悪夢の果て
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一体どれ程の年月が経ったのだろう。昼も夜もないこの部屋ではそれすら分からない。
全て灰白に変わった髪は、臀部あたりにまで伸びていた。加虐候の執拗な拷問にも拘らず、私はあの日以降悲鳴を上げることも、表情を変えることもなくなっていた。最初に居た子供たちも皆いなくなり、気が付けば地下室の子供達の中で私が最年長である。もっとも、身体は殆ど成長できず、背丈に差はほとんどないのだが。
最早服すらずり落ちてしまう程痩せ細った私は、ある日乱暴に牢屋から連れ出された。
加虐候の姿はない。だが、連れ出される理由は分かる。ようやく、私は終われるのだ。完全に壊れた娘を加虐候は嫌う。私がどうしようもなく破損したことを理解した彼は、私を処分することに決めたようだ。門の近くまで連れて来られると、弱った聴覚が私を連れ出した男たちの声を微かに聞き取る。多くは認識できないが、それでも私を殺すのが面倒だという言葉だけは理解できた。結果、私は一人で衣服も食べ物も与えられず城の外へと放り出された。加虐候は殺せと命じたのだろうが、男たちは勝手に私が死ぬと思い、手を抜いたのだろう。かつてあの部屋の中でも、そうして城の前に打ち捨てられた少女たちがいたという話を聞いた。
命令違反をした男たちは、私を打ち上げられた魚を見るような瞳で射抜いた後に、城の中へと戻っていく。鉄扉が閉ざされていく様子がゆっくりと、私の両眼に映った。
凍てつく雪の冷気が足を襲う。それを気にも留めずに周りを見れば、遠くの方に街が見えた。
とりあえずあちらに向かってみようと思い。裸足の足跡を残して城から遠ざかる。
生理反応、寒さで身体が震えだす。すっかり色の抜けた私の髪のような空から、ふわふわした雪が降り注ぐ。………街はまだまだ遠い。ああ、でもこの景色は綺麗だ。
仮に街についたとして、特に何が出来るわけでもないのだが。精々が解体されて肉として売られるくらいだろう。だが、生きていても死んでいても今の私に大差がない。
栄養不足の身体が悲鳴を上げた。足が縺れ、雪の中に倒れ込む。ブレーズ伯爵の居城である山は下りたのか。街と城の中間辺りで私は限界を迎えていた。まばらに民家が立ち並んでいるが、どれも大きな屋敷ばかり。恐らくは名のある商人の家だと思うが。
「………眠い………姉さん………」
寒さは命を奪う。眠りに落ちれば二度と目覚めることはない。それを理解していてもなお、抗うことのできない眠気が死神の如く私の身体を包もうとしたその時、私の身体を影が覆った。
「最後の仕事を終えてみれば、随分と厄介なものを見つけてしまいましたね。………黄金の瞳に紅の眼とは。―――兎に角、立てますか」
焦点の合わない視界で見えたその影の主は、長い年月を感じさせる総白髪を持つ、深い叡智を碧い瞳の奥に宿した老婆だった。
手に持っている大きな箱の中から布を取り出し、手際よく身体に巻き付けると、老婆は私の身体に無数に刻まれた傷痕を見て顔を顰めた。
「まともに治療もされていない傷痕………裂傷、火傷に刺突傷、鞭による皮膚の損傷に刀傷ときましたか。首元には圧迫痕、手の縄の痕に、これは足枷による擦り傷ですね」
見ただけで傷の原因を察して見せた老婆に問いかける。
「お医者様、でしょう、か」
「違いますよ、私は薬師です。ああ、自己紹介がまだでした。私はティルスと言います。ここより遥か西の地で細々と薬屋を開いている人間です」
「ティルス………?………私は………フラ、ヴィ………ア………」
目が掠れ、意識が薄れる。その中で私は無意識にティルスと名乗った老婆の手を握っていた。
「フラヴィア、ですね。………決めました。貴女は、今から私の娘です」
そんな言葉が聞こえて、私の意識は消えた。
―――そして、ここで夢は終わるのだ。この後、私は三年ほどの期間をかけて師であり親代わりであるティルスから薬草の知識を学び、薬師として生きる道を選んだのだが、この過去の追想という、私の奥底に刻まれた深い恐怖からくる夢では、それを見ることは叶わない。
………ここまで見たということは、もうすぐに目は醒めるだろう。
起きたのならば、また私は探さなければならない。あの部屋の中に置いて来てしまった、感情の数々を。姉さんが好きと言ってくれた、笑顔の作り方を。
例えもう、大人になったら一緒に月を見るという、あの約束を果たすことが出来なくても。
だって、それだけしか私にはできないのだから。………さあ、目覚めよう。
感情を知るために、心を知るために、一日を始めるのだ。
この作品は過去に書き、そのまま眠らせていたものを投稿したものになります。
なので投稿できるのはここまで。
もし続きを望まれる声が多ければこの先も更新を続けていこうと思います。




