2-07話 ハニトラ
フランソール王国の首都、セイユール。
王国勃興の頃から形作られたこの美しい巨大都市は、その湾に面した地形を利用した港湾商業都市としての側面も併せ持つ。
『海に面する』という立地は、他国との交易の中継拠点として大いに有益に働いている。
王国の外貨獲得手段の一翼を担っていると言っても過言ではないだろう。
遠く青々とした海原を望む港町・バスティーナの第一港。
常に他国の商船がひしめき合う様にして停泊し、辺り一帯は威勢の良い船乗りや商人達の喧騒に包まれるこの空間は、正にそれを体現する物である。
さて、このバスティーナにあるのは何も商船の拠点ばかりではない。
王国最大規模の軍港も有するこの港町では、石畳の大通りを馬が全力で駆け抜けていく光景を頻繁に目にすることになる。
その多くは、商館や軍部の重要書類を持った早馬、通称ポストマンや海軍属の軍人達だ。
彼らの駆る早馬はある種バスティーナの名物だ。
また住人達もそんな危険極まりない早馬を器用に避ける技術をある種の誇りとしている。
「避けぬやつは田舎者、惹かれるやつは大間抜け」
なんて言葉がある程だ。
そんな早馬達をすばやく交わし、道を空ける事に慣れている筈のバスティーナの住人達すら轢き殺しそうな速さでアリシアは馬を走らせた。
俺達は僅か20分足らずで目的の地へと辿り着いたが、先程迄元気であった筈の馬は、発汗により毛色は黒ずみ鞍の裏は真っ白、脚はフラフラの状態だ。
如何に無茶な速度でこちらへ向かったのかが分かると思う。
「驚いたわ、まさか付いてこれるなんて」
到着するなりアリシアは、此方を振り返ると心底驚いた様な口調で呟いた。
「お前……振り切るつもりだったのか……」
「いえ、そういう訳では無かったのだけど……」
彼女は気まずそうに笑う。
「ライラがちゃんとついて来ていたから、ついついペースを上げ過ぎてしまったみたいね……」
と、いうことは俺が途中でペースを落とせばよかったのだろうか。
危うく何人かの命を刈り取るところだったんだが……。
「でも、おかげで時間は稼げたよ。ほら、見て?」
俺の眼差しを避けるようにアリシアは目的の建物の方に身体を向けた。
一見すると周囲と何らと変わらないその建物。だが、建物の前に佇む明らかに堅気には見えない屈強な男がその内部で何らかの事態が発生していることを如実に表している。
恐らくは、奴もレイノルズを拉致した誘拐犯の一味であろう。
「……彼奴もお前達を襲った奴か?」
「ええ……。だからこそ、間違いなくレイノルズ君はあの建物に居る」
「ダーマンに劣らず屈強な野郎だな。恐らくは奴も冒険者か、或いは傭兵かといった所か?」
「恐らくはね」
正直な所、幾ら腕が立つとはいえ今の俺達の実力では無力化は難しいだろう。
仮に無力化に成功したとしても、間違いなく騒ぎが発生してしまう。
そうなれば当然レイノルズの身にも危険が及ぶ。
魔法を用いれば無力化自体は容易に可能だろうが、目立ちすぎるという点では同様だ。
はてさて、どうした物か。
頭を悩ます俺に対し、アリシアが此方を振り向いてニコリと笑った。
「ねえ、良いアイディアがあるの」
「……、嫌な予感がするんだが」
俺は訳もなく背筋がゾワリと総毛立つのを感じた。
「大丈夫よ、危険はあるけれど身の安全は保障する」
「そうか……一応聞くだけ聞いておこう」
正直な所あまり気乗りはしない。
が、かといって自らの知恵では膠着状態を破るのは難しいだろう。
俺はアリシアのアイディアとやらを確認することにした。
「まず、貴方には囮になってもらう」
「その時点で身の安全は保障されないと思うんだが」
「大丈夫よ。正しく言えば、囮になるのはライラの制服だからね」
何を言っているんだ此奴は?
「……すまない。正直な所、全く意味が分からないのだが」
ダーマン事件の時といい、アリシアの思考回路は凡人の俺に比べ少々飛躍しすぎるきらいがある。
これが天才の卓絶した理論に基づいたアイディアだというのだろうか。
首をかしげる俺に対し、アリシアは肩をすくめて作戦概要を話し出した。
「やること自体は簡単よ。ライラはあの男を誘惑して路地裏に連れ込む、私はその背後から襲いかかって建物に侵入するための鍵を奪う、以上」
前言は撤回しよう。
超絶脳筋である。
作戦内容はハニートラップで、仕掛ける相手は屈強な男、釣り針は男の娘。
これを地獄と言わずして何と言おうか?
「却下だ!どういう思考回路ならそんな計画を思い付くんだ!?そもそも俺は男なんだぞ!!」
「速やかに音を立てず接敵して排除、作戦目標達成の為にはこれ以上ないほど理にかなった作戦だと思うけど?」
「それに、騎士団では男はみんな制服が好きって教わったんだけど、違うの?」
おい、誰だよアリシアに変なことを吹き込んだ野郎は。
「確かに制服が嫌いな男は居ない。だが、地獄のような光景が展開されるかも知れないのだぞ」
「別にライラが目も当てられない姿になるわけじゃないでしょ?」
「可愛いのは好きだが、男にいやらしい事をされるのが好きなわけじゃないからな?」
「いや……ソレは分かるよ」
「良かったよ。理解してくれて」
もし「そうなの?」とか言われたらこの場でコンビ解消だった。
「で、どう?この作戦」
「他に案はないのか?」
何しろ、アレな展開になるという可能性が0ではない。
正直乗り気ではない。
俺が曖昧な態度をとっていると、アリシアは落胆したようにつぶやいた。
「ライラなら可愛いからイケルと思ったんだけどなぁ……やっぱり無理かなぁ」
ボソリとつぶやいたその言葉。
普段なら俺が聞き逃していたかも知れないが、静かなこの場所では俺の耳にしっかりと届いた。
「ふ……ふふふ……アリシア。お前は今なんて言った?」
「え……?ライラなら行けると……」
トーンが一段落ちた俺の声に、不安げな声音で答えるアリシア。
なにかまずいことを言ったか?と言いたげな口調で答えるが、お前は何も分かってない。
「俺が聞きたいのはその前だ」
「えーっと……ライラは可愛い」
「もう一度、ちょっと大きな声で」
「ライラは可愛い」
「お前はどう思う?」
「ライラは……可愛いと思う」
「そのとおりだ!」
ビシッと指を立てて俺が言うと、アリシアはビクッとした。
「俺を見くびってもらっては困る。可愛さにかけてはそこらの女子を遥かに上回るのだからな」
「……若干私をバカにしてない?」
「阿呆な作戦を立てたあてつけだとでも思ってくれ。何しろこの作戦で俺が可愛いことを証明するのだからな」
俺の態度に気圧された様に、あるいは呆れたようなアリシア。
ふん。見ているが良い。俺の圧倒的な可愛さを!
「ただし!何かあったら直ぐに助けに入ってくれ……男とイチャコラする趣味はないのでな」
「……貴方があられもない姿になりそうになったら、その時は助けに入ってあげるわ」
そうして俺は、自分で立てた作戦のくせに釈然としない顔で見送るアリシアを背に、男に向かって歩み始めた。