夢、或いは過去という名の悪夢
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「ねえ、フラヴィア。フラヴィアはどんな夢があるの?」
「………夢?」
「そう!どんな大人になりたいか、みたいな感じよ」
「………姉さんと一緒に居れれば、なんでもいい、かな」
「もう、可愛いなフラヴィアは!!!」
………懐かしい夢を見る。まだ私に感情があった頃の夢を、見る。どんなに時間が経っても忘れることのできない過去を。この目からは逃げられないとばかりにまざまざと見せつけられる。今の私には、この時に感じていたことを思い出すことすらできないのに。
「アステリア様、勉強のお時間です」
「あれ、もうそんな時間か。………じゃあね、フラヴィア。そっちも頑張って」
「う、うん………頑張る」
そういって、アステリア姉さん―――私の双子の姉は、多数の執事やメイドたちに連れられて、白亜の建物の中へと消えていく。
残されたのは”金色”の髪に、凶兆を示すという紅い左目と、リフティスノーラの一族の象徴の一つである黄金の瞳を右目に宿した幼い少女、つまり過去の私だけだった。
「………私も………行かないと」
敷地の中に存在する庭園。水が引かれ、噴水がある広間は腕の良い庭師によって手入れされ、夏の終わりが近づいているのも気に留めずに花や樹々が美しく咲き誇り、まるで植物園の様相を呈していた。奥には蕾を付け始めた金木犀の生垣によって作られた通路があり、それを超えればもっとたくさんの植物が生えているのだが、残念ながら向かう場所はその反対側だ。
重い足を引き摺るようにして、記憶の私は姉さんとは別の建物へと一人で歩いていった。
―――この夢は、私が感情を失うまでの場景。呪いにも等しい、忘れることのできない物語。
視界が割れて場面が切り替わり、そして………過去の追想が始まった。
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リフティスノーラの一族。このローヴィシャート王国の創造神にして、守護神である女神の血を引くとされる、王国でも屈指の血筋と歴史を持つ貴族。
私はその一族の、どうしようもない欠陥品として、この世に誕生した。
リフティスノーラは女神と同じく、太陽よりも眩く輝く黄金の瞳と、夜空を彩る星の大河よりも美しい白銀の髪を持って生まれるのが常であった。
迎えるのが他家の婿でも嫁でも変わらず、リフティスノーラの一族の特徴は代々必ず発現し引き継がれ、今日に至るまで継承され続けてきた。私という例外を除いて。
同時に生まれた双子の姉とは違い、私はこの国では特に珍しくはない、何の変哲もない金色の髪を持って生まれ、もう一つの特徴である瞳も片方だけしか現れなかった。
さらにもう一つ。リフティスノーラの一族は、見た目以外にも多方面に対して広く、そして深い才能を持って生まれると言われているのだが、その才能も私には引き継がれなかった。
「あっ………!?ご、ごめんなさい………」
「―――はあ………何度間違えれば気が済むの、あなたは」
音の外れた音色が、灰色の室内に響いた。ピアノの鍵盤に置かれた指が震える。
「姉とは大違いね。なんで私がこんな子の教育までやらないといけないのよ」
姉さんが消えていった白亜の建物からは、稚拙な表現になるが聞く者の心を震わせるという言葉がとてもしっくりと来るような、肌を撫でる絹のように滑らかな音色が聞こえてくる。
あれで同じ年齢、同じ教育期間だというのだから、まさに才能の違いとしか言えないだろう。
「もう一度やりなさい」
「………は、はい………」
私の教育係は日によっては姉さんの教育も担当している。それ故に私と姉の違いを理解しているため、憶えの悪い私には苛立ちを大きくぶつけることが多かった。元は良家の娘であり、楽器を学ぶために音楽家の元へ弟子入りまでしたという経歴を持つ女性だ。
………才能のない人間にはどこまでも容赦がなかった。
「あ、あの………この楽譜、文字が滲んでいて………」
「そのくらい全部暗記すればいいだけでしょう。アステリア様はもうずっと先の箇所を学んでいます。本当に物覚えが悪いわね」
「で、でも!これ新しいページで、まだ見てもいないですし………!」
「前後の流れから必要な音程を把握すればいいじゃない」
そんなのは、あまりにも無茶苦茶だ。だが、そう思っても私には頷くことしかできない。否定したら叱られる、叩かれる。………痛いのは嫌いだ。
才能がないならないなりに、努力をするしかない。姉さんに追いつくことはできなくてもせめて人並みには出来るように。
再び鍵盤に指を伸ばす。滑らかさの出ない音が響きそして―――また音程が外れた。
無意識のうちに頬が引き攣る。そして足跡が聞こえて、視界に影が迫った。
「ごめん、なさ………ッ?!」
大きな音を立て、左頬に衝撃が伝わった。少し遅れて鋭い痛みと熱が顔を焼いていた。腕を振り切った状態で私を冷たく見下ろす教育係の女性は、まるで吐き捨てるようにして、
「今日はもう終わりです。次までに仕上げておきなさい。また失敗したら、今度はオレステス様とユノス様に言いつけるわ。いいわね」
「………ぁ、はい」
………いつも、私の授業はこうして終わる。扉から出ていく教育係の女性の背中にお辞儀をしながら、唇を噛んだ。
リフティスノーラの一族ならば貴族として、即ち民を導くものとして様々な事柄に精通していなければならない。そのために、次期当主である姉さんには幼いころから様々な教育が行われていた。貴族としての作法から歴史、美術、舞踊に算術といった基本的なものから、馬術や剣術、戦術などの戦いに関するもの、さらには帝王学に至るまで………本当にたくさんだ。
私はその付属品として、ついでに学ばせてもらっている形になるのだが、どんなもの簡単にこなしていく姉さんと比べられる日々に、少しだけ嫌気がさしていた。
勘違いしてほしくないが、決して姉さんが嫌いというわけでは無いのだ。むしろ、この家の中で姉さんだけが私に優しくしてくれるので、間違いなく私にとって一番大好きな人である。
………ただ。時間が経つたびに多くの人は、私を見て欠陥品を見る顔をする。「ああ、こいつはどれだけ雑に扱ってもいい人間だ」と、口に出さずとも心で思っているのが分かってしまう。それが、とても辛かった。
もう少しで六歳の誕生日を迎える私たち双子は、しかしもう決定的に立場が違っていたのだ。
「やっぱり、読めないよ………」
自分でピアノの上の文字が潰れた楽譜や教育係の女性がそのままにしていった楽譜台などを片付け、痛みを発する頬に手を当てる。ああ、あとで軟膏を塗らないと。
音楽の授業が終わったのならば、次は舞踊の授業だ。服を着替えて髪も整えて。
………ちょっと、疲れたなぁ。




