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フラヴィア・リフティスノーラの薬草箱  作者: 黒姫双葉
二章 記憶という傷痕
21/27

リフティスノーラの名と最後の日


***




「ありがとうございました」

「………ふん」


今にも舌打ちをしそうな勢いで、教育係の男性が灰色の部屋を出ていく。私はそれを見て肩の力を抜き、刃が潰された剣を鞘へと戻した。

月見の夜から随分と時間が経った。私たちはもうすぐに七歳の誕生日を迎える頃になり、近頃は姉さんはデビュタントの準備のため、ドレスを仕立てたり靴を作ったりと大忙しだ。

忙しすぎて今年はあの月を見れなかった。………ううん、それを残念がる時間はない。いつか姉さんの隣に立てるよう、日々の努力を重ねなければいけないのだから。並び立つことが出来た時に、存分に月を見ればいいのだ。


「でも、どんなに頑張っても教育係の人の対応は変わらないなぁ………」


姉さんの助言の後から私は教育係の人から怒られることは少なくなった。姉さんに比べればまだまだだが、言われた通りしっかりと見てみれば驚くほどに学べることは多いことに気が付いたのだ。顔色ばかり窺っていた頃の私には気づきようもなかっただろう。

だが、どれだけ頑張っても、成績を今まで以上にあげても教育係の人たちは苛立ちを隠さない。出来ても出来なくても同じだ。私と接していること自体が嫌なんだと思う。

成績が少し上がって、叱る理由がなくなっただけ。私が嫌われている事実に変わりはない。

今もこうして剣術を学び、及第点以上の成績を何とか出したが褒められることすらなく、教育係の男性は立ち去ったのだから。

流石に溜息を吐きながら後片付けをしていると、ふいに扉が開き、声を掛けられた。


「フラヴィアはいるか」

「………え?あ、はい………?」


知らない女性だ。若い風貌だが立ち振る舞いには老練さを感じさせる。腰に銀色に輝く剣があることから騎士に関係する人なのだとは思うが。


「………オレステス様がお呼びだ。夕刻七時に執務室に顔を出すように」

「執務室、ですか………?」

「返事はどうした」

「は、はい!分かりました、その時間に向かわせていただきます………」


声はお父様に似てとても鋭かった。思わず背筋が伸びる。簡潔に用件だけを伝えると、その女性はすぐに扉を閉め、去っていった。お父様が私を呼んでいる………?

今までなかったことだ。私を執務室という、リフティスノーラ家や王宮に関連する仕事をするための場所に訪れさせるということ自体が無かったのに。


「なんか、ちょっと………嫌だなぁ………」


じわりと胸の奥に沁みつくような………とても嫌な予感がした。





***




指定された夕刻七時、その五分前。私はリフティスノーラの屋敷の執務室前に居た。

日は沈み、しかし月と星の光は雲に遮られて届かない。代わりに蝋燭の灯火が私を照らす。


「失礼します、フラヴィアです」


ノックは四回。姉さん相手には三回だが、お父様はきっと親しい間柄の人間が使うそのノックの回数を私が使うことを許さないだろう。


「入れ」

「は、はい………」


音を出さないように扉を開き、シャンデリアが照らす部屋へ入れば執務室中央、机の前にお父様が。そのすぐ横にお母様が立っており、他には軽甲冑に身を包んだ騎士が数人詰めていた。

