第二話 趣味と実益
作家になる夢を諦めきれない洋介は、流行作家のエッセイに驚くが……
とある流行作家のエッセイを読んで、洋介は衝撃を受けた。
林廣次というその作家の名前は知っていたが、推理小説が苦手なので今まで作品を読んだことはなかった。したがって、行きつけの本屋でそのエッセイを手に取ったのは、まったくの偶然だった。
元々役所勤めをしていたという林は、小遣い稼ぎに書いた小説が新人賞を獲り、瞬く間に流行作家になったという異色の経歴の持ち主である。
洋介がショックだったのは、彼の『小説は読むのも書くのも好きではない。あくまでも仕事としてやっているので、書き上げた小説は二度と読まない』という言葉だった。
中学生の頃から小説が好きで、高校生になるや文芸部に入り、小説を書いていた洋介には、まったく共感できなかった。小説を書くだけで生活できるという、洋介にとっては夢のような暮らしをしている人物が、実は小説嫌いだなんて。
(職業作家というのは、案外、そんなもんかな。ぼくなんか、書き上げた小説を自分で読んでいる時間が、一番幸せなのに)
洋介自身はその後、学生時代に何度か新人賞に応募したものの、自分で思うほどには世間は評価してくれず、良くても一次選考止まりだった。
卒業が近づく頃には諦めて、親戚の勤めている会社にコネで就職した。思った以上の激務であったが、今でも睡眠時間を削って小説を書いていた。
(まあ、今さら作家にはなれないだろうし、がんばって書いても意味はないだろうけど)
そう思いながらも、書きかけた原稿を読み返すと、続きを書かずにはいられなかった。
(あんまり無理をすると、明日にひびくなあ。これぐらいにしとかないと)
洋介は倒れ込むようにベッドに入った。
翌日。洋介は睡眠不足の赤い目で、車両倉庫で行われる朝礼に出た。演台に立った鉄道管理官が、いつにも増して声を張っていた。
「諸君! いよいよ今日が最後の運行となった。長年、市民の足として働いてくれた路面電車ともお別れとなる。大半の者は、系列の鉄道会社やバス会社に再就職が決まっていると思うが、今日一日、無事に運行できるよう、最後まで気を引き締めてがんばってくれ。尚、今日は最終運行のため、抽選で選ばれた見学者の方々が同行される。業務に差し障りのない範囲で、質問にお答えするように」
(うわーっ、鉄オタが来るのか。勘弁してくれよ)
たまたま親戚が勤めていたのが鉄道会社だったため、なりゆきで路面電車の運転手になった洋介には、鉄道マニアというのは理解し難い存在だった。
特に中学生たちは、危険を顧みずに写真を撮ろうとしたり、運転中に話しかけてきたりするので、大の苦手だった。
案の定、洋介の車両にも、中学生二人を含む見学者たちが乗り込んで来た。
「すげえ、超低床式ボディがハンパねえ」
「わっ、やっぱりパッセンジャーフローだ」
全体に若い見学者の中に、どう見ても初老の男性が一人混じっていた。
年甲斐もなく中学生たちと同じようにキョロキョロと電車の中を見回していたが、運転席の洋介が視界に入ると、こちらが気恥ずかしくなるような羨望の眼差しで見つめている。
すると、中学生たちが声をひそめて話す声が、偶然、洋介に聞こえてきた。
「あれっ、またあのおっさん来てるぜ」
「おまえ、知らないのか。あのおっさん、超有名な鉄オタだよ。確か、作家の林なんとかっていう人さ。趣味の鉄道のために、イヤイヤ小説を書いてるらしいぜ」