貴族が跋扈する。っして、騎士団は栄華を誇る悪を守る盲目な番犬に甘んじ、持たざるものから、持てるものを守る機関へと成り下がっている。おかしいと思わない?何も知らない市民が馬鹿を見て、悪賢い者が笑う、こんな世界は狂っていると思わない!?」
先ほどまでの静かな語り口から一変、まくし立てるように俺たちに語り掛けるソフィアの口調は徐々に熱を帯びてゆく。
その表情、そしてその紫色の瞳の奥には、まるで狂信者のごとき危うい決意が籠っている様に感じられた。
俺は理解する。
この女は、自らの正義感に自らを狂わされているのだと。
そして、それは今のアリシアには到底了承できるものではないという事が。
「こんな世界……、一度滅ぼしたほうが良いのよ。」
そう言い切ったソフィアに対し、アリシアは無言で杖を向ける。
「……騎士団警邏隊であんたと組んでいた事は、私最大の汚点になりそうね」
「そう……、理解できないなら理解してもらうまで教えてあげるしかないわ」
「待て!」
両者杖を掲げ、一触触発。
そのタイミングで俺は、ふと感じた違和感を確認するためその射線に割り込んだ。
「お前は何故レイノルズを攫ったんだ?」
「あら?」
「先ほどから聞いていると、俺にはどうもお前がダーマン殺しの犯人のようには思えない。さらに言えば、異形装束連続殺人の犯人にも思えん。お前が目指すのは革命であって、それならレイノルズを生かしたまま誘拐する必要は無いはずだろう?」
考えてみればおかしな話である。
ここで前世で幾度となく繰り返された革命理論を振りかざすソフィアにとって、大貴族の第三子であるレイノルズは恨むべき最たる人間だ。
貴族連中に一矢を報い、あるいは一石を投じたいと考えているならば、攫って死体を晒し者にでもすれば良い。人目につかない様にして誘拐をするなどという、面倒な事をする意味は無い筈だろう。
ソフィアは傍らに転がされたレイノルズの杖を一瞥すると、こちらに向き直る。
「彼を誘拐した理由は簡単よ。異界の民、ジューロー・フィジキーダの書き記した叡智の結晶と、その解読に成功したと目されるレイノルズ・ドゥラノワ。その価値は安くはないわよ?」
あの野郎、どこまでホラを吹けば気が済むんだ……。
だが、それ以上にそんなふざけた理由を聞かされた俺は、気がつけば怒声を発していた。
「それじゃあレイノルズはどうなるんだ!?」
「私はジューローの日記とその解読者を連れてくるようにと指示されただけよ、クライアントの使い道まではノン・マイ・ビジネス。知ったことではないわ。」
「……心底呆れたわ。騎士団がその首に多額の賞金を掛けたのも頷けるわね。」
アリシアは軽蔑の眼差しでソフィアを睨みつけるが、当のソフィアは真剣な眼差しで切り返す。
「アリシア、世界を変えるには金がいるの。それに、お金は人を裏切らないわ」
「……クライアントに奴を連れて行けばお前は殺されるぞ?」
真実を知る俺はソフィアにそう忠告をするが、彼女はフンと鼻で笑い飛ばした。
「悪いけれど、戯れ言に付き合う気はないわ。どうやら時間がないみたい」
そう言って、天に向かって大きく片腕を伸ばしたソフィア。その手には、いつの間に取り出したのか煙玉が握られていた。
「お友達が大勢来たようだし、私は失礼するわね?」
「待ちなさい!!」
「レイノルズを何処へやった!!」
アリシアと俺は慌てて叫ぶが、時既に遅し。
「それじゃあね」
瞬間、彼女の手から落ちる煙玉。
パァンという乾いた破裂音と共に部屋全体に煙が立ち込め、狭い部屋は一瞬でホワイトアウトする。
「くそっ!逃げるなぁ!」
アリシアは咳き込みながら叫ぶが、真っ白に遮られた視界の中では容易に動く事すらままならない。
煙を吸い込まないように口元を布で覆い、よろめきながら窓を探そうとする俺。その時、下の方から怒声と共に階段を駆け上がる音が聴こえた。
白濁する視界、思わず立ち止まった俺の視野の端で黒い影が動いたと思った次の瞬間。
不意に背中をドスンという衝撃が襲い、気がついた時には身体の自由を奪われ埃っぽい床に押し倒されていた。
「窃盗犯一名を確保!」
「二人目の身柄も確保!!」
軽い脳震盪を起こしグラグラと揺れ動く視界。
霞んだ俺の目に映ったのは、同じように地面に引き倒され拘束されたアリシアと、彼女を拘束する騎士団の腕章を付けた男達の姿だった。
「離せ!離せったら、このポンコツ!!」
必死でその拘束を解こうと暴れるアリシア、俺は彼女に落ち着けと言おうとするも、脳が揺れ続けている影響か上手く声を出す事が出来ない。
これは一体、何が起こったんだ?
必死にバラバラになりそうな思考を纏め、今自分の身に起こっていることを理解しようとする俺。
その耳に、階段をコツコツと音を立てて昇る軍靴の靴音が聴こえてきた。
首をよじり何とか入り口の方へと視線を向けたその先に現れたのは、傲然たる態度で此方を見下ろす不遜な顔立ちの男だった。
「おやおや、善良な市民から通報を受けて此方に駆けつけてみたら……。まさかこんな懐かしい顔に会うとは」
煌びやかな刺繍の施された羅紗のコートで身を包み、まるで野良犬を蹴飛ばすが如き小馬鹿にした口調で人を見下す。
正に絵に書いた様な嫌な貴族。
「貴様は……セイユール騎士団団長。レナルド・シャントルイユ!!」




