第2話 初陣
開戦から5日が経過した。ここまでフィンランド軍は撤退を重ね続けてきた。量質双方において大きく勝るソ連軍を相手にフィンランド軍は為す術が無かった。諸外国は下馬評通りフィンランドは早晩地図から消えるものと考えていた。
だが、フィンランドだけはそうは思わなかった。彼らはあることを待ち望んでいたのだ。そしてこの日、彼はやって来た。死の行進曲を奏でながらスオミの大地に舞い降りたのだ。
「冬将軍」が。
例年と比べ暖かかったフィンランドを突如吹雪が襲った。吹雪はやむ気配を見せず、2日、3日と降り続け、気温はマイナス40度にまで達した。結果、防寒対策を怠ったソ連軍の装備は次々と寒さで故障。進撃のスピードは途端に鈍重になった。
これをフィンランドは見逃さなかった。白く暗い寒波の向こうにソ連軍を見据え、フィンランド軍総司令官マンネルヘイム元帥の下彼らは着々と反撃の準備を整えていた。
1939年12月5日
早朝、陣地を散歩していたシウナウスはそそくさと箱を抱えて小走りで移動する怪しい人影を見つけた。向こうもこちらに気がついたか足を速める。数メートル移動したところで相手が不意に立ち止まり声をかけた。
「なんだハータイネンじゃねえか。」
「・・・あの、何をなさっているのですか中尉。」
「何って、見りゃわかるだろ。」
怪しい人影は中隊長ユーティライネン中尉その人であった。
「もしかしてまーた他の中隊の装備かっぱらってきたんですか。」
「かっぱらってきたとは人聞きの悪い。譲り渡して貰ったんだよ。」
「まあ確かに公式記録ではそうなってますけど・・・」
中尉は、自分の中隊のために強引に装備を調達してくることが1度や2度では無かった。無論他部隊からは非難囂々だったが、そんなことを気にするタマでは彼はなかった。「少しは気にしてくれ」と思ったものも少なくはないであろうが。
「装備を貰った分仕事すればいい話なんだし。戦闘が本格的に始まれば露助が弾持ってやってくるんだ。心配いらんさ。」
「まあ確かにそうですけど。上から何か言われないんですか?」
「いいや。何か言われたかも知れないけどとっくに忘れてた。なにせ士官学校で仮配属されたときに3回も拘禁処分を喰らったんだぜ。あれに比べりゃねえ。」
「・・・拘禁処分って何やらかしたんですか。」
「どうやら人生を楽しむのはよろしくないことらしくてな。ピューリタンがバルト海渡って来てたとは知らなかったね。」
少々自慢げに語る中隊長とは逆に、シウナウスの顔は諦観の念に包まれていた。
12月7日早朝
コッラー川を守るフィンランド陸軍第12師団の兵士達はソ連軍から銃声のモーニングコールを受け取った。うたた寝を妨害され憤慨した彼らは銃をとって塹壕へ向かった。無論フロントに軍隊式で文句を言うためである。だが、結果は彼らにとって大分拍子抜けだった。
戦闘開始から3時間ほどたった頃、ソ連軍の第1波を撃退したシウナウスは傍らの少壮の下士官に尋ねた。
「なあ、露助はいったい何がしたいんだ。」
「さあ。他方面でも攻勢に出ているとの話もあるので、こちら側は陽動の可能性がありますが・・・」
若きハータイネン少尉はベテラン軍曹スレヴィ・マルバレフト氏の回答を聞いてなお不服そうである。まあ軍曹自身が納得出来ていないのだ。どうして他人を納得させることが出来ようか。
「陽動にしたって何かがおかしい。ロシア皇帝があの世から帰ってきたのか。」
「?」
ジョークのセンスがそこまであるわけではない小隊長は「時代錯誤だ」と言いたかった様だが、周囲に理解して貰うにはしばしの時間が必要だった。
「・・・まあ、塹壕に銃剣突撃なんて先の大戦でもなかなかありませんでしたが。」
「陽動でももう少しやり方があるだろう。」
ソ連兵がやったこと。それはまさかの銃剣突撃であった。無論、彼らは目標にたどり着く前に機関銃なり小銃なりの銃火でなぎ倒されていく。数で圧倒すればなんとかなると思ったのかもしれないが、塹壕相手にはどんな数をぶつけても無駄というのは前大戦で実証済みのはずだ。また、支援砲撃も行った様だが、命中した砲撃はなく、被害はまったくでなかった。
