第5話 お爺様
ノラン・ロサード。彼のことを知らない者はこの国どころか他国でもいないといわれている。それは、大戦時彼と対峙したものは死を覚悟し、彼に下ったものは誰一人欠けることがなかったという。敵にとっては恐怖の対象であり、味方にとっては最強の大英雄として広く知られていた。その戦い方は『戦鬼』の二つ名を賜るほどで、公爵家次期当主でありながら真っ先に敵陣に飛び出し大きな傷もなしに身体が真っ赤に染まるほどの返り血を浴びてなお戦う様から『血濡れの悪魔』と呼ばれていた。
そんな彼は人一倍ストイックである事も有名だった。強くなりたいと彼に教えを受けようとした腕に自信がある者達の大半が3日で逃げ帰った事で国の騎士や兵士、冒険者までに恐れられている。そんな大英雄ノラン・ロサードが私のお爺様である。
窓の外に最低限の装飾しかしていない馬車が近づいてくるのが見えた。それを私は複雑な気持ちで見ていた。
「お兄様……あんな事を言われる方ではないに……。後、お爺様に私を鍛えて貰うのは当初の予定通りなので問題ないと知られたらどうしましょう……。まぁいっか」
私は知らずのうちに前世の性格に引きずられているようだった。
鏡の前で身だしなみをチェックするのはもちろんのこと、お爺様が来るので自己暗示をかけておく。
「人前では礼儀を忘れない。人前では礼儀を忘れない。人前では礼儀を忘れない……よし」
お爺様は厳しい方故に家族でも人前ならば礼儀やマナーに厳しくなるのだ。故にお爺様と何かをする前には自己暗示は欠かせなかった。
そうしているうちに心構えが出来たのでお爺様の出迎えに一階のホールに行く。すると途中でお兄様とばったり出会ってしまった。どう話すか迷っていると、お兄様は私を鼻で笑った。
「はっ、逃げずに来たか。だがまぁ、もう終わりだ」
「はい、覚悟はできています」
私が素直に答えると憎々しげに私を睨みつけ突き飛ばした。最近鍛えているとはいえ、自分より2つ上の男に力一杯突き飛ばされたら対処できるはずもなく、私は尻もちをついてしまった。それを見てまた笑い先に階下へと下りて行ってしまった。
「痛くはないんだけどね……。いくら私が鈍感で図太くても嫌われてることは気付くよ。でもなんで嫌われてるんだろ……。まぁ今考えても仕方がないか。遅れたら怒られるし」
お尻の埃を払い、分かる範囲の身だしなみを歩きながら直し階下へと下りた。すると丁度お爺様が扉から入ってきたところで内心ヒヤヒヤした。使用人たちは左右に分かれて道を作り、奥から私達が出迎えた。お爺様は護衛を引き連れ、厳格な顔で出迎えを受ける。その姿は齢70歳には見えない程凛々しかった。
「父上、ようこそおいでになりました。長旅でお疲れでしょう。ごゆるりと疲れをいやして下さい」
「気遣い無用だ、と言いたいが長旅は老体にいささか響いた。少し休ませてもらおう」
「でしたら客間に案内させましょう。ラン、父上を案内して差し上げろ」
「かしこまりました、ご主人様」
お爺様とその護衛はランに客間へと案内されていった。とりあえず第一関門突破といったところか。しかし気を抜いてはいけない。少し時間をおいたら食事が始まる。食事時は普通の立ち振る舞いに加えテーブルマナーもあるので一番の難関である。特に晩御飯ならばなおさらだ。私は自分の部屋に戻りメイドにディナー用のドレスを見立ててもらい、決戦までしっかりとマナーのおさらいをしておく。そんな今にも吐きそうな顔しておさらいする私をメイドは目の前をおろおろ、うろうろするだけであった。
ディナーにはこの領ででとれる特産品や友好関係にある領から運ばせた特産品をふんだんに使った豪華なものとなった。普段より豪華な食事に目を輝かせるもお爺様の発する空気が浮ついた心を引き締める。退役して長いというのに両親ですら緊張させる気迫はさすが歴戦の英雄というべきだが、食事場が戦場の様相となっていて食事を楽しむ雰囲気ではなくなっていた。緊張の面持ちのまま食事を続けているとお爺様が食器を置いた。その瞬間全員がお爺様を見た。
