呪いの理由
「な、なんか本当に二人っきりになっちゃったんだけど………」
「はい。そうですね」
「………」
「はい?」
こちらを仰ぎ見たまま、むすりという表現がよく似合う表情で私を見つめるステラ様に首を傾げる動作を返す。なるほど、どうやら気まずいようだ。
「なんで火傷のこと言わなかったのよ。こんなに的確な治療するなら、どうやって傷が出来たか、何を使ったかなんてわかっているでしょ」
窓掛がきちんとかかっているのを確認し、反射鏡付きの蝋燭台に火を灯す。布を貫いて差し込んでいた光だけの薄暗い部屋が、仄かな橙の光によって優しく照らされた。
「はい。ですが、例えパースニップが原因だと伝えたところで、ステラ様はその手段を封じられただけです。今度は別の手段で傷を作りますよね」
火傷を作るだけなら、わざわざパースニップを使う必要もない。熱湯を被ればいい。もちろん、そんなことをすれば一生残る傷を作るわけだが。クルーラさんの教えたであろうこの火傷作成手段は、気を付けてさえいれば症状が重篤化することなく、またきちんと治せば傷も残らないため、意外と考えられた良い手段と言えるのだ。
もっとも、最初から傷を作らないに越したことはないのだが。
「私はそこがずっと気になっていました。ステラ様は何故、自分の意思で傷を作るのでしょう。それも執拗に、まるで見せつけるように」
先程、フェレイラ様に対して浮かべた瞳の輝き、それが再び煌めく。
ステラ様は、私の視線に怯えることはなかった。
「………お母様の机の上、見たことある?」
「はい。昨日ハーブティーを届けに行った際に。大量の釣書と姿絵がありました」
「そう。馬鹿みたいよね。あれが全部、私の婚約相手の候補だなんて」
吐き捨てるという言葉がこれほど似合う表情もないだろう。くだらないモノを見るように、或いは自分自身を嘲るように、ステラ様は笑う。
「見たことも会ったこともない相手と婚約して、結婚して………そのために私は作法を学ばされる。そんなの、まるで道具じゃない」
私が想定した最悪の形。それをまた、ステラ様も同じように考えていたらしい。
「私に、お父様ほどの商才がないことはわかってるわ。でも、だからって最初から道具として使い捨てられるなんて、嫌よ………私はまだ、みんなと一緒に居たい………クルーラとか、ゴルドーおじさんとか………お父様とお母様、あとルィハとも」
「なるほど。ステラ様は顔や肌にわざと傷を負い、”呪い”が掛かっていると言いふらせば婚約相手が無くなる、あるいはフェレイラ様が婚約させることを諦めると思ったのですね」
「そう。結局、駄目だったけどね。お医者さんはたくさん呼ばれたけど、だからといってこの傷のことはこの家から広がることはなかったし、お母様が毎日部屋で婚約相手を選ぶのをやめることもなかったの」
確かに昨日もフェレイラ様は、夜遅くまで光量の少ない蝋燭で頑張って釣書を見ていた。
「―――どうせ私は女よ。家長にはなれないから、この家で取り扱う商品と大差ないんだわ」
ベッドの上で膝を抱えだしたステラ様は、どうしようもない現実に対していじけている様にも見えた。脱ぎ捨てられた、可愛いリボンの巻かれた低いヒールの靴がステラ様の心情を現すかのように、床に乱雑に転がっている。
しかし、果たしてその考えは正しいのだろうか。私としては疑問が残る。
「それは、あくまでもステラ様の推測では。実際にフェレイラ様にそのように言われたわけでは無いのですよね」
「それは………そうだけど。でも大体わかるわよ」
「確かめたわけでは、無いのですね」
「そ、そうよ………ちょっと顔近づけないでよ、あなた変な所だけ積極的よね」
「はい。失礼いたしました」
謝りつつ、距離を取る。なるほど、ステラ様の考えるその状況は想定だけだ。実際に言質を取ったわけでは無く、未だフェレイラ様が何を思って釣書と姿絵を相手に夜遅くまでにらみ合っているのかは不明ということである。
私の頬を打ったことといい、決してあの方はステラ様の本質的な害になる様なことはしないだろうとは思うが、しかし私のこの考えも推測でしかないため、断言はできない。
腫れを増してきた頬に手を当てていると、ステラ様が思い出したように私に指をさした。
「って、そうよ!私の火傷よりも先にあなたのほっぺを治しなさいよ!なんかすっごく腫れてて痛そうだけど!………大丈夫?」
「はい。痛みには耐性があります。この程度の傷なら昔何度も受けましたので」
「どんな過去送ってるのよ、フラヴィア」
言葉にするのは難しい。というよりも一応年下である彼女には伝えない方が良いことも多いため、口は噤むべきだろう。例えば、私はとっくに純潔を失っているが、ステラ様もそれを伝えられたところで困惑して終わるだけ、無意味である。
「しかし、軟膏は塗っておきます。ありがとうございます」
「わ、私はなにもしてないわよぅ」
「心配してくださるだけで人は嬉しいものだといいますが」
「いや、他人事みたいに言わないで、あなたって本当に………」
