再発の呪い
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「なるほど、北東戦線ではそんなことが。冬季侵攻はやはり厳しいのでしょうな」
「俺たち、というかローヴィシャートは防衛側だったからな。指揮を担当してた貴族の爺さんもかなりのやり手だったし、犠牲そのものは少なかったが、それでも凍傷やら体調不良やらで離脱していくやつらは多かったよ」
ノヴァリスの家長、ヒルメルが俺に対して聞いてきたことは、その多くが戦の時に足りなかった物資についてのことだった。なるほど、戦経験のある俺に実際に不足したものを問いかけることで、次の戦いの際により多く儲けられるようにと考えているわけだ。
優しそうな顔をしておいて中々に周到な性格をしている。
「鎧に関しても毛皮を多く利用したものの方がよろしいのですか?」
「そうだな。鉄製だと肌と直接触れている部分が凍り付く。毛皮を多く巻いた鎧か、もしくは鉄の内側に皮を張り付けたものがいいと思うぞ」
まあ、俺の話が商売のために転用されているとしても、ノヴァリス家は戦時にはローヴィシャート国内にしか軍事品は売り出さないという決めごとがあるらしいので、利はこの国だけに生まれる。わざわざ拒む理由はないだろう。
ワインに口をつけ、塩を舐める。干し肉にも口を付けたが、成程この良い塩をこちらにも使っているらしく、味わい深い塩本来の味が感じられた。
恐らくは岩塩か。粒の大きさは粗塩と変わらないが、より苦みが薄い。そのまま塩として味わうなら断然、岩塩の方が味がいい。
………一年前に終結した、東の聖公国との戦争。国家そのものは小さな聖公国だが、宗教国家として巨大な地位を持っている彼の国は、独自の神話や宗教を持っているこのローヴィシャート王国を目の敵にしているため、度々戦争にまで発展しているのだ。今回の征服戦争は小規模なものだったが、かつては多くの国を巻き込んだ大戦になったこともあるらしい。
残念なことに、聖公国は今まで一度も、それこそ、その大戦時すらこのローヴィシャートの土地を支配したことはないのだが、その立役者と言えるのが北東を長年にわたって統べる大伯爵の存在だ。かつて、女神血を引く一族によって選ばれ、特例として貴族の地位を与えられた元平民の戦士は、老いてもその戦略、頭脳を以て外敵を粉砕し続けている。
「ま、本人にあまりいい噂は聞かないが………」
身体を悪くすれば心も悪くする。怪我をして以降、前線に立つことのなくなった大伯爵は間違いなく戦における天才、鬼才の類いだが、黒い噂も多いものだ。所詮はただの噂話、直接会ったこともないのにそれで印象を決定付けたりはしないが、それでも遠目から見たあの伯爵は少々、不気味な面もあったのは事実だった。
元傭兵でしかない俺にはもう関係のない話だが。
「とはいっても、戦争が短期で終わるなら特定の季節に合わせた装備でいいが、大抵は数年がかりの長丁場だ。要塞の包囲で数年かかるなんてのもさして珍しい話じゃない。今の鎧やら何やらを完全に否定はできないな。むしろ完全に変えちまうって方が怖い」
「慣れない装備で急に戦争というのは士気も上がりませんか」
「そりゃもう当然。武器に関してはあまりに大きな形状変化とかさえなければ慣れるが、防具はどうしてもな」
「………難しいものですな、軍需に関わるものというのは。はは、とても有意義な話でした、助かりましたよ、ウォーレンさん」
「いや。ワインも干し肉もいい味してたわ。こっちもこっちでいいもん食わせてもらったからな、気にしないでくれ」
手を適当に振って、無駄にしっかりした礼をやめさせる。話もひと段落し、ワインも空になったので部屋に戻ろうかと思案すると、一瞬だけあの包帯まみれの少女、フラヴィアの顔が頭の中にちらついた。………仕方ねえ、少しだけ探りを入れておいてやるか。
どうにもあいつは放っておけない。
………あいつは確か、食事中のお転婆娘に視線を向けていた。表情が動かないので目線で何を思っていたかを推測するしかないが、間違っていたらそれはそれで仕方ない。
「娘さん、ステラ嬢ちゃん。随分と熱心に教育してるみたいだが、あんたの指示なのか?」
「いやいや。あれはフェレイラが特に勧めていることですね。まあマナーを身に付けることは悪いことではありませんから、私も相当にステラ自身が嫌だと思わなければ止めようとは思いませんが」
「………なんでそんなことを?さっきも言ってたが貴族じゃないんだろ」
「貴族ではありあませんが、貴族と接することも多いですから。まあ、フェレイラの方はほかに考えがあるようですが、流石にそれまでは私には」