「隊長。敵影を確認。敵の第2波です。」
敵襲の報により彼の思考はそこで中断された。彼には眼前の敵を退ける義務があるのだ。
第2波も第1波と同様の結果に終わった。ソ連軍は一方的に蹴散らされた。あれは戦闘とは言えなかった。もはや射的であった。しかし、それでもなおソ連軍の攻撃は止まない。幾ら倒しても次々と兵士が襲いかかってくる。少しずつ、しかし確実にフィンランド軍は疲弊していった。このままでは埒が明かない。
何度目かの攻撃を撃退し、誰もがそう感じ始めたとき、シウナウスの小隊に中隊長から命令が下った。内容は単純明快、スキーを以て敵後方へ回り込み、敵を奇襲、混乱せしめよ。というものである。
「軍曹、仕事だ。今のうちにシャンパンでも用意しといて貰うか?」
「ありませんよそんなもの。ソ連軍から分けて貰ってはいかがですか。」
小隊長にジョークを言われたマルバレフト軍曹は冷ややかに切り返した。
お気楽な上官に対し部下は気が気でない。それもそのはず。敵の後ろへ回り込むのだから、味方の支援を受けることはほぼ不可能に近い。そのため、敵に発見されれば容易に殲滅されうるのだ。それを考えるとまともな人間はおちおち軽口も叩けない。
まともな大多数の小隊員は若い小隊長の実力を疑問視し、こんな小隊に配属された己の不運を嘆いた。まともでないごく一部の小隊員は若い小隊長を気に入り、こんな小隊に己を配属した中隊長のセンスに感謝した。
シウナウス・ハータイネンの英雄譚は不安を撒き散らす形で始まった。
太陽が沈み始めた頃、自小隊が抜けた分の穴埋め担当が到着したのを確認したハータイネン小隊はスキーを装備し出立した。鬱蒼とした針葉樹林を音もなく素早く滑り抜ける。子供の頃からスキーを足としている彼らにとって、針葉樹を左右に躱すなど造作もない事だった。獣道をしばらく進んだところでシウナウスは止まれの合図を出す。数百メートル先にはソ連軍の砲撃陣地が見える。
この光景を後世の人が見ていればこう言うであろう。「なんと運の悪い砲撃陣地だろう。」と。
「おめー故郷はどっちの方だ。」
「シベリアだ。中国との国境近くの小せえ村だよ。国境の向こう側はなんとかっていう軍閥の領土だったと思う。」
「出稼ぎかい?」
「ああ、出稼ぎさ。畜生、故郷の許嫁を思い出しちまったじゃねえか。」
「へっ。良いねえ帰りを待ってる相手が居るってのは。帰ったら結婚かい?」
「その通りだ。結婚式に呼んでやろうか。」
「遠慮しとくよ。独り者には刺激が強そうなんでな。」
ソ連軍の砲撃陣地の脇で焚き火を囲みながら歩哨2人が話し込んでいる。そんな他愛のない話の真っ最中、どこからか閃光が走り1人の前頭葉を貫いた。もう1人も驚く暇もなく心臓を撃ち抜かれた。銃声に気がついた他の歩哨が敵襲を知らせ、隊員は銃を持って集まったが、こんな悲惨な会話が交わされていた。
「何が起こった!」
「よくわかりません!」
このある上官と部下のやりとりが全てを物語っていると言っても過言ではない。土地勘のない森の中で、降り積もった雪と同じ真っ白なギリースーツを着たフィンランド兵の正確な居場所を掴むのは困難を極めた。最終的に、ソ連兵達は攻撃の方向を割り出すことに成功したが、射線から逃れようとした兵士は残らず回り込んできた分隊にサブマシンガンで穴だらけにされた。
マルバレフト軍曹が敵部隊の全滅を確認し、小隊長へ報告をしようとしたとき、彼は通信兵と共に無邪気な顔で敵の無線機をいじっている最中であった。
「まあ待ってくれ軍曹。」
敵の増援が到着する前に物資や兵器を回収して退却しようという軍曹の提案を一蹴して隊長はそう言った。
「このまま引いても良いがそれだとちょっと面白くないんでな。1つイワンどもを罠に嵌めてやろうじゃないか。心配すんな。犠牲は出さねえ。」
こいつはヤバい。優秀かどうかは置いておいてとにかくヤバい。
よからぬ事を企むいたずらっ子のように目を輝かせながら腹案を語り出した隊長を見て、軍曹は確信した。