決裂
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「それで。どういうことか説明してもらうわ。………あなた、ステラの傷にずいぶんと詳しかったようだけど、もしかしてとっくに傷の正体に気が付いていたのではないですか?」
一通りステラ様の現在の傷の状態と注意事項を伝えると、今度は審問会が開かれた。
食堂の扉には鍵がかけられ、誰も入ってこられない状況になっている。中にいるのは私とフェレイラ様、ヒルメル様の三人だけだ。
「はい。傷の正体については既に検討が付いています」
素直に私がそういうと、一歩フェレイラ様が歩を詰めた。
「何故それを教えないのです………?!職務怠慢にも程がある!貴女の師はどれほど適当な教育をしたのですか?!」
「これは私の意思です。ティルスの教育は関係ないかと」
そもそも師ですら最期まで私のこの性格をどうにかできなかったのだ。それ故の教え、守るべき言葉。そうする以外に私は私を変える術を持たない。
ヒルメル様の方に目をやれば、いつも通りの表情のまま私たちのやり取りを見守っているようだった。恐らく、この方は表情を自在に操れる。見た目に現れるモノはただの顔の形、造形であってそこに意味はない。
「私が依頼されているのは、ステラ様の”呪い”。即ち根本的な原因の解決です。あの火傷を治したところでそれには至らないかと」
「その身勝手な放置の結果が顔にまで及ぶ傷の発生ですか!薬師が聞いて呆れる!」
「それに関しては申し訳ありません。私の管理不足でしょう。どんな罰も受け入れます」
しかし、と言葉を挟み。
「ステラ様には何もなさらないでください。彼女は病人ですから」
肌の傷もだが、それ以上にステラ様は心が傷ついている気がしてならない。きっと、今回の根本原因はそこに鍵がある。
ここでさらにその傷に塩を塗る様なことをされれば、本当に彼女は取り返しのつかない行為に及んでしまう可能性がある。今がまさに瀬戸際なのだ。
「しかし、しかしですね、フラヴィア嬢。傷を悪化させるほど”腕の悪い”薬師を雇う理由もないのですよ。我が家としては、とにかくステラの傷を治したい。親としてのその一心だけなのです。分かっていただけますか」
「はい。私は感情がよく分かりませんが、言葉としては理解できます」
ヒルメル様はそのいつも通りの笑顔のまま、私を視線で射抜く。それをそのまま見返すと、少々の時間が過ぎ去った。
「………フラヴィア嬢は、駆け引きをしないんだねぇ………」
困ったように笑うその顔は、どうやら本物のようだ。
「どうであれ、夫であるヒルメルの言う通りです。腕の悪い薬師はいらない、貴女にはもうすぐに出ていってもらいます。あの護衛と一緒にね」
「それは困ります。まだ治療の途中です。それに」
私よりも背の高いフェレイラ様を見上げ、片方の視線で見つめる。
「私にも知りたいことがありますので」
よく無感情と言われるその瞳で。光を宿さない紅玉の眼で。
「フェレイラ様。あの釣書はステラ様の婚約相手だと言っていましたね。商人には高貴とされる貴族の血を欲しがり、嫁に出す家も多いと聞きます」
だが、今だけは瞳の中に星が墜ち、爛々と赫焉の如き妖しい光を放っていた。
「ステラ様は貴族の血を得るための道具なのでしょうか?奴隷の如く売り払い、見返りとして地位を得るための人形なのでしょうか?作法を学ばせているのはそのため―――」
乾いた音が響く。私の右頬が熱を発しているのが分かった。どうやら叩かれたらしい。
「………最低よ、貴女ッ………!!!」
「申し訳ありません。ですが知りたいのです。フェレイラ様の感情を。心を、思いを」
一度瞬きするともう一度、フェレイラ様に近づく。
「私に感情が分かりません。かつてあの部屋の中に置いてきてしまいました。なので、もう一度それを知りたい。取り戻したい。私が旅をして薬師をしているのはそのためです。どうか、フェレイラ様の感情を教えてください」
