潰落
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「は、はい………今日も、厨房を貸して頂けると………あ、ありがとうございます………!」
おおよそ半月程度の時間が経過しただろうか。ようやく十分な量の砂糖が手に入った私は、家の使用人の方々に頼み込んで厨房を使わせてもらっていた。朝食などに出る紅茶の砂糖を少しずつ集めていたのだが、元の量があまり多くないためやはり時間が掛かってしまった。
もう暦は九月に入っている。徐々に庭園の木々は色づき初め、よく通る金木犀の通路も、強い花の香りが漂い始めていた。
「作り方は本で読んだし、大丈夫。というか料理の授業もあったし」
お菓子は作らなかったが、基本的な料理の作り方は叩き込まれている。例によって姉さんがいないと落第だったのだが、それはとりあえず置いておこう。
リフティスノーラという名家においても、厨房の構成はほかの家とそうは変わらない。火事の危険性を排するために、人の生活する広間など主要な場所から離れた一角に作られた厨房室の中には、複数の巨大な暖炉が壁際に設置されており、その内部に端が調理用の鉄板になっている薪台が置かれている。その鉄板により、鍋などをそこに設置して料理が出来るわけだ。
あまり無駄を好まないリフティスノーラ家でも厨房に詰めている人間は多く、食事時になれば十数人は忙しなく動くのだが、今は食事の片付けも終わった空白時間。殆どの人は休憩に出ており、その他の人も外で下準備をしているため、中には誰もいなかった。
他のハウスメイドたちは外で掃除などの家事仕事をしているが、厨房には入ってこないだろう。使用人たちは基本的に私に関心がない。
「でも、おかげで厨房を何も言わずに貸してもらえた………」
鬱陶しそうな視線は感じていたが、今は見ないふりである。それよりも時間が無限にあるわけでは無い、速く作ってしまわないと。実をいえば、既にシロップ自体は作ってあるのだ。レシピは時間がかるだけで単純である。水と砂糖を煮詰め、塵や茎を取り除いたエルダーフラワーの花、レモンの果汁と皮を投入し一日置く。そして出来上がったものを清潔な布でしっかりと漉し、別の容器に移せば、別名コーディアルともいわれるエルダーフラワーシロップの完成だ。 シロップ自体はたったそれだけで作れる。駄目駄目な私でもほら簡単。
これを紅茶に入れても十分美味しいのだが、私は姉さんのためにシロップを使った別のお菓子を作ろうと思い、厨房を借りているのである。
「材料は、卵、砂糖にシロップ、小麦粉………あとバター」
これらも許可は貰っているため、多少であれば自由に使える。恐らく四人分は作れるはずだ。
「マドレーヌ。ふふ、姉さん喜んでくれるかな………?」
姉さんは私の前だとリスのように口いっぱいにお菓子を頬張るので、とてもかわいい。
もし、余ったら―――そうだ、お父様やお母様にもお裾分けしよう。
そんなことを考えながら、卵を溶き、湯煎する。普通ならばここに砂糖と蜂蜜を投入するのだが、今回はシロップがあるためその二つは不要である。もう一つ、海を超えた先の国で手に入るバニラ果とお酒を材料に作られるバニラエッセンスを少量入れて、人肌まで温めた。
湯煎から上げると、泡だて器でひたすらにかき混ぜる。私はお母様の性質を強く注いだのか姉さんと違って身体はあまり強くないが、剣術や馬術なども学んでいるため基礎的な体力は付いている。このくらいなら余裕、というか重い剣を振るうよりはずっとましだ。
まぜ終わったら小麦粉をふるい、木べらでさらに混ぜる。小さな鍋で温め、液状になったバターを加えたら、ケーキ型に流し入れる。冷暗所で生地を寝かした方が美味しいらしいが、そこまで時間がないのだ、ごめんね姉さん。
焼き時間は十分から十五分の間。火の調整が難しい暖炉なので、焼き加減を逐一確認しながらになる。必然、時間もそれによって異なってしまう。調理するときの難点だ。
「あ、ちゃんと膨らんでる。………よかった、私でもちゃんと作れてる」
本に書いてあった通りにやっているため、私の功績でも何でもないのだが、ちゃんと作れたことはやはりうれしいものである。知らずのうちに笑顔が浮かんでいた。
一人当たり二つ分、つまり八つのマドレーヌが小麦色に焼き上がる。暖炉から取り出して調理台の上に並べ、自分の分を齧ってみればきちんとしたお菓子の味だ。
