2-03話 お買い物に行こう
王立魔道学園。
その歴史は古く、校舎を含めた数多の構造物は数百年前の戦時下における大要塞の遺構を流用もかなりの数に上る。
かつて前世において「軍隊を布陣するには高所が良い」と書き記した大兵法家が居た。
その兵法における常識は現世においても通ずる物があると見える。
現にこの魔道学園の敷地も、こうして王都を見下ろす小高い丘の上に存在している。
この立地のおかげと言うべきか、学園の校舎のみならず学生寮から望む事が出来るセイユール旧市街や公国最大規模の軍港がある湾岸部を一望できる大パノラマは、正に絶景と言えるだろう。
だが、何事も良い事ばかりではない。
ハッキリ言って市街地へのアクセスは「最悪」である。
いや、正確に言えば街へ行く分には問題ない。
手ぶらで学校前の坂道を下っていけば、ふもと――貴族の中には下界と呼ぶやつもいる――まで辿り着くのだから、むしろろ楽な位だろう。
だが、行きはよいよい帰りは辛い、だ。
説明したとおり、この学園一帯はかつての要塞時代の名残の階段をそのままにしてある箇所が多い。
その為、いたる所が急坂であり、所々未舗装路が残るその道程は劣悪。
一般市民の人間が用いる馬車では通行不能だ。
学園に暮らす人々が市街地へ赴く際は、懸架装置を採用した高価な馬車を用いるのが通常である。
さて、そうした馬車を用意できるほど裕福ではない我がローランド家はどうするか?
当然普段は馬車ではなく馬に騎乗して街へと繰り出してゆくのだが……
今日、俺は豪華絢爛な馬車に揺られこの坂道を下っている。
「なぁ、もしかしてとは思うが……。アリシアは馬車酔いするタイプなのか?」
レイノルズとアリシアのデート、もとい身辺警護という重大なミッション。
緊張感を切らさんが為に姿勢を正して外の気配に耳をそばだてる俺に対し、レイノルズがそう耳打ちしてくる。
「いや、なあ……」
俺は何とも言えない顔をしながら言葉を濁す。
確かに、女性をデートに誘うのならば、それ相応に身形を正すべきではある。
だが、馬4頭立て御者付き、牛革貼り座席に最高級シルクの天幕を使用した馬車と言うのは幾らなんでもやり過ぎだ。
本日の目的地は商人街であるというのに、これでは最早悪目立ちの次元を超えている。
「いや……コレで正門前に乗り付けてさあ行こうか!と言い放ったお前に少々引いているだけじゃないか……?」
「そうか……アリシア嬢に失礼があっては不味いと考えてこうしたんだけど……やりすぎだったかな?」
「お前はやっぱり阿呆だと再認識したよ」
普段の言動からとてもそうは見えないが、レイノルズの実家、ドゥラノワ家は伝統ある侯爵家にしてフランソール公国有数の大貴族である。
数百年前、公国独立の切っ掛けとなったカイアネロイの戦いの際、公主を窮地から救い出す為に一騎当千の活躍をみせた初代ドゥラノワ家当主、マクシミリアン・ドゥラノワ。
彼のその忠義と雄姿の姿は今も児童向けの童謡にも歌われる程に有名だ。
現在においてもドゥラノワ家の姿勢はついぞ変わることなく、今も変わらず王家への忠誠と人情を重んじる武闘派貴族として、広く一般市民からの敬愛を集める存在だ。
そんな家の人間である奴ならば先の用意を行う位は造作もない事だろうが……。
相手の人柄を考え最適な準備をするというデートの常識を端からかなぐり捨てたこの所業。
女心が読めないと馬鹿にされても致し方ないと思う。
「貴方がドゥラノワと名乗った時点でもしかしてとは思ったけど……。正直、この馬車を見るまでは信じられなかったわ」
「そりゃあ、どうもね」
「……先に言っておくけど、皮肉じゃないわよ?」
アリシアは至極真面目な顔で言う。
先程確認したが、彼女は俺と同じく新興貴族の家柄だった。
殿上人と言っても過言ではない侯爵家の第三子。
それに向かって間違っても失礼を働く事は許されない、そう考えた上での言葉であろう。
最も、奴はそんな事を気にするような人間ではないと俺は知っているが。
「いや、僕も言葉通りの意味さ。当然、全部の貴族家の子弟が糞とまでは言わないけど、僕はあの御高く留まった様な雰囲気が嫌いだからね」
さらっと言うレイノルズ。飄々としたコイツだが、いきなり雰囲気が変わる。
「それに……僕が大貴族の生まれだからといって媚びへつらったり取り入ろうとしてくる奴ら、ホント殺してやりたくなるよね」
「そ、そうなのね……」
アリシアの表情が若干強張る。
レイノルズは阿呆だが、馬鹿な訳ではない。
大貴族の家に生まれた身として数多の醜い争いに巻き込まれてきた人間だ。
時には過酷な決断を迫られた事もあるだろう。
そしてその身分は、人との掛け値なしの信頼関係を築く為には大きな障害になる。
俺とつるんで馬鹿をやっている時の奴の明るい性分は、その抑圧された精神に対する裏返しでもあるのだろうか。
(おい、抑えろ抑えろ。アリシアが怯えてるじゃないか)
俺が軽く肘で脇腹を突くとレイノルズはハッとした表情を浮かべ、直ぐに笑顔になる。
「まあ、勿論冗談だけどね!兎に角、僕は貴族らしさなんてこれっぽっちも気にしないから、気軽に接してくれて構わないよ!」
「成程ね……レイノルズ君がそう言うなら、私も気兼ねなく話させてもらうわ」
アリシアはそういうと、ふうと肩の力を抜いて笑みを浮かべた。
レイノルズ、女性の顔を凝視するのはやめなさい。
「そういえば、ライラも全く貴族っぽさは無いけれど……、ライラと仲が良いのはそのせいもあるの?」
「それもあるけど……、ライラは貴族云々より、人として色々ぶれているよね?一緒に居るとしょっちゅう面白いことが起きるのが大きな理由かな」
「おい、聞き捨てならない言葉が聞こえた気がしたんだが」
「気のせいだよ」
きちんと聞いたからな?