私が近づいた分、フェレイラ様が後退する。それが何度か繰り返され、そして。
「もうそこまでにしてあげてほしい、フラヴィア嬢………妻が怖がっていますからね」
「そうでしたか。申し訳ありません」
「………君も、頬が痛いだろう?せめて治してからこの家を出るといい。二日もあれば腫れも引くだろう」
「はい。寛大な処置をして頂き、ありがとうございます」
本当は私は痛みを感じにくい、というよりも痛みに慣れてしまい、頓着をしないため頬を叩かれたことも痛みにすら感じられていないため何の問題にもならないのだが、この場合はそういう話ではない。ヒルメル様の言葉は遠回しに告げられた期限なのだろう。
今日を含めて二日、それまでの滞在を認めるということだ。
これは随分と忙しいことになってしまった。だがやるしかない。私は心を、感情を知らなければならないのだから。
「では。失礼します」
自分で鍵を開け、食堂から出る。外には執事長が静かに立っており、出てきた私を見ていた。
「………なんなのよ、あの子………おかしいわ」
背後ではそんな声も聞こえていたが、事実なので受け入れる。期限は残り二日、いやもう今日は昼を過ぎてしまっている。実際の残り時間は一日と半分だ。
私の問いかけに、頬を叩いた際にフェレイラ様は私のことを最低だといっていた。ならば、きっと私が想像した最悪から縁遠い理由でステラ様に教育をしているのだろう。
それが知れただけでも収穫はあった。
「………ぅ………」
足音を立てずに自室へと向かう最中、足を止めて振り返る。
「どうされましたか、ステラ様」
「ふぇっ?!………なんで気が付いたの………?!」
「背後から足音が二人分聞こえましたので」
それも片方は歩幅から推測して、ステラ様しか該当者がいない足音だった。もう一人はステラ様のお目付け役だろう、侍女服姿の使用人がステラ様の数歩後ろをついて回っていた。
目の下から右側の首元までを覆う白布のせいで話し難そうだが、よく見ればその布はもうほとんど水気を喪失しているのが分かる。
「顔の布が乾いてしまっていますね、替えましょう。私の部屋について来てくださいますか」
「あ、うん。………あれ、フラヴィア。なんか頬腫れてるけど」
「はい。手で打たれてしまいました」
「………誰の?」
「フェレイラ様の手です。私がご迷惑をかけてしまいましたので」
「へー。私もよくやられる。頬にはないけど、頭には」
「はい。最初に出会った時もフェレイラ様に拳を振り下ろされていましたね」
「忘れてよそんな記憶!?」
「とは言いましてもつい先日のことですから。忘れるのは難しいかと」
むしろこれから記憶が定着してしまうと思われる。ますます忘れにくくなるだろう。
「それよりもステラ様こそどうされたのですか。私は先ほどの件で嫌われたのかと思っていましたが」
「嫌いよ!貴女みたいな変なやつは!………でも、他に話できるような人、いないし」
「フェレイラ様はどうでしょう。今、私との話も終わったので出来るかと」
「絶対に嫌!お母様と話しても、もっといい女性になるためにはとか、もっと仕草はこうしなさいとか言われるだけだし」
「なるほど。先ほど言っていた、この家が窮屈だというのは本音だったのですね」
「………そうよ。この家は窮屈。まるで私を型にはめ込んで、クッキーみたいに決まった形に作り替えているみたいだもん。このコルセットだって、付けたくなんてないわ」
「………お嬢さま、一応屋敷の使用人の私の前でそういうことを言うのはちょっと………」
私たちの後ろをついて歩く使用人の女性が心の底から困ったような顔をしていた。確かに家が嫌だという主人の言葉を聞かされる家の使用人というのも気まずいだろう。
「なぜそのような教育をされているのか、教えられていないのですか?」
「なにもー。お母様はいつか私に必要になるからって。………いつか、っていつよ」
