宝石と貨幣
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ラコンデール領。
広大なローヴィシャート王国の領土の中でも特に内陸に位置する、豊富な鉱床を領土内に抱える古い貴族が治める土地だ。
このラコンデール領から産出される鉱石は鉄や銅、銀といった日常でも扱われる物から高額貨幣の元となる金、そして貴重な宝石類まで多岐にわたり、長きに渡ってローヴィシャート王国を支えてきた。
勿論、広大な領土を持つローヴィシャート王国だ。このラコンデール領以外にも必須金属を埋蔵する土地は無数にあるが、このラコンデール領は極めて貴重な金剛石が採掘されることでも知られており、領土全体が利便性に欠ける入り組んだ山地という環境でありながら、一攫千金を狙う商人や採掘者たちが集まることでも有名であった。
「とはいえ、領主の城に近くなれば途端に人が少なくなりますね」
古びた荷馬車の車輪が小石を踏む。柔らかい石は簡単に砕け、散らばった小石が私の腰ほどまで伸びている草原の方へと転がっていく。
さて。西方の海街であるシーディルから長旅を続け、とっくに五月に入った現在。私たちは、馬車が通るからなんとか道路として見えているといった程度の、獣道と見まがうほどの農道を行商の方の荷馬車に乗せてもらい、ゆっくりと進んでいた。
なお、燦燦と降り注ぐ日差しが心地いいのか、ウォーレンさんは先ほどまで舟を漕いでいた。荷馬車は先ほどのような少しの小石を踏んだだけでも強い衝撃がくるのだが、意にも介さず休息に入れるのは特技と呼んでも差し支えないものではないだろうか。今は起きて周囲を見渡しているが。
このラコンデール領の唯一といっても良い大都市、入り組んだこの山岳へ繋がる唯一の道があるサルファニュをひとたび通り過ぎれば、このように開拓の進んでいない古い田舎の風景が延々と広がりだす。瞬きを繰り返す赤い瞳に映るのは、そんな田舎の風景の中では随分と目立つ、廃坑になったのであろう山肌に広がる鉱山の入り口の数々であった。
「あー。おい、行商のおっさん。この先には領主の城の他には小さな村があるだけなんだな?」
「ええ、ええ、そうですよ。しかも、村は一つだけ、その村から領主様のお城までは徒歩で五日掛かる距離です」
「随分と遠いのですね。村には何人程度の方が暮らしているのでしょう」
「あー………年老いた元鉱山労働者と石の鑑定家、あとはその子供たちが細々と暮らしているだけですわな。今は牧畜やら芋の栽培で暮らしているらしいですが、まあ裕福とは言えませんわ。赤子を含めても百を超えることはないでしょう」
「成程。ありがとうございます」
「あ、ああ………気にしないでくだせえ」
お礼を言う私に対する視線は、やはり奇異なものを見る目だ。包帯に覆われた薬師というのはどこに行っても受け入れられるのは難しいのだろう。
「村に着きますぜ。それで、本当にいいんですかい?ここまでってんじゃ城まではかなりありますが」
「お手を煩わせるわけには行きません。普段、商人たちがラコンデール侯爵家に訪れることはないのでしょう?」
「ええ、まあ………基本的に城の召使たちが時間をかけて村まで下りて、ひと月以上の必要品をまとめて買って帰るって感じですわな。私ら商人は城の方々の分も含めて、村に卸してますわ」
「小さな村に運ぶ商品の量じゃねぇとは思ってたが、そういうことか」
ウォーレンさんが見るのは、私たちの背後に積み上げられた大量の食料品だった。干し肉や保存の利きやすい林檎。芋は村で栽培しているためか運ばれていないが、代わりに麦の類は詰め込める量の上限いっぱいまで乗せられていた。
確かに赤子を含めても百人を超えないという村に運ぶには不自然な量である。村を訪れる商人はこの方だけではない以上、ある程度の競争は発生するのだ。大量に物を運んでも売れなければ大損となってしまう。
そこまで思い立った時点でおや、と思い首を傾げる。
「では、村には既にラコンデール侯爵家の方々からお金が支払われているのでしょうか」
商品があろうとも、相手がお金を持っていなければ売ることは出来ない。当然のことではあるが、この小さな村ではツケといった支払方法は出来ないはずだ。
そもそも大都市サルファニュから村までも、数日かかる距離である。お金だけを受け取るために行き来できる距離でもない。行商人は商品を遠方で安く買い、移動先で高く売ることによる差額で利益を得るという構造上、支払いを待つという事は基本的に難しいというのもある。
そう言った観点から、この方が支払いを受け取るためには、既に村にラコンデール家の方々から資金を供給されていなければならないのは推測が出来た。
一応、支払った金額で村が領主に対し支払う税金を立て替えるという手段もとれるだろうが、裕福とは言えない村では城に暮らす人々のひと月分の生活必需品全てを代わりに購入しておくという手は不可能だろう。
「ええ、毎回。まあ必ず貨幣で支払われるってわけではないですがね」
ローヴィシャート王国は王国独自の貨幣を持つ。自国で鋳造し、流通させているものであり、国内だけではなく国外でも使用可能な場所もある。これは自国で貨幣を発行しなかった国家が、ローヴィシャート王国の貨幣を輸入して使用しているためだ。
貨幣の名はロウン。金貨と銀貨、そして銅貨があり市民の間に流通しているのは基本的に銀貨である。銅貨は補助貨幣としての扱いが強く、金貨は高額すぎるために国家間の取引でしか出てこない。
しかし。これを前提と置いたとしても、ローヴィシャート王国の地方に行けば物々交換で成り立っている場所も存在している。
「貨幣じゃねぇときは何で支払われてんだ?」
「そりゃあ、宝石ですわ。ラコンデールの宝石産業は今でも変わらずの高品質ですからなぁ。緑柱石や柘榴石、運が良ければ金剛石で支払われます。昔は鉄やら銀やらを買ったり、交換したりしてたみたいですが、最近は鉄鉱石を掘る労働者がめっきり減っちまって、採掘自体が難しいみたいです」
「おや。ここから見える廃坑の数々は、単純に鉱脈が枯れたわけではないのですね」
「いやまあ、枯れたところもありますがね。歴史が長いだけあって、枯渇もしますわ」
「何故労働者が減少してしまったのでしょうか」
「いやぁ、それは流石に知りませんなぁ………と。つきましたぜ、お二人さん」
遠目に見えていた村へと行商人の荷馬車が到着する。
私たちはお礼を言いつつ荷台から降りると、彼から数日分の食料類を買い込みつつ、それとは別に銀貨を数枚支払った。
「あらまぁ、ありがとうございます」
「いえ。こちらこそ助かりました。もしかすれば帰りもお願いするかもしれません。その時にはまた」
「ええ、ええ!!ぜひご贔屓を。では、私は商売をしてきますわ。お二人さん、良い旅を」
静かに腰を折り、村の中央部に荷馬車を牽いていく行商人の男性を見送る。
「馬でも借りれりゃいいんだがな」
「この村では馬匹は貴重な労働力だと思われます。恐らく無理ではないでしょうか」
「だよなぁ………歩いていくか」
「はい」
どこまでも続くような山脈の峰々のその向こう。疎らに生える木々を抜けた先に巨大な建造物が見える。
ラコンデール侯爵家の所有物である、ラコンデール城だ。川によって削られた崖沿いに立つ姿はどこか、孤独と冷たさを同居させたような印象であった。
ブーツを始めとした装身具の点検を終えると、村の外へと歩き出す。あの遠い古城に向かって。




