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第四話 社長、本を出す

小さな出版社に原稿を持ち込んだ社長の言い分とは……

 レインボー出版は、主に地元の名士めいしなどの自費出版を手掛てがけている小さな出版社である。

 その日、編集長の花沢が持ち込み原稿の下読みをしているところへ、営業の小牧が青い顔で入って来た。

「編集長、すみません」

「どうした」

「ぼくじゃダメって言われました。もっとエラいのを出せって」

「どんな客だ?」

「何とかって食品加工会社の社長です」

「ほう、いいカモじゃないか。わかった、おれが話そう」

「お願いします」

 応接室で待っていたのは、還暦かんれきを過ぎたぐらいの頭髪の薄い男だった。いかにもゴルフ焼けしたような黒い顔に、彫刻刀でったようなシワがきざまれている。

 男の前のテーブルには、持参じさんしたらしい分厚ぶあつい原稿が置かれていた。

「編集長の花沢でございます」

 花沢が差し出した名刺を片手で受け取ると、男は低い声で「土橋省三だ」とだけ名乗った。

「土橋さま、原稿のお持ち込み、ありがとうございます。ちょっと、拝見させていただきますね」

 軽く一礼して、原稿を持ち上げた。

(ほう、今時手書き原稿とは。ざっと五百枚ぐらいかな。ずいぶん張り切ったもんだ。どれどれ。タイトルは『わしの人生、山あり谷あり』か。うーん、これは変えてもらおう。ふむ、見かけによらず字はきれいだが、文脈が乱れまくってるな。どれが主語なのか、さっぱりわからん。編集に時間がかかりそうだが、その分、追加料金をもらうとするか)

「なかなかの力作のようですね。いったんおあずかりしまして、じっくり読ませていただきます。装丁そうていなど具体的なことについては、その後に相談することにいたしましょう。では、とりあえず、こちらの契約書にご署名しょめいを」

 すると、土橋がギロリとした目で花沢をにらみながら、「本当に二百万か?」と尋ねた。

 花沢は営業スマイルのまま、(来たな)と身構みがまえた。

「ええ、まあ、何も手直しがなければ定額の二百万円ですが、ざっと見たところ、いろいろと校正こうせいが必要のようですね」

 土橋は、チッと舌打ちした。

「じゃあ、二百万かららされるんだな」

「はあ?」

「だから、訂正の分、原稿料を減らされるんだろう」

「すみません、おっしゃっている意味が」そこまで言って、ようやく相手の言っている意味が飲み込めた。

 花沢は、ひきつった笑みを浮かべた。

「申し上げにくいのですが、どうも誤解ごかいをなさっておられるようで」

 土橋はムッとした顔で、腕を組んだ。

「何がおかしい。ちゃんと広告に『あなたも作家になれるチャンス! 今なら二百万円!』と書いてあったぞ。今さら値切ねぎるのか!」

「いえ、値切るとか、そういう問題ではなく、逆なんです」

「何が逆だ」

「ええ、その、二百万円は、わたくしどもが土橋さまからいただく金額でして」

 土橋の顔が怒りで真っ赤になった。

「ふざけるな! どこの世界に、品物を受け取る側がカネまでもらうなどという理不尽りふじんなことがあるか。それじゃあ、おまえは、八百屋でネギを買うとき、カネを払わずに、逆にもらうのか!」

 花沢のひたいから冷たい汗が流れ落ちた。

「違います違います。ええと、こう考えてみてください。例えば、土橋さまがオーダーメイドでお洋服を作られるとします。どんなデザインを希望されるかくわしく書いていただき、それをもとに洋服屋が服を作ります。さあ、この場合なら、土橋さまから洋服屋におカネを支払われるでしょう」

「それは素人しろうとの場合だろう。仮に、わしがデザイナーとしよう。そのわしがデザインした服を、洋服会社が作って売る。当然、デザイン料をわしに払うだろうし、その服が売れれば、さらに歩合ぶあいをくれるはずだ。同じように、わしが心血しんけつそそいだ原稿をおまえの会社に渡す。まず、原稿料として二百万、出版した本が売れれば、その分の印税をもらう。これのどこがおかしい?」

こまった客だ。早々そうそうに引き取ってもらおう)

「失礼ですが、土橋さまは自費出版というものをわかっていらっしゃらないようですね。残念ですが、当方ではお引き受けできません。他の出版社をお探しください」

 土橋が組んでいた腕をほどいて、平手でバンとテーブルをたたいた。

「本当に失礼なヤツだな。もう、いい! ちゃんとわしの原稿の価値をわかってくれる出版社に行く。原稿を返せ!」

「どうぞ」


 土橋が帰ったあと、小牧が花沢にあやまった。

「すみません。ぼくが断るべきでした」

「仕方ないさ。向こうは、最初から勘違かんちがいしてるんだから」

 小牧は少しホッとしたように笑顔を見せた。

もうそこなっちゃいましたね」

「まあな。だが、たとえ納得なっとくさせて二百万円払わせても、どうせ、後々のちのちモメるさ」

「そうですね。でも、あの社長も出版社を何軒か回れば、自分の間違いに気付くでしょう」

「そうだな。その上で、自腹じばらを切って出版する決心がつくか、どうか。まあ、ここに戻って来ることはないだろうが」

 小牧は、何か思いついたようにニヤリとした。

「まさか、よそで出版して、意外に売れちゃう、なんてこと、ないですよね」

 花沢もつられて笑った。

「今は、プロの作家でもそれなりの広告宣伝費をかけないと、本が売れない時代だぞ。そんな奇跡ミラクルがあれば、逆立ちして町内を一周してやるよ」


 だが、数か月後、『わしの人生、山あり谷あり』は、自費出版としては異例いれいの大ベストセラーとなった。


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