Ep.3 煌めく紅き翼(フレアフェニックス)前編
Ep.3以降長くなる可能性が非常に高いので、いくつかの部分に分けて投稿します。
3-1
その重厚そうな扉を、イヴはノックした。
「どうぞ。中に入って」
声がかかり、部屋の中に通される。
学園生有志の集まりとはいえ、風紀委員は学園の風紀を守る重要な組織──その働き相応にいい待遇は受けられるらしい。
風紀委員室は、委員長が使う執務室と、風紀委員の待機場所、集会所の三部屋からなっている。
入ってすぐの待機場所のソファに、一人の青年が座っていた。
一見したところ、害意は感じられない。青年は微笑んでいるだけだし、魂端末も見当たらない。
彼の左腕には、『Censor』と刺繍された金モールの腕章。
右手には、戦争の参加予定者であることを示す、反転石──魔力を増幅させる力を持つ魔石だ──がはめ込まれた指輪をはめている。
成績優秀な風紀委員。疑う理由は見当たらない。
青年は立ち上がると、人の好さそうな微笑みを浮かべ、会釈した。
「はじめまして。ミスター・クロガネ。少し、時間をくれないかな?」
「驚いたな。円卓の十一人の一人にして学園自治の要──風紀委員長のファルシア・ポールニアさんが直々にごあいさつとはな。序列中位の俺に何の用だ?」
「驚いたのは僕の方だよ。僕のこともとっくにご存知だったとはね」
ファルシアはイヴに待機場所で待つよう告げ、執務室のドアを開け、真來を中へ招き入れた。
「ソファにどうぞ。お茶を淹れるよ」
ぱちん、と指を鳴らす。すると、虚空からティーカップが出現し、カップに茶が注がれた。
「へぇ、うまいな。あんたの能力か?」
「いや、素の力さ。念動というものは、思いのほか便利でね」
真來は素直に驚嘆した。まさか念動だけでこれをやってのけるとは……。
ファルシアは真來の向かいに腰を下ろし、にっこりと微笑んだ。
「まずはようこそ、と言っておくよ。僕の話に興味を持ってくれたのだと、そう理解していいんだね?」
真來は静かに頷いた。
「興味は持った。ただ事じゃないってことは理解したからな」
「つまり、僕の作戦勝ちだね」
冗談めかして笑う。イヤミのない綺麗な笑顔に、真來は若干げんなりした。
(ハラの読めない男だな……)
やりづらいものを感じながら、会話の続きをうながす。
「それで?何の用だ?」
「イヴから話は聞いているはずだ。話はもう分かっただろう?<精霊の天敵>と呼ばれる存在がいる中、そこへ君がやってきた。だから僕は、君に目をつけたんだ」
「なぜ、俺なんだ?」
「おや、イヴから聞かなかったかい?」
ファルシアはぴんと指を二本立てた。
「理由は二つあるよ。ひとつは、君は<精霊の天敵>じゃないということ」
「おや、あんたは違うのか?」
「学園生も、教授も、みんな容疑者だよ。僕も含めてね。でも、君は違う。ほんの数日前、この学園を訪れたばかりだ」
「……二つ目の理由は?」
「君が十分に強いってことさ」
煽っているわけでも、おだてているのでもない。ファルシアは真剣な口調で言った。
「敵の実力は<十一人>にも匹敵すると僕は見ている。並みの使い手では返り討ちだ」
「額面通りに受け取る気はないぜ。俺は実質最下位みたいなものだからな」
「ずいぶんと自己評価が低いんだね、君は」
ファルシアは苦笑いした。
「知ってるかい?この<対魔族要塞都市>の列車は、もし<魔族大侵攻>が起きたとしても、住民の避難ができるように万が一のときは緊急制御モードに移行する」
記憶を掘り返した。確かにあの時、車掌は『緊急制御モードに入る』と言っていたような気がする。
「緊急制御モードに移行すると、あらゆる外部干渉を受け付けない。内部からの干渉ならともかく、ね。君がどういう手を使ったのかは知らないけれど、君はその<結界>を断ち切った。そして列車を止めた。<結界>を無力化するほどの魔力量なら、君は<十一人>に及んでいる」
