第十話 悪魔との食事
人気のある曲を適当にBGMにしているファミレスにてベルフェがドリンクバーで入れてきた物は、どこに売っている、そんな毒物とかつっこんでみたくなるような濁った液体。
「ん、ドリンクバーの品を全部混ぜた。もちろん、コーヒーも紅茶も、ガムシロップにフレッシュも入っている。残念なことだが、ハーブティーはパックだけで他の飲み物みたいに機械に入ってなかったので入れられなかった」
「残念じゃない、私は絶対に飲まないからな。そんな毒物」
平日の昼前のファミレスは客が余りいない。だから、こんな奇行をする奴がいても客は気づかなかったのだろう。尤も、店員は気づいているようで顔を青くしている。この液体からは異臭はしていないことは幸いと言えるだろう。
ドリンクバーの利用を私達二人しかいないのに三人分頼んだ時点でこういう馬鹿なことをすると気づくべきだったのかもしれない。そして、空のコップを持って再びドリンクバーに行く。私は私で、メロンソーダを飲んで頼んだ品が来るのを待つ。だが、それよりもベルフェに戻ってきて欲しい。
「……」
メニューを持ってきたウェイトレスが固まる。私とベルフェの席の間、テーブルの真ん中にある液体が原因だろう。そして、ウェイトレスは私を見て訴えかける。
「それ、私ではなくて連れのです。それより、早くください」
ウェイトレスはこれを残していくなといいたそうだったので、聞かれてもないのに事実を話してしまう。
「……あっ、はい。えーと、お待たせいたしました」
お決まりの言葉を言って頼んだメニューを迷わずにテーブルの上に置いていく。
「残りのメニューも直ちにお持ちしますので、少々お待ちください」
そう言って一旦下がり、私が頼んだのと同じランチセットをすぐに持ってくる。
「ご注文の品は以上でよろしかったですね。それでは、ごゆっくりしていってください」
笑顔で言葉を最後まで言って、ウェイトレスは立ち去った。本当はこの席に近づきたくなかったのだろう。テーブルの真ん中に置かれた液体、異臭はしないが目に毒な物だし。だが、今の私には目の前にある毒よりもっと猛毒なものがある。先程のウェイトレスの態度と……。
「ん、どうした。毒でも入っていたか」
こんな馬鹿なことを呑気に言うこいつだ。
「うん、ベルフェという猛毒がそこに」
にっこりと笑顔で言うように心がける。無論、額には青筋を立てて。
「そうか、それは猛毒だな。だが、俺の前にも猛毒があるぞ。エヴァリスという猛毒が」
私の怒りは受け流し、席に座ったベルフェは入れてきたオレンジジュースを飲み、さらっと言う。多分、こいつに怒鳴っても無意味か楽しまれるのが落ちだ。あからさまに怒りを表すより、無言で抗議する方がまだましかもしれない。
「エヴァリス」
反応したら負けかな、と思い無言を貫く。
「俺を退屈させないと言ったな、エヴァリスは。つまりそれは俺の奴隷になるということだな」
つっこみたいが我慢しろと命じる。多分、ここで私につっこませるのが奴の策略だ。
「と、いうわけで。奴隷よ、その飲み物を飲め」
そう言って、この馬鹿は私の前に毒ではないかもしれないが毒といいたくなる液体を私の目の前に置く。我慢はでき……ない。
右手の甲に左手で十字を切る。少し前にも力を解放させたが、使ってないので問題は無いはず。仮に問題があったとしても我慢の限界だ。
「お前が……飲めー」
周囲の人の目を無視して、叫んでしまう。
猛烈に怒っている。いい奴に見えたけどやっぱり悪魔なこいつに。そして、そんな悪魔を信用してしまった自分に。
「わかった。飲む」
「……へ」
悪魔だと思ったこいつが意外なことを言うので間抜けな声をだしてしまう。そして、ベルフェは液体を口にする、おいしそうに。そんなベルフェを見て、その濁った液体、実はおいしいのではと思ってしまい。
「一口、飲ましてくれるか?」
「ああ、いいぜ。好きなだけ飲めよ」
悪魔にしては親切な奴だと思い、恐る恐る濁った液体を口に含む。
結論、やっぱこいつは悪魔だった。ベルフェは確かにおいしく濁った液体を飲んだ。混じったジュースを分離して一種類ずつ。そんなことを知らずに飲んだ私は毒物に近い液体を口に含み。すぐに吐き出すために席を離れた。
「別に、俺はこの飲み物がおいしいとは一言も言ってない。俺は、複数の飲み物を同時に飲みたいからこうしていたわけだし」
勝手に食事を始めていたベルフェは何も言っていない私に説明と言い訳をする。尤も、満面の笑みを浮かべているベルフェの言葉に私の怒りを抑える効果などない。
「嘘だ。だったら、コップは三つもいらないって。明らかに私を騙すために三つ目を頼んでいた」
「……さて、何から話そうか」
