プロローグ
俺の名前は磯部一郎。どこにでもいるフリーターさ。いや、元フリーターだ。
そうあの日…… 俺の体は宙を舞った。それはもう華麗に。
車か何かに突き飛ばされたのだった。それだけだったならまだよかった。俺は気が付くと一軒のぼろい小屋にいた。
そこからだ、俺の異世界生活が始まったのは。
「漸く雇用枠拡大か。これでまともな飯にありつけるな!」
我が屋の隣に住むおっさんは虫歯だらけの笑顔を見せる。正直気持ち悪いが、この世界の状況を考えると仕方ないのだろうな。
「まったく、アイルの連中もしっかりしろってんだ。人類の切り札だか救世主だか知らねーが、俺らみたいな難民ばっか増えていきやがる。まったく食料物資の配給も日に日に減ってきてるしよ」
そうは言ってもただのごく潰しの俺らに、住む場所と飯をくれているんですよ? 感謝しなくちゃ罰が当たりますって。
「こんな犬小屋を大きくしました! みたいな小屋に住まわせて、くっさい固い不味いパンが一日二個。アホかってんだ」
これ以上おっさんの話を聞いてもげんなりするだけだ。俺は自身が住む家を眺める。
それは家を言うにはあまりにお粗末なものだった。木と岩で造られた残念な小屋だ。そんな小屋がいくつも建ち並ぶのがここ、トーイ居住区。人類最後の軍事組織アイルが庇護する難民居住区の十二番目の地区だ。
『アイル』 それは奴らに対抗するために結成された組織。
『トランキル』 人類が初めて邂逅した天敵。
トランキルと名付けられた奴らは、瞬く間に人類を殺して回った。
最初の邂逅から約二か月で三割の人口を死に追いやった。
奴らは人類を抑圧し、制御し、殺す。人類の上位種に君臨した。
最小種にして最多種、豚のような体の七割が口でできた四足歩行 ――ムツキ。
ムツキを一回り大きくし、至る所に液体を放つ突起物がある ――キサラギ。
軽トラック並の大きさの中型種、八つの脚に触手の塊の様な体 ――ヤヨイ。
最大種、全身に強靭な筋肉を纏わせ人に最も近い見た目の ――ウヅキ。
現在確認されているのはこの四種類だけだが、まだいる可能性があるらしい。
まあ、俺が気になるのは何故『日本語の名前』なのかってことだ。
ここまで聞いていれば分かるとは思うが、ここは日本…… いや地球では無い。紛れもなく異世界ってやつで、俺はそこに転生したのだろう。
事故で死んだ俺が目を覚ましたのが、丁度今住んでる小屋だ。最初は何がどうなってこうなっているのか理解できなかったが、今隣で愚痴っているおっさんが思いのほか親切で、いろいろ世話をしてくれた。
「なあおっさん、本当に俺はあんたと同じ村出身なんだよな?」
「まーたそんな事言うのか。記憶も戻ってないから不安がるのも分かるが、俺を信じろってんだ。この一か月どんだけ面倒見てやったんだか」
すまんすまん。
俺は謝りながらも考える。おっさん曰く俺はこの世界の農村生まれで、おっさんと一緒にこの居住区に避難してきたらしい。
おっさんは村で起きた悲劇と、ここでの悲惨な生活で病み、俺が記憶を失ったと勘違いしたらしい。その結果いろいろ世話を焼いてくれるんだが。
その勘違いは、俺にとってはかなり好都合だった。この世界の常識の無さが説明つくしな。
「いっそよー、俺も何もかも忘れてーよ。お前のように――」
おっさんの台詞を遮るように、一台の車らしきものが止まった。
「――あ、ああー! トーイ区分物資を届いた! 今すぐ並ぶように!!」
車から降りてきた軍服の人たちが拡声器で呼びかけた。すると一斉に各小屋から人がなだれ込んできた。
「やべーぞイチロー! 俺らも並ぶぞ!!」
ああ! 返事よりも先に俺は走り出していた。飯を食う、それが今を生き抜くために俺ができる唯一のことだから。
「――でよ、俺は受けてみるつもりなんだが。お前は?」
固いパンを水で押し込んでいると、おっさんは紙を見せつけてくる。
工場ね、今やこの待遇で応募殺到だから恐ろしいな。
「当たりまえよ、働けば給料として飯と水が支給される。今の数倍だぞ!」
大抵の人間は職を、住処を追われた。結果、今の俺らみたいな配給頼みの無職が八割、残りの一割のアインの求人に群がる奴らと言う状況になっている。
「叶うならアインの兵士――スイーパーになりたいがな、ありゃ適性がいるからな。もしくは軍人でもいいが、ただの元農民の俺らは無理だしな」
残りの一割がアインの兵士と軍人。
軍人はアインに属する人間たち。その中でとある適正持ちがトランキルと戦う兵士になれる。待遇なんて俺らとは天と地ほどもある。
「俺も受けっかな」
「お、よし! じゃあ一緒に行くぞ!」
て、ちょ、おま。マジ離せって! パンがのどに詰まる。
言うが早いか、おっさんは俺の腕を掴み走り出す。恐らくは居住区唯一のアイン宿舎に向かうのだろう。
――この時俺は知らなかった。盛大なボタンの掛け違いから、とんでもないことに巻き込まれるとは。
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