第十四話 真実
翌日
「まったく、教会は神の聖域だというのに、神ではなく魔王が来るとは」
教会は神の加護により、穢れた魂を寄せ付けないと言われている。おまけに、ここ、カッシアが眠る部屋はファエルの結界が悪魔を拒絶している。そんな場所で、突然私の隣にベルフェが現れる。ベルフェの姿は昨日消えてしまったときと同じだった。
「神の加護なんて存在しないのか。それとも、俺は穢れた魂ではないのか」
「どちらも可能性があるな、それ。だが、神ではなく神の加護というものは、穢れた魂すらも受け入れているのかもしれない」
少なくとも、穢れた魂を寄せ付けないというのは嘘だと思う。穢れた魂を裁く神術師も、自分のために人殺しを行う私も教会の寄せ付けない穢れた魂だ。
「神ではなく、神の加護か。教会は神の力を借り人間が造ったが、あるのは神の加護という力だけで穢れた魂を寄せ付けない神の意思は存在しないと」
「そう。私には自分の影を受け入れず消すことを選んだ神という存在も善とは思えない」
「存在も……か」
ベルフェは溜息混じりに、私の言葉をそのまま言い返す。
「何、その溜息。存在も、ではなく、存在は、と言えばいいのか?」
「そうだ。俺が穢れた魂だと言うのなら否定できない。だが、俺にはお前が穢れた魂だとは思えなくてな」
「……それは、ベルフェの魔王としての価値観か?それとも、慰めとか慈悲につもり?」
ベルフェの言葉は嬉しい。だが、私自身が自分を穢れた魂だと思っているからその言葉を素直に受け取れない。
「そんなに卑屈になるなよ。俺は綺麗事を並べる奴より、お前の方が好きだ。お前は綺麗事を並べるだけでは何もできないことを理解しているだろ」
「……理解はしている……けど、私は綺麗事を並べたい」
世界は綺麗事だけでできているわけではない。だが、それが手を穢すことに対する免罪符になるわけではない。
「結論も出たし、とっとと解呪をするぞ」
ベルフェは私の行いを否定しない。しかし、ベルフェが否定しないだけで私の行いが正しいというわけではない。それなのに、ベルフェの言葉を聞いていると私の善悪の観念が狂いそうで恐い。
「そうだな。お前は堕ちることがないし。だからこそ、堕としてみたいのだが」
ベルフェの言葉は善悪の観念を揺らし、狂わせる。それは人間から外すと同義である。少なくとも、人殺しを善とする奴は人間と共にいれない。ベルフェの言う堕ちるという言葉は外れるを意味するのだろう。
ベルフェが魔王だと再認識してから聖人の力を解放し、ベルフェの血が入った小瓶の蓋を開ける。運命を操作し、血を銀の杭に掛ける。銀の杭はベルフェの血によって紅く染まっていく。
「術や道具の補助を付けないのか」
「魔王であるベルフェの血ならいらないだろ。私は解呪が苦手だからな、仮に術を使ったらベルフェの血を弱めてしまう」
「……ああ、そうか。お前って不器用そうだしな」
わかった、ということを身振りで知らせたいのか、ベルフェはわざとらしい感じに右手は拳を握り、その手で開いた左手を叩く。前に私が名案だと思ったのを思いついた時にやったことなのだが、人がやっているのを見ると滑稽だと思える。しかし、同時に、馬鹿にされている感じがする。少なくとも、ベルフェは馬鹿にしている。
「悪かったな、どうせ私は不器用だよ」
解呪の術を使わないのは私が術の制御を苦手としているからだ。私の解呪の術は力の強いものを弱めるだけで呪いを弱めているわけではない。低位悪魔の一部よりも呪いの方が強力だからこそ、解呪の術は効果があった。
「だが、お前にはその不器用さがどうでもよくなってしまう才能があるだろ。実際に、お前は運命に介入することで強化しただろ。そもそも、器用な聖人というのが俺には想像つかない。聖人という奴はほとんど個人で世界をぶっ壊せてしまうからな」
「それは持っている力が強大すぎて制御できないだけじゃないのか?それが影響して日常生活のことも不器用になってしまうだけだろ」
因子操作の力は消費量が多すぎるため、聖人の力は必然的に強大なものになる。それ故、そんな力を完全に制御するには一生を費やしても足りないのかもしれない。
「もしくは、性格面に問題がある可能性があるぞ。聖人は強大な力があれば何でもできると考えて自分の欠点を治そうとしていないのかもしれないな。少なくとも、お前は俺の血と聖人の力で行った運命の介入で解呪ができてないとは考えてないだろ」
ベルフェの言葉と共に血に染まった杭は壊れる。しかし、呪いは解けず、カッシアは眠ったままだった。
「いや、わかっていたよ。この呪いは掛けられたではなく、今も掛け続けられている。だから、術者を止めなければベルフェの血を使っても無理だ。それに、聖人は運命の介入だけは不完全だからな」
運命の介入というのは難しくない。むしろ簡単すぎて聖人じゃなくても行えてしまう。
以前、私は低位悪魔を殺すときにナイフの運命に介入した。あの時、低位悪魔がナイフを躱すことではなく防ぐことを選んだ場合、ナイフは低位悪魔を殺せず、良くて防ぐのに使った部分を壊せた程度だ。
そもそも聖人が運命を操作できるのならば、敵に死の運命を与えればいい。それができないのは、運命だけは誰にでも介入ができてしまう故に、誰にでも介入できないからだ。
「だが、呪いが弱まっているのは事実だろ。呪いを弱め、同時に維持する銀の杭が消えてもカッシアは現在に存在する。今なら、術者を止めれば間に合うだろ」