その言葉の先が語られる前に、部屋の扉がノックされた。扉の向こうから聞こえてくるのは、先程外に出ていったルィハさんの声である。
「あの、フラヴィアさん、お嬢さま。護衛の方がお見えになっていますけどってちょっと!?」
「悪いねメイドさん。ちょっとあのお馬鹿娘に用事があるんだわ」
そういって扉が開かれる。現れたのは不機嫌そうな顔をしたウォーレンさんだった。部屋を見渡し、ステラ様を見て疑問を浮かべた後、まあいいかと適当に納得して今度は私の顔に視線を向ける。そのままこちらに歩いてくると、私の頬をつまんだ。
「護衛の面目丸つぶれだ。帰ったらマルシェに怒られるんだが?」
「ふぁい?」
はい、と言ったはずだが頬を両手で引っ張られているために間抜な音が出ていた。
「お前、自分から叩かれに行ったようなものだったらしいな」
「はい。そうですね」
話せないことに気が付いたようで頬を引っ張る力が消える。ウォーレンさんの怒っている顔はまだまだ健在だったが。それはそうとして、フェレイラ様の心を知るためにあまりにも不躾な質問をしてしまったのは事実だ。肯定し、頷くと太く骨ばった中指が私の額を叩く。
「馬鹿野郎………本当にお前は危なっかしい奴だな!せめて変なこと言うなら、俺がいるときにしろ!そもそもの話としてな、自分の身くらいきちんと大事にしやがれ!」
「はい。なるべく気を付けます」
「―――お前のなるべくは信用できねぇ」
「そうなのですか」
「………あ~もう、本当にこいつは………まあいい。せめて護衛の仕事をさせろ。いいな」
「善処します」
ウォーレンさんはまだぼやいているようだったが、どうやら色々と諦めたらしい。嘆息すると、視線をステラ様に移して不思議そうな顔へと変わる。
「珍しい組み合わせだな。お転婆お嬢ちゃんとお馬鹿娘の二人組とはな」
「あの、えっと………ええ、っと、こんにち、わ」
意外にもステラ様はウォーレンさんが苦手であるらしい。私の背の後ろ側に半身を隠すと、顔を少しだけ出して小さな声で挨拶をしていた。頭の後ろを手で掻いてからそれにも溜息を吐く。苦手と思われていることに気が付いたようだ。この人はとても勘が良い。
「まあなんでもいいか。もうすぐにこの家を出ちまうわけだしな。とりあえず俺は自分の部屋に戻る。色々話すことがあるのかもしれないが、それはお前たちで勝手にやってくれ」
「いえ。ウォーレンさんにも手伝ってもらいたいことがありますので、少々お待ちください」
「………は?」
まずはウォーレンさんを引き留めてから体の向きを変え、ステラ様の手を取った。
「ステラ様。フェレイラ様の本心を、突き止めてみる気はありませんか」
「え、えっ?!」
「私が依頼されたことはステラ様のその傷の根本原因を治すことです。そしてステラ様が自ら傷を作っている原因は、フェレイラ様の本心が分からないからです」
「わ、分からないんじゃなくて、私を道具として見てるからなんだけど」
「いいえ。それはまだ推測の段階です。もしも、もしもフェレイラ様がただステラ様を思っているだけであったのであれば、その傷はもう、二度と生まれることはない筈です」
つまり、
「その確証を得られたならば。フェレイラ様の心を、思いを、感情を知れたのであれば、ステラ様の傷の根本原因を治したことになります」
そして、感情を知るという私の目的も達成できる。私としても、どうにかしてここでステラ様を説得し、一緒に知ってもらわなければ困るのだ。
「どうか。私と一緒に、フェレイラ様の思いを探りましょう」
「ほ、本当にぐいぐい来るわね、あなた………」
目線を逸らし、窓掛の方を見たり蝋燭台を眺めたりしたステラ様は、緊張気味に口を開く。
「そもそも、探るっていったって………どうするのよ。言っておくけどね、お母様は結構意地っ張りよ。正面から訊いたところで教えてはくれないわ」
「はい。そうでしょうね」
「ああ、意地っ張りなのはお前さんを見てればわかる」
「………どういうことよ!?」
似た者親子というわけだ。似ているからこそ、フェレイラ様が実の娘を道具のようにするとも思えないが。豪商の娘とその雇われ農家の子が相手を慮り、そして計画の手助けをするほどの仲のよさなのだ。子は親を見て育つ。親がそのように思考をする人間であるならば、そんな関係性は決して生まれない。
「ですが、問い質す方法はあります。私をどうか、信じてください」
「………う、うぅ………」
「ステラ様。ステラ様、お願いします」
外界を捉える左目で、ステラ様の瞳を見据える。長く、静かに、けれど燃えるような熱量で。
「分かったわよ………知るわ、私もお母様の心が、知りたい………」
「はい。そう仰ってくださり、とても嬉しいです」
手を握ったまま、深く頭を降ろす。
「でも、一体どうやってお母様の本心を訊くの?」
「はい。それは―――」
ウォーレンさんを交え、計画を伝える。ステラ様の表情にはまだ、不安がこびり付いていた。