しれっとした表情で話を変えるベルフェ。ここまで堂々とされてしまうともう何も言えなかった。同時にそれは悪魔の顔だった。
悪魔の顔を浮かべるベルフェを見て、再認識する。ベルフェが私の求めていた高位悪魔だと。そして、フォークを置き、その手でナイフを握る。
「何からって、私がベルフェに訊く事があるの?ベルフェが寝ていた人を起こした時点で私の任務は終わっている」
疑問で言うが、言っていることは否定。悪魔に訊くことなど無いと遠まわしに言う。
「いや、終わってないだろ。俺、生きているし」
ベルフェの言う通り、私の任務はまだ終わっていない。
「私の任務は事件の解決。だから、問題なし。それにお前が心配することか?」
「なるほど。確かにそうだな、俺にはどうでもいいことか。ただ、教会の連中は事件の元凶が生きていることに納得できるとは思えないけどな」
これも事実だ。教会も、ファエル様も元凶となる悪魔、魔術師が生きることを認めない。
「私がベルフェを殺すことは不可能だ。無理なことを納得してもらう必要はない。仮に、それで追放するならこっちから出てってやる」
悪魔が嘘をつけなくても、人間である私は嘘をつく。手段など、どうでもいい。私は高位悪魔であるベルフェを殺せればいいのだから。
「そうか、無用な心配だったな。考えてみれば、俺にとってお前が教会を出る、出ないの、話なんかどうでもいいことか。だが……」
「忠告する。やめとけ」
ベルフェの目と声が私を恐怖で射抜く。ベルフェの目と声は冷たいだけ。冷たいだけで、敵意や殺意だけではなく、感情そのものがない。
感情を消すというのは矛盾している行為だと思う。何かをするというのは何らかの感情がある。例え、何も感じないといっても、それこそが感情だと私は考える。だから、感情を消すという行為にも、何らかの感情があるからすることだ。
それなのに、ベルフェは矛盾をせず感情を消した。いや、感情がないことが自然で、機械人形に見える。
「……何を?」
強がりだけでベルフェの目を見て言う。本当はこんな目で見られたくないし見たくもない。それでも、強がって目を合わせるのはベルフェを殺すため。
「ナイフを放せ。これ以上握っているとお前を殺す」
殺すと言うが、ベルフェに殺す意思はない。だが、この声は拒否権を与えない。拒否させないから殺さない。これは、ベルフェの慈悲なのだろう。
しかし、私はその慈悲を受け取れない。受け取ってしまえば、私はベルフェを殺せなくなってしまう。
「耐えられるのか。実に面白いなお前は。では、ルールを変えよう。後、十秒耐えてみろ」
そう言いながら、何も無い所から空の小瓶とナイフを取り出す。取り出したナイフで自分の手を切り、血を小瓶に詰めて蓋をする。
「これが欲しいのだろ。十秒耐えたらやるよ。だが、持ち逃げをしたら殺す」
私の前に血を詰めた小瓶を置き、甘い声を言う。この声にも慈悲がある。ただし、先程の慈悲とは全く違う毒の慈悲だが。この声は例え、禁忌を犯しても許してしまう甘さを感じさせる。だが、甘いだけ。許しても、こいつは殺す。
一秒後……ナイフを放せと本能が命じる。だが、まだ放さない。
三秒後……ナイフを握る手、頬に冷たい汗が流れる。全身に鳥肌が立つ。
五秒後……ナイフを放してしまう。後半分だというのに、それが長く感じる。体感時間で言えば一分を越えている。
八秒後……ナイフを握っていた手が小瓶に向かう。もう片方の手でそれを止める。だが、ベルフェを見ることに限界を感じる。一刻も早くここから逃げ出したくなる。
十秒後。
「耐え切ったか。では、これをやろう」
その言葉で私を支える糸が切れる。
「で、何で簡単にくれた?」
当然の疑問を口にする。悪魔の自傷行為は命の危険は無くても弱体化してしまう。それをこいつは何のためらいも無く行ったのだ。
「お前が面白いから。誘惑に負ける奴だったらつまらなくて殺したけどな」
実に正直な奴だ。嘘はつけなくてもオブラートに包んだ表現ぐらいしろと言ってやりたい。
「私はお前の玩具ってことか」
「そういうことだ。でも、お前は自分の扱いなんてどうでもいいだろ。願いさえ叶えれば」
実にその通りなのだが、ベルフェに言われるとつまらなく感じる。ベルフェに見下されるのは嫌だと思ってしまう。
「確かに、私は願いを叶えればいいと思っている。だが、お前に見下されるのは不愉快だ」
「ほお、不愉快か。なら、見下されないようにすればいいだろ。まだ時間はあることだし」
「時間?」
ベルフェとの時間はもうないはず。ベルフェの血があれば解呪はできる。そうすれば、神も悪魔も関係ない世界で私は過ごせる。だから、ここで別れたらそれっきりになってしまう。