「………なるほどねぇ」
世界を相手取る豪商が、自分の嫁さんの思惑すらわからないとは思えないが。
ともかく、真相は人好きする笑顔の中へと隠されてしまった。これ以上は俺では詮索は出来ないだろう。あとはフラヴィアに放り投げるとする。
「部屋、戻るわ」
果たしてあの包帯少女は、いかにしてこの呪いとやらをを解決するのだろうか。
***
異変が起こったのは次の日の朝だった。
部屋の前に人の気配を感じたので目が覚める。身体を起こすと、扉の前に立った人間のノックを待ってから扉を開けた。
「おはようございます、ゴルドーさん」
「………ああ、おはよう。フラヴィア嬢、悪いがすぐに食堂………いや、お嬢さまの部屋に向かってくれるか」
「ステラ様のお部屋ですか。何かあったのですね」
「”呪い”が顔に転移した」
「まあ」
頬に若干の汗。急いでいる様子は本当のようであり、言葉も事実だろう。
「分かりました、急いで向かいます」
簡素な服を簡単に纏うと、薬草箱の中から道具を取り出してステラ様の自室へと向かった。
先導していた執事長と共にステラ様の部屋の前に辿りつくと、中にはすでに数人の人間がステラ様を取り囲んでいた。服装は侍女服、殆どは着替えさせようとしたメイドたちだろう。
その中に一人だけ、使用人の服に身を包んでいない人間がいる。フェレイラ様だ。
「お待たせしました。少々診させていただきます」
「フラヴィア………!いったいこれは、顔になんて今までなかったのですよ………?!」
「落ち着いてください、フェレイラ様。いま確認いたします」
声を荒げるフェレイラ様に落ち着くように言うと、ステラ様に近づく。扉の方へと顔を向けさせてからその症状を確認した。
「ステラ様、失礼します」
「う、うん………えっと、えっとね………ええっと………」
何事かを言い澱んでいたステラ様の顔面。そこには、右頬から顎下、首の中ほどまでに及ぶ巨大な水膨れが発生していた。可愛らしい筈のステラ様の小さな顔の半分が、火傷の症状に覆われ、普通の感性を持っていれば人前に出るのすら忌避する程の傷を負ってしまっているのだ。
一言断ってから触れる。感触は腕に出ていたものと同じ、水膨れが主体の傷だ。
「い、痛いわフラヴィア!」
「はい、申し訳ありません」
パースニップは、ジャイアント・ホグウィードと比べれば重篤な症例に至ることは非常に少ない。しかし、植物の中に含まれている毒性は同じものであるということは、長い薬草と毒草の歴史の中で判明している。あくまでも症状がひどくなりにくいのは、単にジャイアント・ホグウィードに比べ背丈が小さく、毒性を持つのが開花時期のみに限られているという点だけでしかないのだ。
故に広範囲に樹液を浴び、長時間日光を浴びれば傷は大きく、危険なものとなる。
「まずは軟膏を塗ります。次にこの布を傷の周辺に巻き付けます。少々視界の邪魔となるとは思いますが、我慢をお願いいたします」
「え、あ………うん―――いっ?!」
消炎作用を持つ薬は、直接患部へと塗り込むため染みる。ステラ様の瞳には涙が滲んでいた。
しかし我慢してもらうしかない。火傷の症状の危険度は、火傷自体の深さと範囲によって変わるのだ。例えばただの日焼けであっても、全身が日焼けに覆われれば皮膚の機能が低下する。
皮膚機能が低下すれば新たな病を運んでくるため、今回のように広範囲に及ぶ症状はけっして甘く見て良いものではないのだ。
「ゴルドーさん、冷水を用意していただけますか。布を水に浸してから巻きますので」
「了解した、すぐに持ってくる」
春季のこの季節なら、井戸には雪解け水が流れ込む。冷水の入手は容易い。執事長が桶に入れて運んできた水に布を浸し、滴り落ちない程度に絞ると傷を負った肌の上にそれを貼った。
「いいですか、ステラ様。今日からしばらくの間は太陽の下に出てはいけません」
「う、うぅ………嫌よ………こんな傷、別に問題ないし。すぐ治るし」
「治りません。太陽の下に出れば肌に傷痕として残ります」
普通に想像する傷痕とは違う、肌に黒く変色した跡が残るという傷だ。私の全身の傷ほどではないが、見られたときに良い印象は与えない。ましてや、豪商の娘となればこれから社交界に出入りすることも多くなるだろう。その時に顔に傷があるということは、交友関係の面で大きな不利益となる。相手に付け入られる隙を作る原因にもなり、それは商人として致命的だろう。そもそも、女性の顔にそんな傷があっていい筈がない。
「社交界。いえ、あの釣書は」