甘みは少し薄いかもしれない。でも、エルダーフラワーの香りが良い風味を出していた。
「やっぱり、焼き立てが良いよね、多分………姉さん、部屋にいるかなぁ」
なにかと忙しい人なので、あと好奇心旺盛な人なので、部屋にいないことも間々ある。
………まあ、とりあえず行ってみてから考えよう。火の後始末や片づけを手早く済ませ、籠にマドレーヌを移し替えると私は厨房から出た。
「………う」
清掃作業をしている使用人たちの目がこっちを向く。じろりと睨むように私を射貫くそのたくさんの目から、作ったマドレーヌを隠すようにして姉さんの部屋へ向かっていると、非常に特徴的な、恐ろしい程に規則的な足音が聞こえてきた。
その音が聞こえた瞬間、自然と身体が震える。………この音は苦手だ。
「おとう………オレステス様。おはよう、ございます………」
通路の角を曲がってきたお父様は、家畜でも見るような瞳を私に向けると、その隻眼を動かして私が持っている籠に視線を向けた。
「なんだ、それは」
「は、はい………マドレーヌ、です………ねえさ―――アステリア様に差し入れようかと」
姉さんと言おうとした瞬間、表情が歪んだので急いで修正した。お父様との会話はお母様以上に気を使う。私が家族の一員のように振る舞うのを誰よりも嫌っているためだろう。
「………差し入れだと。よもや貴様が作ったのではあるまいな」
「………?はい、そうです………あの、エルダーフラワーの花でシロップを作ったので………それを使ったものを、自作しました………」
緊張で舌の周りが悪い。途切れがちな言葉を紡ぎながら、籠の中に手を伸ばす。
「も、もしよければ、味を見て頂けたら嬉しいのです、が………」
八つあるマドレーヌの一つを取り出すと、お父様に差し出した………が、いつまでたってもそれが受け取られることはない。マドレーヌに向けられているのは気持ちの悪いモノを眺める嫌悪の顔。そして、ようやく手を伸ばしたお父様は―――大きな音が鳴る程の勢いで私の手を叩き、握っていたもの諸共に弾き飛ばしてしまった。
「………え?」
あれ、私。いま何をされた?
床を見れば、叩きつけられ、さらには転がって形の崩れたお菓子の残骸。
「我が娘はやがてこの家を継ぐことになる、まごうことなき天性の才を持つ子だ。そのアステリアに貴様のような穢れた人形が直に触れ、作ったものなど与えられるわけがない」
「穢れ………た?」
「我が血を持ちながら一族の特徴を持たないのは貴様という存在が穢れているからだ」
手袋に包まれた長く、太い指が私の頭を掴み、後方へと突き飛ばす。その衝撃で籠が地面に落下し、中に入っていた他のマドレーヌも全て、床へと散らばった。
「貴様は本来、この家に存在してはいけないものだ。この国の未来を担うアステリアと必要以上に触れ合う事など許されない。貴様はただの人形だということを忘れるな」
そういって、お父様は………床に散らばったお菓子を気にも留めず、蟻のように踏みつぶしながら去っていく。途中、使用人がお父様から私に触れた手袋を回収し、掃除用の屑入袋へと捨てているのが見えた。
「あはは馬鹿ねぇ………旦那様と奥様から相手にされないからって今度は姉のアステリア様に胡麻をすっているのかしら?そんなことをしても意味ないのに」
「一応、旦那様にあれが勝手に厨房を使っていると報告しておいて正解だった。何が入っているかもわからないものをお嬢さまに食べさせるわけにはいかないからな」
クスクス、ケタケタ。へたり込んだ私に冷めた目が向けられる。
―――そんなつもり、なかったのに。ただ、食べてほしかっただけなのに。
「ああ、そうだ。きちんと掃除しておきなさいよ。お前が汚したんだからこの通路全部をね」
メイドが私にそういって、箒と塵取りを放り投げる。その顔は、皆が私に対して浮かべる”何をしてもいい人間”に対しての表情で、意図的に足を動かし、既に踏みつけられたお菓子の残骸をさらに上から踏むと笑いながらどこかへと消える。
私に仕事を押し付けることが出来たので、休憩する気なんだろう。
「………なんか、いたい………」
視界が滲む。腕でそれを擦り取ると、疼痛を発する胸を押さえながら、私は自分で作った、お菓子だったモノを片付け始めた。酷く、惨めな気持ちを感じながら。