「んー、その血がお前の願いを叶えるものになる時間。お前は悪魔の一部を使って解呪したいのだろ」
「疑問ではなく肯定か」
「言っただろ、お前はわかりやすい奴だって。で、悪魔の一部を使えば解呪が可能というが、正しくは悪魔の一部ではなく悪魔の死体の一部だ。だから、俺が生きている限りその血には何の力も無い。だが、血に俺の力を移せばお前の望む解呪ができる悪魔の一部になる。そのための時間が、役十日ってとこだな」
「で、その十日の間に同等になれと」
「そういうことだ。だが、安心しろ。同等になれなくても解呪ができる血はくれてやるが」
「メールか?」
話しも食事も終わり、ドリンクバーで入れてきたオレンジジュースを片手に携帯を操作していたら、人が少ないことをいいことにドリンクバーを利用してジュースの調合をしていたベルフェが訊いてくる。
「任務の経過報告を。ベルフェといる間は通常任務もできなさそうだし」
「別に殺してもいいけどな。ただ、立場上、俺は悪魔の側につくが」
「だから、理由を知らせて、ベルフェといる十日間は任務が入れないようにして欲しいと報告している」
話しのネタが尽き、ベルフェは調合した飲み物を飲む。先程の毒物に近い液体と違い、今回の飲み物はまともそうだ。
「終わったのか?報告」
オレンジジュースが半分残ったコップを持ってドリンクバーでジュースを入れようと席を立とうとした時にベルフェに訊かれる。
「終わったけど、何か用?」
「携帯を貸してくれ、兄妹達にメールを送る」
悪魔がメールを。違和感だらけだ。
「いいけど、ベルフェの兄妹ってメールアドレス持っているのか?」
「メールアドレス?何かよくわからないけど、問題ない。メール機能さえあればメールは送れるから」
そう言って、強引に私から携帯を奪う。変な勘違いしているのだろうか、携帯という物が誰とでも電話やメールの遣り取りができると。だが、悪魔が人間の文明に理解があるというのも変な話だが。
ベルフェが調合しているのを見て面白そうだなーと思い、サイダーとアップルジュースをオレンジジュースに混ぜることで炭酸入りミックスジュースを作ってみる。そして、席に戻るとメールの送信が終わったのか携帯が私の席の前に置かれていた。
どんな内容なのか気になり送信済みメール一覧を開く。メールアドレスが未入力でも送信を選択してしまったら履歴が残るので、ベルフェの送ろうとしたメールの内容が見ることができる。
送り先――ルシファー、サタン、レヴィアタン、マモン、ベルゼブブ、アスモデウス
件名――レア種ゲットだぜ!
用件――(用件なし)
「人を物扱いするなー」
送信済みメールを開き激怒する。レア種という言葉は気に入らないが許せる範囲だ。ゲットだぜ!なんて言葉を使われると完全に物扱いだ。物じゃなくても、収集系ゲームの収集物かと言いたくなる。
ベルフェが口を開く前に、機械音が携帯から響く。画面にはメールが届いたことを知らせる文字列が表示され、決定ボタンを押すと受信メール一覧の画面が映し出される。一番上に今受信したメールが表示されており、それを開く。
送信者――アスモデウス
件名――(件名なし)
用件――珍しいな、ベルフェゴールが人間といるなんて。それもレア種と。よっぽど面白いのだろうな、そのレア種。尤も、私の契約者も面白いぞ。レア種ではないがこいつの在り方は異常種だ。
「それ、俺宛だろ?」
ベルフェのことだと思うので、このメールはベルフェ宛だ。だが、メールが返信されたということはさっきのメールが送信されたということになる。もう一度、先程のメールを開き、送り先のアドレスを調べる。しかし、アドレスは表示されず、状態を見たら送信済みとなっている。
「メールアドレスが入力されていないのにメールが届いたのか?」
悪魔が遠くにいる悪魔と話しをしたりするのは不思議ではない。だが、人間の道具である携帯で悪魔が不可思議な現象を起こすのは不思議なことだ。
「よくわからんが、それは電波に頼ったやり方だろ。電波に頼らなくても、代わりがあればメールは送れる。携帯から俺の魔力を電波代わりにしてメール送信するのは容易いことだ」
「そんなことができるのなら、携帯いらないだろ」
代わりがあれば遠距離通信ができるのなら携帯は必要ない。電波の変わりに魔力を使えるのなら、送受信には目や口などの体に備わっているものを使えばいい。
「んー、それは気分の問題だな。心の中じゃ感嘆符や絵文字をイメージするのは無理だろ。メールを使えば視覚に記号を伝えることも可能になるからな」
説明を終えた、ベルフェは私に携帯を返す。特に返信する内容が無いらしい。他の兄妹からメールが届いたら貸してくれというが、他の兄妹からの返信は無かった。




