Ep.5 煌めく紅き翼(フレアフェニックス)後編
煌く紅き翼、これで終了です。おそらく、Ep.6は四~五部分に分けることになると思います。
5-1
気付いているのか、いないのか。
反転石の装飾が施された銀の仮面をつけた男子学生は、こちらを見ようともせず、通りを横切っていく。
彼は一人で行動しているが、もう一つ、「人ならざるもの」の気配を感じる。彼の精霊だ。その気配は、真來にとって絶望の記憶を呼び覚ます、死と退廃、そして負の香りを漂わせている。
「──白夜」
『ちょっと真來!?本気ですかっ?』
頭の中に声が響く。白夜の声だ。耳に手を当て、話を聞く。
『今の真來では、絶対に勝てませんっ!」
「……絶対に?」
『そうです!あの人は技術も魔力も図抜けています。総合成績は歴代一位、この学園創立以来の秀才ですよ?その能力はまさに世界を支配できるほどのもので、ついた二つ名は<世界の支配者>……。現時点で最も<大魔導師>に近い存在──って、真來っ!?』
「説明はありがたいけどな、俺は筋金入りの馬鹿だ。一度試してみるまで理解できないのさ」
憤怒のあまり、最後まで聞いていない。真來は既に歩き出していた。
自然と早足になり、いつの間にか駆け出している。
食堂の前を通りかかると同時に、黒いコートの背中に呼びかけた。
「待てよ、仮面野郎。それとも、<支配者>って呼んだ方がいいのか?」
男子学生──<支配者>が足を止める。
彼から発せられる精霊のオーラと気配に、真來は思わず顔をしかめてしまう。
燻されるような痛みと怒りに胸を焼かれ、平静を装うことができなかった。
その気配は、あまりにも似すぎている。
「よう。人を殺し、その魂を連れてお散歩か?最低な趣味だな」
「……誰だ」
「悲しいこと言うなよ。遠路はるばる、極東の国から会いに来てやったのに」
軽口のように言いながら、真來ははっきりと自覚した。
体の芯が燃え滾っている。
人は怒れば怒気が漂う。だが、本当に心底からの怒りに支配されたとき、怒気は凪のように穏やかになる。
しかし、言葉を低く抑えても、感情を押し殺しても、どうも怒気は真來の全身から放たれているらしい。
周辺を歩く生徒は足を止め、話が広がったのか、食堂の生徒は身を乗り出し、まるで殺戮の現場でも見るかのように、こちらを見つめている。
仮面の中の瞳がこちらを睨み、再び歩き出そうとする。
「……どうやら、人違いをしているようだ」
真來はすばやく<支配者>の前に回りこむと、上着の内ポケットに手を入れた。
「俺は、ただ、こいつをあんたに渡そうと──」
刹那、どこからともなく、一人の少女が現れた。
フリルがついたゴシックドレスのような黒い衣装を纏っており、真紅の髪は地獄の光景を、凍りついたような無表情は殺し屋のような印象を真來に与えた。
おそらく、道を行く他の学園生たちも、<支配者>の使役する精霊を見るのは初めてだろう。
その少女は純白の鉈を握っており、鉈の切っ先は真來の喉元にあった。
少しでも首を動かすか、鉈を押し込むだけで、真來の首は簡単に裂けるだろう。
「逸るなよ。せっかちなお嬢さんだな」
手を上げ、苦笑する。
「……退け」
主たる<支配者>の一言で、少女は真來から少し離れた。だが、真來に対する警戒は解いていない。
真來は再び内ポケットに手を入れ、一つの魂端末を取り出した。
真來が感じる限り、精霊や召喚獣の気配を感じない、いわゆる「空の」魂端末だ。
少女が真來から魂端末を受け取り、<支配者>に手渡す。
「──これだけ、頂いておこう」
それだけ言うと、<支配者>は真來の横をすたすたと歩き、どこかへ言ってしまった。