「さあ。それはフェレイラ様に直接聞いてみないと分かりません」
「………言わないわよ、お母様は。いつまでも私のことを子供だと思ってるんだもん」
「まあ、お嬢さまがまだ子供なのは事実ですから」
「ちょっとルィハ、うるさいんだけど?!」
使用人の方はルィハさんというらしい。
「あ、フラヴィアの部屋についた。………ルィハ。別に私、家の外に出ないし、見てなくていいわよ。あっちいって」
「それは出来かねます。ゴルドーさん………もとい執事長から直々に仰せつかった仕事ですので。例え火の中水の中、お嬢さまが行く場所全てについていきます」
「ふーん、あっそー。じゃあトイレの中までついてくるの?」
「はい、もちろんそうですが?」
「やめてよ汚い!?」
窮屈という割には、使用人の方とは良い関係を築いているようだ。
「とにかく治療いたしますのでどうぞ中に」
「………はあ。お邪魔します」
「失礼します………うわ、私が清掃したまんまだ!薬草箱と薬研が置いてあるだけ………」
「この部屋を清掃したのはルィハさんだったのですね。ありがとうございます」
「い、いえ。お客様に頭下げられるとちょっと困ります」
「ステラ様の傷の件で私はもう明後日の朝には出ていくことになってしまいましたので、客人扱いは不要です。どうぞ気楽に接してください」
「あ、そうなんですか?」
「………え、ちょっとまってよ。明後日の朝には出ていくって?!」
「傷が顔に移ったこと。その傷の理由を知っておきながら対処しなかったこと。そしてこのような状況になっても傷の正体を話さなかったこと。私が不要と判断される理由は多いので」
そこまで私が話すと、ステラ様は驚いたように私を見ていた。
「あなた………火傷の正体、お母様たちに話してない、の?」
「はい。約束もありますから」
クルーラさんとの約束だ。彼と約束をしたということはステラ様にも教えられないが。
どちらにしても、今の状況でステラ様の傷の正体を話してしまうわけにもいかなかったということもある。傷の正体を知っているということは唯一、私がフェレイラ様相手に使用できる取引材料なのだから。
「あ?!もしかしてそれで頬叩かれたの!?」
「いえ。これは別件です」
「あ、そうなんだ………」
それにしても、この少女は見ているだけで様々な感情を見せてくれる。喜んだかと思えば怒って、すぐに悲しんででもまた、きっと笑うのだろう。今は少し、怒ることと悲しむことが多いように思えるが、本当はよく笑う少女なのだと思う。
「あの~、とりあえず座っていいですか?私疲れちゃって………あはは」
「………ルィハ、あなたね………」
椅子を引いて、ルィハさんを座らせる。ステラ様にはベッドに座ってもらい、その間に私は薬草箱から清潔な布を取り出すと、水瓶から汲んだ水に浸してステラ様の顔を覆っているものと交換した。こちらの替えた布は一度茹で、消毒しなければだめだろう。
「うわぁ、何度見ても酷い傷ですねぇ。ま、私は特に深く突っ込みませんけど」
「面倒なだけでしょ」
「はい~、奥様に怒られたくないですし、知らぬ存ぜぬです~」
なかなかにこのルィハさんという使用人は良い性格をしているらしい。
「ま、薬師のフラヴィアさんが一緒なら確かに逃げたりはしないですよね。―――私、外で見張っていますから、存分に話してくださいな」
「はい。ありがとうございます、ルィハさん」
「いえいえ。帰り際にでも肩こりに効く薬をお礼としてくれれば気にしません」
「はい。用意しておきます」
「………あれ、冗談のつもりだったんだけどな」
「そうだったのですか」
「お嬢さまの言う通り変だな、この人」
そう言うと、ルィハさんは部屋の外へと出ていった。気を使われたのだろう。私としても、ここでしっかりとステラ様と話しておきたかったためとても有難い。
なにせ期限はもう一日と半分を切っているのだ。それまでに全てを解決しなければならない。