懸架装置が働いているおかげで殆ど無音なのに、聞き間違えるわけないからな?
言外の圧力をレイノルズに与える俺、それを細目で見ながらアリシアがポツリと呟いた。
「まぁ、でもレイノルズ君の言葉も分からなくはないわ。だってライラは……」
言葉を止め、複雑な顔をする彼女。
先程、薄気味悪い笑みを浮かべたレイノルズに隷属の首輪を嵌めさせられそうになったが、慌てて締め上げた為辛くも逃れる事に成功した。
故に今は変な格好はしていない筈なのだが、一体何が原因だ?
「なんというか、ホントに女子っぽいし……。今も女子が男装しているように見えて仕方がないもの……」
「……可愛いのが悪いっていう言葉が原因で仕方なく引っ張り出してきた来たのに、流石に理不尽じゃないか……?」
俺は今、ブルーに銀地の刺繍が入ったロングコート。
小ざっぱりとした白色のワイシャツ。
ダークグレーに染織された木綿製のズボンという格好だ。
間違ってもアリシアが身に着けているような女子制服の姿ではない。
「だって、出会いから今まで女子制服の姿しか見ていないんだよ?それに、女子と見間違えるぐらいライラは線が細いし……」
「なら、宮廷ドレスでも着て来ればよかったのか?」
「待って。貴方、女子制服のみならずドレスまで持っているの?」
「これに関しては、本当に事情があるんだよ……」
例えばアリシアみたいに俺のことを女と認識しているやつと合わなければならいない時とか……趣味とか。
後者が7割の様なものではあるが。
若干引き気味のアリシアに対し、レイノルズがフォローを入れてくる。
「だけど、アリシア。ライラのドレス姿は必見だよ?」
「そうなの?」
「何しろ、父主催のパーティーに婚約者候補として呼んだら、誰も彼が男だと気が付けなかったからね」
「アレは傑作だったな!レイノルズの婚約者だと言ったのに、俺にしつこく求婚してきた奴まで居たし」
去年の今頃。
レイノルズが成金貴族の性格も外見も醜い娘から婚約を迫られ困り果てていたのを助けた時の思い出だ。あまりにもな事態で、今思い出しても笑いが止まらない。
俺とレイノルズが顔を突き合わせて大笑いしているその様を、アリシアが困惑げに眺めている。
さしずめ想像がつかないといった所だろう。
「そう言えばライラ。実家のメイドが君のドレスを褒めていたんだけど、アレはどこで誂えたんだい?」
「あー、商人街にちょっとした事情で公爵家を追い出された元メイドさんが経営している仕立て屋があってな。手ごろな値段で下手な高級店よりも良い物を拵えてくれるんだよ」
勿論、今着ているこの服もそこで仕立てたものである。
「それ、ちょっと気になるわ……。私の服って騎士団時代に誂えた物が多いから、気軽に使える服が少ないのよ」
「なら、今度紹介するか?俺の服はだいたいそこで仕立てているし、紳士服からドレスまで様々に対応してくれるからな。もちろん色々と変わった店だから万人にはおすすめできないが」
「いっその事、君の杖の修理が終わったら全員で行ってみようか?」
「賛成!……って言いたい所だけど、今日はやめておいたほうが良さそうね……」
すこし表情を曇らせながらアリシアが言う。
何故だろう、と戸惑う俺とレイノルズの様子を察したのか、アリシアは理由を話した。
「ここ数年続いた小麦の不作で貴族や王政に対しての市民感情があまり良くないのは知っているでしょう?その上、今回学園で起こった平民殺し。騎士団の元同期曰く、街の雰囲気は大分神経質になっているみたい」
「そういう事かぁ……。それなら、確かにこの格好で出歩くのは不味そうだね」
レイノルズは自分の服を摘みながらぼやく。
高級な深緑の糸をふんだんに使ったコートに、シルクのシャツ、極めつけにこの車両では、俺達は貴族ですと旗を掲げて練り歩くようなモノだ。
市民たちの中でも取り分け血気盛んな、切った張ったの商人街を歩く様な格好ではない。
「ま、ある程度状況が落ち着いたときには紹介してね?」
アリシアがそう言うって俺に笑いかけると同時に、馬車がガタリと停止した。
どうやら話し込んでいる内にいつの間にか馬車は市街に入り、目的地の杖屋の前にたどり着いた様だ。
「さて…。気乗りはしないけど、ライラの為に偏屈爺さんにご挨拶と行こうかな。」
レイノルズは一つため息を吐くと、ゆっくりと馬車の扉に手を掛けた。