1.炎術の青年
「神官様、本当にあんな男に任せていいの?」
神秘的な雰囲気の漂う部屋で、女性の高く結い上げた黒髪が揺れる。ほんの少し、目をつり上げて。神官様と呼ばれた女性は、ローブを着てフードを目深にかぶっている。彼女は右目だけ黒髪の女性に向けた。澄んだ空色が、まっすぐ女性を捉える。
「心配はいりませんよ。我々が手出しせずとも、運命が彼を導きますから…」
*****
林のように立ち並ぶ高層ビル。宙に浮き、飛び交っていく車…。飽きるほど見慣れたこの光景を、どうという事もなく通り過ぎていく。青年は、目的もなく道を歩いていた。
「ニコー、神連館を探険しよーぜー。」
「やだ。だるい。」
青年は知り合いに呼び止められた。ニコ、と呼ばれた彼は、友人の提案に乗ることなく歩いて行く。
「そんなこと言わずにさー。頼むよ~」
今度は答えるのも面倒だと判断したのか、ニコはさっさと通り過ぎていった。
神連館、それは郊外にある奇妙な洋館。時代に似つかわしくない古風な雰囲気が漂っている。住んでいる人間はおらず、ツタが生えているくらい寂れている。悪ガキどもが探険と称して入り込むにはもってこいの場所であった。ニコを誘ったのは5、6人の男達。にも関わらず、大して親しくないニコを誘ったのには、別の理由があった。
神連館には、人知を越えた野獣どもがうろついている。命を危険にさらすような事はしたくないと考えるのが当然だ。だからこそニコを、特殊な“能力”を持つニコをあてにしたのだ。
「放せ!さっきから嫌だと言っているだろ!」
「まあまあ、そんなこと言わずに…」
ほとんど引きずられるようにして、ニコは男達に連れられていった。だが、神連館にたどり着いた時、ニコはたとえようもないほどの何かを感じて戦慄した。
そこはただのぼろ屋敷であるはず。野獣がいるのも元々だ。だが、それとは格の違う、強大な怪物が一匹、屋敷の庭にいた。怪物はニコ達に気付き、裂けた口から不揃いな牙を覗かせる。怪物が腕を振り上げた瞬間、ニコは親指と人差し指で輪を作り、その中に息を吹きかけた。吐息は紅蓮の炎になり、巨大な怪物を焼く。怪物の体が炎で覆われ、苦しげな奇声を上げた。
「やったあ!さすがはニコ!」
一人が叫んだ。ニコの“能力”は炎を出すこと。それも生半可な威力のものではない。普段神連館にいる野獣ならあっという間に消し炭へと変えることができる。生まれ持っていた能力。ニコは今まで人と違う“能力”が何なのか、考えたことはなかった。
怪物の瞳が、ギロリと光る。異様に長い腕を振り上げ、ニコに向かって叩き降ろす。とっさにニコは横っ飛びによけた。その顔には驚愕が浮かんでいる。
「!! 効いて…ない?」
ニコの炎で焼かれたにも関わらず、怪物はピンピンしていた。倒すどころか、むしろ怒らせてしまっただけにも思える。何度もやってみるが、結果は同じ。怪物にはほとんどダメージを与えられていない。このままでは…。
ふと、地面に刺さって陽光に煌めく剣を見つけた。すぐさま駆け寄り、剣を抜く。それはニコが思ったよりも軽く、ニコの手に馴染んだ。向かってくる怪物に、剣を一閃。紅い剣閃が、怪物を両断した。耳障りな断末魔を残し、怪物の体は消えていった。その体から発せられた一筋の“光”が、ニコの元へと飛んでくる。無意識的に手を伸ばすと、それは確かな質感と共にニコの手に収まった。