全員が威圧するような瞳で私を射抜いており、緊張で汗が垂れる。


「えっと………用件は、なんでしょうか………」


そういうと、お父様は感情の無い瞳と声で会話を始めた。


「貴様はもうすぐに七歳を超えるな」

「は、はい」

「では、既に婚約可能年齢とみなしていいだろう。明日、北の伯爵の元へ嫁がせる」

「………え?」


………何を、言っているのだろうか。


「いえ、明日………?そ、それ以前に婚約なんて、そんなこと聞いていません………!」

「言う必要があるか?貴様は、偶々意志を持っただけの玩具にすぎん。今まではアステリアの遊びの相手として使っていたが、もうあれも人形遊びをする年齢でもないだろう」


話していることが全く理解できなかった。


「故に、伯爵へと払い下げる。あの男は贄を与えておけば王国に有益を齎す。貴様のような使い道のなくなった人形でも、使い方によっては最期まで役には立つということだ」


剣が抜かれ、騎士が移動する。私の後方の扉が閉じられ、逃げ場が消えた。


「待ってください!い、嫌です!私、姉さんから離れたくない………!だって、まだ約束が………ッ?!」


お父様に近づこうとした瞬間、目の前を抜き身の剣が横切った。騎士が剣を振り下ろし、私がそれ以上お父様の方へ近づくのを阻止しているのだ。


「どうか………一生のお願いです………やめて、ください………!どうか!!」


床に這いつくばり、深く頭を下げてお願いする。振るえる身体は恐怖による物だろう。私の全てである姉さんから引き離されるという恐怖が、私の身を焼いていた。


「貴様の一生の願いとやらを、どうして私が聞く必要がある」

「………ぁ、ぇ?」


―――ああそうか。お父様の瞳には、私は最初からいなかったんだ。


「家畜が泣き喚いたところで、屠殺される結末に変わりはない。目障りだ、黙れ」


この言葉がすべて。私はリフティスノーラの人間ではなく、ただの家畜、ペット………姉さんが愛してくれたから今まで生きていただけの、愛玩人形。

雫が零れる。白く濁る視界を、ずっと静かに話を聞いていたお母様の方へと向けた。何故そちらを見たのかは分からない。ただ、最後に母親の愛を期待していたのかもしれない。

だが、返ってきたのはお父様と同じ視線だった。

お父様が指を鳴らすと、騎士たちが私を取り押さえる。


「いや、いや………ッ!!!」


暴れるも、剣を突き付けられたため殆ど動けなくなった私は、思わず叫んでしまったのだ。


「助けて………助けてよ、お母様………!」


お母様の顔から表情が抜け落ち、すぐさま憤怒の形相へと変わる。私を取り押さえている騎士たちの一人から鞘に納められたままの剣をひったくると―――それを、私の背中に向けて容赦なく、全力で振り下ろした。


「………ぃッ?!」

「誰が、お前の母親か!!私はお前など産んではいない!家畜が図に乗るな!!!!」

「ひ、ぎ?!いっ、ごめ………ごめんな、さい!!!ごめんなさいいいいい!!!!」


背中、腹、手足。降ろされ続ける剣は私の身体を壊し、鞘には血が染みついていた。


「ごめんなさい………ごめんなさい………ごめんなさい………ごめんなさい………」

「はぁ………はぁ。取り乱したわ、申し訳ないわね」

「………問題ない。その剣は捨てておけ、穢れた血が付いている」

「ええ、そうしますわ、オレステス」


頭上で交わされる言葉には、やはり私はいなかった。押し寄せる痛みに耐えながら、「ごめんなさい」を繰り返していると、無理矢理に起こされ別の部屋へと移動させられる。

騎士の指が打たれた箇所に触れ、痛みが増すが騎士たちが気にする様子はない。

押し込められた狭い部屋の中には、白いウェディングドレス。肌を殆ど覆い、顔も大部分を布で隠すその形は、どちらかと言えば喪服を思い出させる造形だった。

数人の、男性も交じった使用人に強制的に服を脱がされ、あまり大きさのあっていないそのドレスを被せられた。さらに香水を振りかけられ、化粧が施される。

最後の服、最後の衣装。これは私の死化粧なのだろうか。灯火に照らされた青白い顔は、確かに死人のようだったが。


「………最後に、姉さんに会わせてください………お願いします」

「お嬢さまは王都へと出向いている。数日は帰らない」


だからこの日を選んだのか。姉さんがいたら絶対に止めるだろうから。

使用人に促され、屋敷を出る。見るのは最期になるであろういつもと変わらない大きな扉を出れば、何の模様も装飾もない、黒い板を無骨に張り付けただけの有蓋馬車が止まっていた。


「乗れ」


もう抗っても意味がない。そもそも、姉さんがいないのであれば………抵抗しても痛いだけだ。お別れを言うことも出来ないのだから。

硬い椅子に腰を下ろし、外の景色を見ることすら叶わない小さな窓に視線を向ける。姉さんと離れたら、私はどうすればいいんだろう。何もできないただの欠陥品なのに。

―――婚約相手。ああ、顔も名前も知らない私の旦那様。その人に合えば、分かるだろうか。


「この家から離れれば、幸せに………なれるかな………」


扉が閉まり、棺桶のような馬車は私を乗せて動き出す。………ここから本当の地獄が待ち受けているということすら知らずに。

これが、この屋敷での私の最後の記憶だった。

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