一瞬だけ目を細め、浮かび上がった思考を浮き留める。それを確認するのは後にするべきだ。
「なんだ、何の騒ぎだ………って、おいおい。嬢ちゃん、大丈夫か?」
ステラ様の部屋に大量に人の気配がすることに気が付いたのだろう、少し遅れてウォーレンさんがやってきてこの状況に驚きつつ、納得していた。すでにパースニップの毒の特性は教えてあるため、ステラ様の顔を見て察したのだろう。
樹液は思いのほか目に見えにくい。綺麗に拭ったつもりでもどこかについている状態で顔を擦れば、毒の樹液は肌を日の光で焼け焦がす。
ステラ様の涙袋を引っ張り、目に樹液が入っていないことを確認する。もし目に入ってしまったのであれば、最悪の場合失明する。幸いにも今回はその危機は免れたらしい。
「ヒルメル様はどちらにいらっしゃいますか?」
「一旦食堂で待っていられるよう私が伝えたが………」
「ステラ様の容態について話がしたいのでこれから向かわせていただきます。それから、申し訳ありませんが暫くの間、屋敷の窓掛を全て覆い、夜以外のステラ様の外出を禁じていただきたいのです。よろしいでしょうか」
「え?!ちょ、ちょっと待ってよフラヴィア!嫌、私お家の外に出たい!………こんな窮屈な場所に居たくないわ………」
「申し訳ありません。私は。私は、女性の身体に傷がつくのは”嫌”だと感じている、筈です。なので、そのお願いはお聞きすることが出来ません」
「………馬鹿みたい。なんで、あなた自分のことなのに、他人のことみたいに言うの?」
「私には自分の感情がよく分かりませんので。ご不快に思われたのであれば謝ります」
「感情が、分からない?何言ってるの?そんなわけないじゃない、自分のことなのに」
「はい。………はい。そうですね」
無意識に包帯の下の右目を抑える。一度瞬きをするとステラ様に視線を向けた。そして、私は自分自身の右腕の包帯を解く。
「ステラ様。火傷は深く傷を負うと、醜い後遺症となりいつまでも肌に残ります。ちょうど、このように」
包帯を解ききった右腕から覗くのは、手の甲から二の腕までの大部分を埋め尽くす赤黒い傷痕だった。それを見た多くの人の視線が一瞬揺らぎ、目が逸らされる。
その眼を逸らした人の中にはステラ様も含まれていた。
「このようになってほしくはありません。どうか、外に出るのはご遠慮ください」
「な、なんなのよあなた!?普通じゃないわ………!」
見たくないといわんばかりに目まで瞑ったステラ様。その手をそっと握って、もう一度しっかりと、お願いをした。
「お願いします、ステラ様」
「………ふん、だ」
ああ、駄目なのでしょうか。私の言葉ではやはり、届かないのでしょうか。
師であればより良い解決が出来たかもしれない。やはり、私はティルスのような薬師にはなれそうにない。もう一度口を開こうとすると、事の次第を静かに見守っていたフェレイラ様が私を強めの口調で呼ぶ。
「フラヴィア、ひと段落したならば早く説明を。ヒルメルとの話に私も同席しますが、良いですね。それからステラ、暫くはこの部屋から出ることを禁じます」
「―――ッ?!………お母様の、ばか!」
「奥様。部屋からは流石に。フラヴィア嬢の言う通り屋敷の窓掛は全て使用人たちで下ろしておきますので、屋敷内は自由にさせてあげるべきかと。見張りもつけますので」
「………そう。お前が言うならそれでいいわ。それよりも早くしなさい、フラヴィア」
「はい。すぐに」
どうやら執事長によって多少ではあるが、ステラ様の環境が良くなったらしい。やっとこちらに視線を向け直してくれた、困った豪商の一人娘に静かに頭を下げると、包帯を巻きなおしながら先に食堂に行ってしまったフェレイラ様を追いかける。
途中、入り口で廊下の壁に背を預けながらこちらを見ていたウォーレンさんにすれ違いざま、小さな声で囁かれる。
「あのお転婆嬢ちゃんの貴族教育。熱心にやってんのは奥さんの方らしいな。何か考えがあるみたいだが、それ以上の話はヒルメルのおっさんにはぐらかされて聞けなかった」
「はい。そうでしたか。ありがとうございます、ウォーレンさん」
「ん。………気を付けろよ」
大体事情は理解できた。あとはこの状況に効く特効薬の出番となるだろうが、さて。どうしたら一番いい解決となるのか。そういえば、と思い出す。
東洋には同じ場所で食事をしたり、入浴をしたりすることで親睦を深めるという文化があるそうだ。食事は共にしたが、まだ入浴はしていない。一度、手段として検討してみるべきか。
そんなことを考えながら、私は食堂へと辿りついたのだった。




