ラコンデール領からの依頼
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シーディルの街の南、フラヴィアの住む薬屋がある、娼館等も立ち並ぶ貧困街。
そこを勢いよく走る影が一つ。帽子では押さえきれない、長身にたなびく見事なキャラメルブロンドは緩く曲線を描き、髪の持ち主と同じように元気よく跳ねていた。豊満な胸にくびれのある腰、形のいい臀部と非常に整った体型を珍しい衣装の数々が包む。。
上は長袖の白いブラウスだが、左右にスリットが入っており、それぞれを臍より少し上で止めているために腰つきが良く見える格好となっていた。下はなんとローライズの黒いスラックスで、形のいい臀部をさらに強調している。足元はバックル付きの赤茶色のジョッキーブーツ。 首元には本来喉を守るための防具であるクラヴァットを巻き付け、船を模した真鍮製のブローチが付けられた二角帽が髪の上に乗せられていた。
一見は大人しそうに垂れた瞳の形の奥にある、翠に近い色合いの瞳が動く度に陽光を反射して、その人物の本質はかなりのはねかえりであることを知らせていた。
「お、お嬢様!!おまちくださ―――おいこら、待てっつってんだろお嬢様!!???」
「ごめん急いでるから無理よぉ!!」
「畜生このじゃじゃ馬はもう!!」
武装したお付きの女性を置いてけぼりにする程の脚力で走り抜け、向かうのは薬屋の扉。全てはあの愛くるしい、妹のような存在に合うために。
「フラ~ン!!ただいまぁ、戻ったわよぉ~!!」
―――フラヴィア・リフティスノーラ。親交のあった、薬屋の前店主の忘れ形見。私がフランという愛称で呼ぶ、特別で透明な美しい少女。扉を思いっきり開け放ち、飛びついた私を見て、フランはいつもと同じ口調で言った。
「おかえりさないませ、マルシェ様」
周りの目も気にせず、私はフランを胸元に引き寄せると頭を撫でた。
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ステラさんの事件を解決し、このシーディルの街へと戻ってから数日が経った。暫く薬屋を留守にしていたために止まっていた処方薬や、不足した材料の調達などを終えた私は、いつも通りの日常へと戻っていた。いや、いつも通りとは少し違うかもしれない。
ウォーレンさんが薬屋にいることが多くなった。曰く、護衛任務の期限を言われていないため、金を貰っている間は護衛を続けるそうだ。
「ま、お前さんが危なっかしいってのもあるがね。せめて次はきちんと護衛させろよ?」
との談。危なっかしいという評価はよく分からないが、特に困ることもないのでそのまま護衛をお願いしていた。東洋の薬の調合法に関する書物を開き、新たな薬の知識を深めていると店の外から誰かの叫び声と、硬いブーツのものと思われる足音が聞こえてきた。
「あ?なんだ、この声………?ああ、あいつか………」
反応し、納得し、椅子に座りなおしたウォーレンさんを横目に見つつ、私は本を閉じた。
直後、扉が開いて美しい金色の髪を持つ妙齢の女性が店内に飛び込み、私を抱きしめる。
「あ~、フラン!会いたかったわぁ。元気してた?あ、ノヴァリス家に行ってたんだっけ。大丈夫?怪我してない?病気も平気?」
「はい、マルシェ様。問題ありません」
「いい加減お姉ちゃんってよんでよぉ~!………あ、ちょっといいことあったのね。いつもよりいい顔してるわよ、フラン」
「はい。お友達が出来ました」
「うんうん、それはよかったわぁ!」
「―――いい顔?何言ってんだ、お前」
「あら、ウォーレン。いたのねぇ。貴方も元気してる?」
「ああ、まあな。つうかお前が俺を護衛に雇ったんだろうが………」
ひとしきり私の髪を弄んだあと、ウォーレンさんの方を振り向き挨拶をする女性。
この人が、マルシェ・メディリアスだ。このシーディル街の中で最も栄えている商家の一人娘であり、自身も主に海路を利用した他国との取引を行い、幾つもの大きな販路の開拓を成功させている才女である。師であるティルスが亡くなって以降、私の愛称であるフランという名を唯一使う女性でもあった。
「じゃじゃ馬お嬢様!!ふぅ………はぁ………一人で、出歩くなと………はぁ………」
「あ、やっと来たのね、シャルダ。そうそう、これお土産よぉ」
息も絶え絶えになっているお付きの女性から、木箱を受け取ると、その中身を私に渡す。
中にあったのは、半透明の液体が入った硝子の小瓶だった。
「これは?」
「ふふ、これはね………美人の水、幻の天羅水よぉ!東の国の方に寄った時に頂いたの。きちんと防腐処理してあるみたいだし、化粧水として使ってねぇ」
「なるほど、ありがとうございます。ですが、私に不要かと」
「そんな事ないわ、だってフランは可愛いもの。しっかり化粧すればもっと綺麗になるわぁ」