「何を緊張しておる。わしは人目があるときは最低限公爵家にふさわしい振る舞いをしろとは言ったが怯えろとは言っていない。それにその態度は客人には失礼に当たるだろう」
お爺様は少し顔を緩め、また食事を再開した。そこからの食事は無言ながらも和やかに進んでいった。お兄様は笑顔でもにやにやとした笑いだったかもしれないが。
お爺様は王都で全騎士団の指南役としての仕事をしており、基本王都の一等地にある大きな屋敷に住んでいるのだが夏の間だけこの領に戻ってくるのだ。そんなお爺様に本職の騎士の訓練方法を教えてもらおうと、晩餐の翌日、私はお爺様の下へと向かった。
「お爺様は確か……二階の来客用の部屋にいるんだっけ?」
「はい、お嬢様。部屋で休んでいると部屋にお戻りになられてから外出なさった様子はありません」
「ありがとう」
誰かにずっとついてもらうのが苦手な私は専属メイドがいない。代わりに手すきのメイドにその代わりをやってもらっている。そのメイドにお爺様の居場所を尋ね、部屋の前までやってくると扉が少しだけ空いていて、部屋から話し声が漏れていた。マナー違反であるとは分かっていたが片方の声が声変わりもしていない男の声であったので、私は扉の隙間からこっそり部屋を覗き込んだ。
「前口上は良い、アランよ。わしにどのような要件かな」
「はい。実は折り入ってお話ししたいことがありまして、妹のシンシアのことなのです」
(お、お兄様がいた!?)
「ほう、シンシアか。あれは優秀な娘だ。頭が切れ、機転もきく。そんなシンシアについて何かあると?」
「……っ。はい、お爺様も見ているのでわかっていると思いますが、実はあれは太っているのです。それも、上流の貴族にあるまじきほどに。ですので王都で騎士を鍛えてらっしゃるお爺様にお力添えをと思いまして」
「ほう、そうか」
(まずい……貴族のことを持ち出されたらお爺様が黙ってるわけないじゃん……。どうしよう……)
すると、お爺様は机に立てかけていた自分のロングソードを手に取った。お兄様は呆けた顔でそれを見ていたが、お爺様が鞘から剣を抜いところで顔色は驚愕へと変わった。
「お前の顔は何か企んでいる顔だ。純粋な親切心や気遣いならばそのような顔にはならん。まだ心の内を隠すのが下手だな」
「な、何を……」
そしてお爺様はアランの前まで移動し剣を上段に構える。アランは尻もちをつき恐怖のあまり動けなくなっていた。そして……
「だ、駄目ですわお爺様!」
私はその白刃の前に身を晒した。まっ直ぐ振り下ろされたお爺様の剣は私の右肩の少し上で静止していた。
「ふむ。良い動きだ。太っているとは言ったがもう少しで平均的な体系まで戻るだろう。それに度胸もある。貴族として自らの身を危険に晒すことは褒められたことではないが、まぁ良い」
お爺様は剣を私の肩からどけると私を評価を始める。しかし私はお爺様が剣を納めていいないことと、お兄様の評価をしていないことに不安を抱きお爺様に訴える。
「お、お爺様、お兄様をお切りにならないでください!」
「切るつもりは無い。が、軟弱者には良い薬になっただろう」
お爺様が切らないといったことで少し安心し、そして謝罪する。
「お爺様、部屋を覗き見るような真似をして申し訳ありませんでした」
「そうだな、貴族の子女としてもう少し慎みを持つべきだ」
「申し訳ありません」
そこでお願いをするために私は少し背筋を伸ばした。お爺様も何か悟ったのか真剣な顔になる。
「お爺様、私もお爺様にお願いがあって参りました」
「そうか。言ってみなさい」
私は軽く息を吐き身体と精神を落ち着かせ言った。
「私を鍛えてください!」
その言葉にお爺様の護衛達はびっくりしたような顔になり、お爺様自身も軽く目を見張った。そして、お兄様は私の後ろで涎をたらし白目をむいて気絶していた。
テストが終わり一段落と思ったら本当に一段落してしまって投稿が予定より遅くなってしまった。申し訳ないです……。