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第五話 作家の本懐

売れない作家の決断とは……

 今時の作家には珍しく、笹崎は万年筆で原稿を書いている。あこがれの流行作家の真似まねをしているのだが、彼自身は決して売れっ子ではなかった。

 だが、笹崎の場合は、売れっ子作家ではないから手書き原稿でも締め切りに間に合っているとも言える。性格的に、キチンと清書しなければ気がまないからだ。

 その日も明け方まで原稿を清書していたため、笹崎が起きたのは昼過ぎだった。

 水でも飲もうとリビングに行くと、テーブルの上に置いていた原稿の前に、妻が座っていた。

「あなた、どうしてこんなに原稿の量が減ってるの?」

 怒りと悲しみが入り混じった表情でめる妻に、笹崎はつぶやくように「推敲すいこうしたから」と言った。

「だって、一枚に付きいくらという契約でしょう。どうして、ワザワザ枚数を減らしちゃうのよ!」

 何か言いかけた笹崎は、しかし、その言葉を飲み込んだ。わりに「ちょっと出かけてくる」と言いて、妻の顔も見ずにアパートを出た。

 妻と文学論をたたかわせてもしょうがない。それより、早くタバコが吸いたかった。子供が生まれてからというもの、妻は断固だんことして家の中で吸わせてくれないのだ。

 笹崎はいつも行く近所の喫茶店に入った。年配のマスターが一人でやっている、テーブルが二つとカウンター席だけのこぢんまりした店だ。

 たまたま客が途切とぎれた時間らしく、カウンターの中で新聞を読んでいたマスターが、笹崎の顔を見てニッコリ笑った。

「いらっしゃい。いつものブレンドコーヒーかね?」

 笹崎はだまってうなずくと、カウンターのすみに座り、タバコに火をけた。

 マスターはカウンターに立ち、一人分のコーヒー豆をカリカリとミルでいた。それをネルのフィルターに入れ、口の細いポットでゆっくり熱湯をそそぐ。コーヒーのいい香りがただよってきた。

「どうぞ」

 出されたコーヒーを一口飲んだところで、誰かが店に入って来る気配けはいがした。

「よう、笹崎」

 自分の名が呼ばれるとは予期しておらず、笹崎は驚いて振り返った。

「なんだ、安村か」

 高校で同級生だった安村だ。当然のように笹崎のとなりの席に座った。

「なんだはないだろう。久しぶりだな」

「ああ。去年の同窓会以来か」

「今年はキミちゃんしか来なかったもんな」

 キミちゃんとは、笹崎の妻の貴美子のことである。三人とも同じ高校の出身なのだ。

 笹崎は新作短編の締め切りがせまっていたため、今年の同窓会は欠席した。出席した妻が帰宅してから、安村と会ったと話していたのを思い出した。

 安村はマスターに「おれもコーヒーを」と頼んでから、笹崎に向き直った。

「正直に言おう。実は、キミちゃんから頼まれた。おまえと話してくれって、さっきメールが来たんだ」

「話すって、何を」

「おれも得意先回りの途中で、あまりゆっくりしていられないから、単刀直入たんとうちょくにゅうに言うぞ。実際のところ、今のおまえのかせぎで、この先、親子三人食って行けるのか?」

 笹崎は答えなかった。いや、答えられなかった。


 笹崎が『小説ぱずる』の新人賞をとったときは、まだ学生だった。

 とんとん拍子びょうしで処女作の出版が決まり、そこそこに売れた。そのため、友人たちが就職活動にシノギをけずる中、笹崎はまよわず専業作家の道を目指めざした。

 ちょうどその頃、貴美子と再会して付き合い始め、周囲の猛反対を押し切ってせきを入れた。その時点では貴美子も働いていたため、何とかなるつもりであったのだ。

 だが、二冊目以降、思うように本が売れず、長編の依頼もいつしか途絶とだえた。

 そのうち子供ができ、貴美子が仕事をめると、とたんに生活が苦しくなった。多少はあった貯金も、もうほとんど取りくずしてしまった。

 今では、『小説ぱずる』に不定期に掲載している短編の原稿料で、かろうじて糊口ここうをしのいでいる状態である。


 笹崎が何も言わないのにれて、安村は話を続けた。

「悪いことは言わん。作家はやめて就職しろ。今ならまだ間に合う。このままジリひんになるより、その方がいい。キミちゃんや子供のことを考えてやれ」

 笹崎は、ふーっと長いため息をつくと、内ポケットから愛用の万年筆を出し、安村に見せた。

「これは、『小説ぱずる』新人賞の副賞としてもらったものだ。今でも使っている。これをもらうとき、担当の編集者から言われたことがある。何年も何年も新人賞に応募し続け、それでも賞に届かずにあきらめる人が大勢いる。その中で賞をったぼくには、責任があるんだって。小説を書き続ける責任がね」

「そんなこと言ったって、おまえ、現実に」

「わかってる。今のままでは、家族を不幸にする。それはぼくだってわかってるさ。だから、決心したよ。就職する」

「そうか。じゃあ、作家はやめるんだな」

 だが、笹崎はゆっくり首を振った。

「言っただろ。ぼくには責任がある。明日からでもハローワークにかよって職探しをするけど、小説も書く。ただし、締め切りに追われちゃ、仕事に差しつかえるだろうから、雑誌に掲載はしない。少しずつでも書きめて、いずれ長編として出す。まあ、何年先になるかわからないけどね」

「まあ、ちゃんと働くんだったら、それでもいいけどな」

 笹崎は苦笑した。

「信用してないね」

 笹崎は胸のポケットから、タバコとライターを取り出し、カウンターしにマスターに差し出した。

「すみませんが、これをててもらえませんか。それから、当分の間、ここには来れなくなると思います。いつも、美味おいしいコーヒーをありがとうございました」

 マスターは笑顔でうなずき、タバコとライターを受け取った。

 笹崎は、安村に向き直り、頭を下げた。

「安村、すまなかった。言いにくいことを言わせてしまって」

「いや、おれの方こそ、ズケズケ言って悪かったな」

 顔を上げた笹崎は、少し恥ずかしそうに安村に頼みごとをした。

「今度ヒマがあったら、ぼくにパソコンの操作そうさを教えてくれないか。さすがにもう、手書きは疲れたよ」

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