天羅水とは、糸瓜から作られる民間薬の事だ。実が熟す頃、糸瓜の茎を地上五十センチ程度のところで切り、雨水が入らないように根の方の切り口を瓶に差し込むと、一昼夜で葡萄酒の瓶二つから三つ分程度の水が獲れる。これを煮沸、濾過した後、高純度になるまで蒸留を繰り返した酒などと混ぜると天羅水が完成するのだ。
痰を切るために含嗽剤として使ったり、硝子の原料でもあるほう砂を混ぜることでヒビや霜焼けに効く塗り薬としても使うことが出来る。とにかく肌に潤いをもたらす性質があるのだ。
「仕事先とかでも、使ってくれると嬉しいわぁ」
「わかりました。ありがとうございます」
小瓶を机の上に置くと、改めてマルシェ様に向き直る。
「それで、本題はなんでしょうか。他にも何か、私に用件があってきたのですよね」
「あら、ばれてたのねぇ。まあ私としてはフランに会いに来たのも本題なんだけど、とりあえず………はい、これよぉ」
彼女の腕から差し出されたのは、丁寧な文字が描かれた一枚の羊皮紙だ。やや古めかしい言い回しの文章の最後には、交差する剣をモチーフとした印章が押されていた。
さて、文章の方を要約すれば、記されている言葉は大した内容のものではない。
「これは往診依頼でしょうか。この印章は確か、ラコンデール侯爵家のものでしたね」
「………流石、詳しいわね、フラン」
マルシェ様が私の座る椅子の前に立つと、しなやかな動作で胸の前で手を合わせる。
その瞬間に彼女の纏う気配が大きく変わり、今までのおっとりとした口調が掻き消えた。
「仕事だからね、口調は分けさせてもらうわ。フランの言う通りこれはラコンデール侯爵家からの正式な依頼よ。私が内陸での販路を開拓している最中に頼まれたの。明確に受けるとは言っていないけどね」
「おいおい、待て待て。侯爵家なんだろ?お抱えの医師やら薬師やらがいるんじゃないのか?」
ウォーレンさんの疑問も尤もではある。
ラコンデール家は私の記憶のままであれば古くから続く名家であり、中央の王制から派遣された領主ではなく、古来からその土地を収める昔ながらの貴族としての在り方を保っている一族だ。
近年、力を失った大貴族が没落する中で今も尚そのような力を持っていられるのは、彼の一族の土地が質の良い鉄鉱山を多く有していたからである。
「ラコンデール家の邸宅は最寄りの村から遠く離れているらしいわ。それこそ、往診するには行くだけで数日掛かるほどにね。村にも医師は少ないの、とても邸宅に拘束は出来ないわ」
「なんて利便性の悪いところに住んでやがるんだ………馬鹿か?」
「城としての設備を兼ね備えているのよ。まあ、時代遅れの古びた産物だそうだけどね」
「………ああ、そういうことか」
本来、城というのは防衛を理念として建設されている。川沿いや崖沿い、深い森の中や山の上に立てられることが多いのはそれ故だ。
これが城塞となるとより戦うためだけに存在する砦としての要素が強くなるが、城であればあのブレーズ伯爵が居住していたように、住む場所としての役割を併せ持つことが多い。
「それで、フラン―――」
「分かりました。ラコンデール領は内陸の山間部の領地ですね、シーディルからは距離があります。薬は作り置きしておきましたが、不足した場合は対処をお願いします」
「………まあ、貴方なら受けるわよね。はぁ、ちょっとお姉ちゃん心配だわぁ」
立ち上がり、一礼すると奥の部屋へと戻り、準備を行う。
助けを求めているのであれば、駆け付けて助けなければならない。これは私のやるべきことだ。
「何か心配事があるようだな、マルシェ」
「ラコンデール家は昔から一族の人間が表に出てこない引きこもり一族として有名なのよぉ。良く分からない一族を相手に、大切なフランを送りたくなんてないわぁ。それに、鉄鉱産業も最近はあまり振るっていないようだし」
「………商人の感か?」
「お姉ちゃんの感でもあるわぁ」
「あー。そうかい」
薬草箱に必要な道具を仕舞い、先程貰った天羅水も収納する。そして話し込んでいるお二人の元に戻ると、視線が向けられた。
机を超えて一歩こちらに踏み込んだマルシェ様が、優しく微笑む。
「でも残念だわぁ………折角戻ってこれたのに、もうフランと離れちゃうなんて」
「申し訳ありません、マルシェ様。ですが、私はどうしても―――」
「ふふ、冗談よぉ。いいの、分かっているわ、フラン。………でも、ちゃんと無事に帰ってきてね?お姉ちゃんとの約束よぉ、破ったら怒るんだから」
「はい。必ず」
マルシェ様は、私と別れるとき必ずその約束をする。帰ってきてという約束を。それに頷くと、戴冠のように黄色いリボンの巻かれた麦わら帽子を被せられ、髪に優しく触れられた。
「あとは色々とやっておくわぁ。行ってらっしゃい、フラン」
「はい。行ってきます、マルシェ様」
―――今日も、私は旅をする。心を知るために。