話を切り替えるためか、ファルシアはカップの紅茶を一口飲んだ。
「さて、ここまでで質問は?」
「俺にメリットがあるのか?メリットがないなら、俺はこの件は降りる」
真來が<精霊の天敵>に勝てればよし、負けても風紀委員に損はない。結局は、ファルシアの一人勝ちだ。
「ふむ……そうだね、これなんてどうだい?」
少し思案するような素振りを見せてから、ファルシアは提案した。
「君の戦争序列を第百位まで上げる、っていうのは?」
真來は仰天した。
「な──!?」
「戦争はね、開催前こそ参加は無制限だけど、本選に出られるのは第百位以上の百名のみ。君の順位じゃ、君の実力がどうであれ、万に一つも勝ち目はないだろうね。それに、君くらいの順位になると、皆諦めて、戦争には参加しないんだ」
「……でも、俺が参加資格を得たら──」
「当然、はじき出される者が出るよ。ただし」
ファルシアは笑顔のまま、切り捨てるように言った。
「この学園で戦争が開催されるようになってから八九七年──約九百年の歴史の中で、九九位や百位の者が<大魔導師>になったためしはない。君にはじき出されたところで、大勢に影響はないさ」
思ったよりも──いや、思ったとおり、冷徹な人間性の持ち主だ。
それゆえに、信用できる気がする。
案外、この話に乗るのも悪くないのでは……と考えた、そのとき。
「委員長!」
ノックもなしに、駆け込んでくる者がいた。
肩までの金髪が活動的な、妖精のごとき美貌を持つ碧眼の少女──イヴだ。
こうして見ると、きらきらと周囲の空気が光って見えるほどの美少女だ。均整のとれたプロポーションに、端正な顔立ちをしている。
「そんなにあわてて君らしくもないね、イヴ。<精霊の天敵>でも出たのかい?」
「はい」
冗談に真顔で返され、さすがのファルシアでも笑みを引っ込めた。
「科学技術棟の木立ちで『喰われた』召喚獣と、破壊された魂端末が見つかりました。昨晩、やられたようです」
ファルシアはため息をつき、やれやれといった様子で真來を振り返った。
「何て間の悪い……いや、良すぎる、と言うべきかな?」
肩をすくめ、膝をたたいて立ち上がる。
「行ってみよう、シンライ。食べ残しが見られるよ」
3-2
その姿に、最初に気付いたのはファルシアだった。
科学技術棟に向かう細い小道。一行が無言で歩く中、ファルシアはぴくりと反応し、警戒する猫のような感じで、疑わしそうに前方を見つめた。
木立ちの暗がりの中、学生たちが人垣をなしている。真珠色の髪の兄妹、銀の仮面をつけた男子生徒に、黒髪の東洋人──実に様々な国の生徒がいる。
「それにしても、イヴ。相変わらず、情報が早いね」
「……別におかしくはないでしょう。<精霊の天敵>は無差別犯──私だって狙われる可能性があります。他人事じゃありません」
「はは、そうだね。気を悪くしたのなら謝るよ」
ファルシアは人垣をかき分け、イヴと並んで木立ちの奥に入っていった。
「シンライ、こっちへ」
ファルシアが人垣の向こうから手招きをする。真來はそちらに向かって歩き出した。
木立ちを少し入ると、『Keep Out』のロープが巡らされていた。風紀委員がその前を固め、野次馬が現場を荒らさないように見張っている。
まるで殺人現場だな、と思いながら、真來はロープをくぐる。その感想はあながち間違いでもなさそうだ。そこに放置されていたものは──
ほとんど、死体だった。
真來は、思わず眉をひそめてしまった。
人型の召喚獣は、上半身と下半身が、少し離れて転がっていた。
断面からのぞくのは腹腔だ。人間の体内をのぞいているような気分になる。はみ出した魔力伝導管や擬似生体部分が、かえって本物以上の不気味さを演出していた。
顔面は、下半分がつぶされていて、原形をとどめていない。辺りには肉片や血痕のようなものが飛び散っていて、まるで獣に喰い散らかされたようなありさまだ。
そして、ひときわ目を惹く、奇妙な傷口。