「見つかったのか?と聞こうとしたが、お前も気づいたみたいだな。お前の獲物の正体に」
「ああ、気づいた。いつの間にか知っていたベルフェがヒントをたくさんくれていたから」
ベルフェは嘘をつけない。しかし、ごまかすことはできる。真実を教える気がなくても、嘘をつけないから悪魔という言葉を使い私の獲物を表現することができなかった。結果、私とベルフェの言葉の違いがヒントとなった。
「まあ、俺は神の影だ。周辺の事ぐらい簡単にわかる。……尤も、それがお前にヒントを与えたのかもしれないが」
ああ、ベルフェは出会った日に全てを知っていたのか。知っていて無意味な血をくれたのは、
「気づかなかったらどうした。私の絶望でも食ったのか?」
「そうだ。絶望に塗り潰される希望は特に美味しいからな。だが……今のお前も美味しそうだ。どうだ、真実に気づいた心境は?」
「最悪。お前らの好物である、怒りとか憎悪、後悔などの負の感情が私の心を埋め尽くしているな。しかも、一度は絶望に塗り潰されたからな。食われる気はないが、さぞかし美味しいと思うぞ」
「そうか……それは、残念だ。では、心残りも無くなったことだし、さっさと死んでこい。その後は俺の自由にさせてもらうから」
死んでこい、か。確かに、私は今から死のうとしている。今なら、まだ引き返せる。
「引き止めるのではなく、突き飛ばすとは、ベルフェは最後まで嫌な奴だな。まっ、嫌な奴ではないベルフェというのは気持ち悪いか」
「どっちにしろ、変わらないだろ。このまま行けば死ぬ。引き返しても全てを失い、生きられなくなる」
そうか、どっちを選んでも変わらないのか。このまま行けば死んで、引き返したらカッシアとベルフェを失う。ベルフェは突き飛ばしたが、それはベルフェなりの善意だったのかもしれない。……死んでこいと突き飛ばすのが善意というのもどうかと思うが。
「ベルフェの言う通り、どっちにしても変わらないか。なら、最後になるから言っておく。私はもっとベルフェといたい」
ベルフェの反応がどうであれ、私は死ぬ。ならば、言うだけで答えはいらないと思い部屋を出る。
「失礼します」
「どうぞ」
ベルフェはカッシアの部屋に残し、一人でファエルの部屋を訪ねる。
「エヴァリスではないですか。どうしたのですか?」
ファエルは教会の中にベルフェがいることに気づいてないようだった。私はベルフェに頼る気がないので、このことを好都合だと判断する。ファエルがベルフェに気づいたら攻撃を仕掛けるのかもしれない。
「ファエル様に聞きたいことがありまして」
「聞きたいことですか?」
「はい。大司教ファエル様、あなたは四大天使の一人。神の薬ラファエルですか?そして、私の弟に呪いを掛けた悪魔なのですか?」
天使は高位悪魔と同様、主のために動く存在であり、人間のために動く存在ではない。それ故、天使は力を貸す人間を選ぶ。選ばれてない私にラファエルの腕輪は使うことができない。使うことができるのは腕輪を作ったファエルだけになる。だが、私は腕輪を使うことができた。それが意味することは、ラファエルが私を選んだということ。当然のことだが、天使と人間の遣り取りに第三者が絡むことが無い。となると、この腕輪をくれたファエルこそがラファエルということになる。
そして、ファエルがラファエルだとわかれば他の事もわかってしまう。カッシアに掛けられた呪いは低位悪魔の一部と聖人の力を使っても解呪ができなかったから高位悪魔のもので、高位悪魔が私だけを生かすのは快楽のためだと思っていた。だが、ベルフェの話では快楽で動くのは低位悪魔だけだという。ならば、私だけを生かし、カッシアを呪ったのは何らかの理由があってのこと。その理由は私を道具にして、手に入れること。
ベルフェ達が気づいているかは知らないが、この戦いはベルフェ達には圧倒的に不利すぎる。推測だが、今の状態で収穫を開始すると神の方が多くの道具を手に入れることができる。その理由は、人間が神を選んでしまうからだ。一人の人間を同じ力量の二人が洗脳で奪い合った場合、対象の人間との心の距離が勝敗を分けることになる。それと同様、人間を奪い合うのなら、どれだけの人間に崇められる存在なのかが鍵となる。
実際に、私はカッシアを救うために神の下、教会の扉をくぐり、ファエルに救われた。だが、その先は自分の意思で行っていた。教会を出ても銀の杭の力が無くならないのに、私は教会を出なかった。教会にいることが解呪の近道だと判断し、そのために人殺しをした。
しかし、私は教会を出ることはできたのか。教会を出ようとすれば何らかの救いを与えて縛っていたのかもしれないし、最初から私を縛れるだけの救いを与えていたのかもしれない。
「そうです。けど、それが何か問題なのですか?」
ファエルはいつもの声で、穏やかな表情で認めた。そして、馬鹿げた問いをする。
「全ては神のためです。人間は神のためにいるのですよ、エヴァリス。エヴァリス、あなたは神のために強くなる必要があった。そして、あなたの弟はあなたを強くするために私が呪いを掛けた」
もういい。天使という存在がどれだけ人間と相容れないのか簡単に理解できた。こんな奴の生温くて気持ち悪い声など聞きたくない。
「光栄に思いなさい、エヴァリス。人間という塵が我が道具になれることを」
私の意思を無視して勝手に喋るファエルを黙らせるためにナイフを握る。だが……
「その栄誉を称え、幸せな夢を見せてあげましょう。エヴァリス」
その言葉で、私の意識は簡単に消えてしまう。