真來の頭の中に、白夜の声が響く。
『すみません…………私、何もできませんでしたっ……』
白夜の声が震えている。おそらく、彼の精霊のオーラに圧倒されていたのだろう。
「いや、大丈夫だ──だが」
真來は強くこぶしを握った。
「今の俺じゃ、<支配者>には絶対に勝てない……!」
遠ざかっていく背中を、真來はしばらく睨み続けていた。
いつになったら、俺はあいつを超えられるだろう。
5-2
食堂前での騒ぎから数分後。一人の男子学生──通称<支配者>は、科学棟への小道を歩いていた。
「クロク。少し、時間をくれないか?」
突然声をかけられる。<支配者>──名をクロクというらしい──は足を止めた。
「何の用事でしょうか、セナ教授?」
木の陰から、一人の女性が顔を出す。魔法物理学教授のセナ・エレナーデ。亜麻色の髪と白衣のコントラストがまぶしく、深い赤の瞳は人の心を見透かすかのように鋭い。
「いや、少し気になることがあってね。君が先刻、<死への列車>から受け取った、それは何だ?」
クロクの持つ、魂端末を示す。
「教授は、彼をご存知で?」
「なに、私が担任を請け負っただけだ──それで?何が封印されている?」
「波動が弱いので、解析してみなければわかりませんが──おそらく、魔物かと」
「魔物だと?」
意外そうな顔をする。
「ええ。それも、小人鬼や一目人鬼のようなものではなく、それこそ一目巨人や翼龍といった、非常に力の強い、唯一無二の魔物でしょう」
「なぜ、<死への列車>がそんなものを……いや、今考えても仕方ないな。しかし、なぜ君に?」
「……剣を交えて、決闘の証とするように」
唐突な呟き。セナは怪訝そうに眉をひそめた。
「極東のとある一族には、魂端末を突きつけて、仇討ちに臨む風習があるそうです」
「……つまり、君は彼の仇であると?」
クロクは答えない。だが、それは肯定にも受け取れる沈黙だった。
「ご用件が無ければ、これで」
「ところで、クロク」
通り過ぎようとする<支配者>に、セナは切り込むように問うた。
「こんな噂を知っているかね?誰が言い出したかは知らないが、君の精霊は死者の魂、すなわち「死霊」をもって造られた聖霊だと言うんだがね」
再びクロクが足を止める。セナは続けて、
「死霊術というやつさ。霊晶に死者の魂を封じ、新たな能力を造りだすという、あれだ。君も知っているだろう?その魔術適合性は遺骸や遺物を贄として捧げる「儀式」の比ではないが、それを行った者はもれなく人間ではなくなり、討伐対象になる」
彼女の言葉の調子は世間話のそれだったが、全身から殺気に似た緊張感が放たれていた。クロクの聖霊が反応し、セナに敵意を向ける。
セナは刃物で裂いたような笑みを頬に刻んだ。
「実際のところを聞かせてほしいところだが」
「……それは尋問ですか?」
「──いや、個人的な興味だよ」
クロクは少し考える素振りを見せ──
「戦争の規約に、『死霊術を使用した聖霊を召喚してはならない』という条項は存在しません」
とだけ、答えた。
すぅっ、とただでさえ鋭いセナの視線が、切れ味を持った刃のように、さらに鋭くなる。
「……それが君の答えだと、そう捉えていいのかね?」
「構いませんよ、セナ教授」
挨拶もせずに去っていく。
クロクが去ると、セナは大きく息をつき、苦笑した。
「全く、恐ろしい男だよ、君は。その若さで死霊術を用いて聖霊を造りだし、使役するとは……。召喚師たちが聞けば、相当に腐るだろうな」
科学棟へ消えていくコートを見つめ、セナは独り言を言った。
「それで?一体誰を犠牲にしたんだね?」
彼女のその問いに、答える者はいない。