本来なら、霊晶のあるべき場所が、丸く抉り取られている。
その傷痕はひどくなめらかで、まるで舐め溶かされたキャンディのようだ。
(なるほど、確かに<天敵>だな……)
霊晶をもつもの──精霊や召喚獣を襲う、天敵。通り魔のように犯行を行う、正体不明の敵。犯行の特徴を、一言で表現できている。
真來はあごに手を当て、考え込んだ。
これとよく似た傷痕を、先ほど見ている。
(まさか、な……)
真來はファルシアに視線を戻し、気付いたことを確かめた。
「霊晶がないな?」
「それが敵の手口だ。必ず心臓部を──霊晶のある部分を消滅させる」
「それがイヴが言っていた『喰った』、ってことなのか?」
「それはわからない。誰も『食事』の現場を見ていないからね」
召喚獣や精霊の自我は、霊晶が生み出す……だそうだ。霊晶さえ無事なら、エーテルと時間、主の協力さえあれば修復することができる。自己修復するものもいるほどだ。
しかし、逆に言えば、そこを破壊されることは、召喚獣や精霊にとって死を意味する。
「……これは誰のものなんだ?使い手──こいつの主はどうした?」
その問いに、ファルシアではなくイヴが答えた。
「どちらも確認中です。ですが、状況から見て、犯人は鉄球使いと思われます」
確かに、棘の生えた鉄球──いわゆるモーニングスターだ──が、召喚獣の足を圧し潰している。
しかし、召喚獣の右腕には短剣が刺さっていた。
「いや、待て。腕に短剣が刺さっている。犯人は短剣使いじゃ──」
そこに、ファルシアが口を挟んだ。
「待つんだ。もしかするとそれは──犯行は複数人で行われた可能性が高い」
「なあ、イヴ。おまえはどう思う──」
イヴに声をかけようとして、どきりとする。
イヴは唇を引き結び、肩をわななかせて虚空を睨みつけてた。
「どうしたんだ、お前」
イヴは返事もせずにきびすを返し、どこかへ行こうとした。
様子がおかしい。真來はその腕を掴み、引き止める。
「おい、ちょっと待てよ」
「放してください。不愉快です」
「お前、何か妙なこと考えてるだろ。闇雲に動いてもロクなことには」
「オーディーン!」
魔力の伝導。イヴから真來に高熱が流れ込み、真來の右腕に激痛が走った。
「熱っ──!?」
真來が身をかがめ、痛みに耐えているうちに、イヴの背中は見えなくなっていた。
「……行っちまった」
明らかに、イヴは何かに焦っている。決して、妙な気を起こさないとも考えられない。
「彼女は冷静そうに見えて直情径行だからね。じっとしていられなくなったんだろう」
ファルシアが取り成すように言う。
「かく言う僕も、はらわたが煮えくり返る思いさ」
いつも通りに笑ってはいるが──その目には鋭い光があった。
「僕に力を貸してくれないか、シンライ」
じっと真來を見つめる。いつも細められているような目が、しっかりと見開かれている。その瞳が淡いブルーだと初めて気付いた。
「他人に貸すほど力はない……が」
真來はぽりぽりと頭をかき、そして自嘲の笑みを浮かべた。
「生憎、俺は俺の都合で参加資格が必要でね」
「それじゃ……?」
「少し、考えさせてくれ」
「もちろん。『取引先』の意向もあるだろうしね」
見透かしたように言う。ひょっとしたら、ファルシアはもう、真來の背後に何が控えているのか、掴んでいるのかもしれない。
「今日のところはお開きにしよう。僕も僕で、仕事をしなくちゃならないからね」
色よい返事を期待しているよ、と言って、ファルシアは現場の方へ戻っていった。学園の自治権は強力で、警察権も例外ではなく、それこそ殺人事件でも起きない限り、市警が出張ってくることはない。そのぶん、風紀委員が重責が負うのだ。
彼らの邪魔をしても仕方がない、と思ったところで、昼休みの始まりを告げる鐘の音が響いた。
途端に、メインストリートが賑やかになる。その人の波に流されるようにして、真來は食堂へ向かった。