アラ古希老女の異世界ヒロイン生活
「あらまあ、ここは何処かしらねぇ。」
どうしましょうと頬に手を当て困った顔をするのは橘秋枝、今年68歳になったいわゆるアラウンド古希の老女だ。
「みかちゃんと一緒にお買い物に来ていたはずなのにねぇ。」
みかというのは秋枝の初孫の名前である。秋枝は初めて出来た自分の孫をとても可愛がっておりしょっちゅう一緒に出かけているのだ。今日も大学生になったみかと一緒にショッピングモールに来ていたはずなのだがいつの間にか自分は森の中に立っていた。
青々と生い茂る草花に立派な大木がひしめき合う森。しかしながら木の葉の間から木漏れ日が優しく降り掛かってきて周囲は明るい。日本の地名で敢えて言うとしたら屋久島が近だろうか。
今は日がちょうど自分の真上にあるのでいいが、このまま暗くなってしまうときっと気温はぐっと下がるだろうし、お昼を食べる前だったので流石にお腹がすいてきた。
「まずは食べるものよねぇ、あと近くに川があればいいのだけれど……。それから今日寝る所も探さなくちゃねぇ。」
そう言ってまず水を見つけるためにえっちらおっちらと道無き道を歩き始めた。
そうやってしばらく歩くと水のせせらぎが聞こえてきた。
「あらあら、やっと水場かしらね。」
ふうと息をついてせせらぎの聞こえる方に向かっていく。と高さ1mほどの段差のその下に綺麗な小川が流れているのを見つけた。
「まあ、川があったのはいいのだけれどどうやって降りようかしらね。」
ここまでも充分老体に鞭打って歩き続けた秋枝にとってはこの程度の段差ですら底の見えない崖の様に思える。もう年も年なのだから一つ判断を間違えれば骨を折るだけではすまないだろう。
「しょうがないわね。少し遠回りでもしようかしら。」
骨を折っては元も子もないので秋枝はまたえっちらおっちら歩き始めた。
しばらくしても崖は低くならず、むしろ少しずつ高さが出てきてしまった。
「あらあら、戻ったほうがいいかしら、どうしましょう?」
もうすでにはじめ気が付いたときからずいぶん時間がたってしまい、すでに日は傾き始めている。
「もうずいぶんと日が落ちてきたわねぇ…。」
しょうがないのでどこか安心して眠れるところを探そうかとあたりを見回したとき、少し先に小さな小屋が見える。申し訳ないがきょう一日泊めてもらおうと訪ねる。
「ごめんくださいな、どなたかいらっしゃりませんか?」
しかしいくら声をかけても一向に返事はない。仕方がないので少し待たせてもらおうと玄関先にどっこいしょと座るとすぐに眠気が襲ってきた。昼から歩きっぱなしで食事もろくにとっていないので座ったことにより一気に疲れがやってきたようだ。うつらうつらと船を漕ぎ始め、瞼が重くなっていく。
「 ……!! 」
「…? 」
「…………!?…!!」
薄れ行く意識の中で誰かが話す声がしたがもう瞼を開けることが出来ない。
何か冷たいものが額に当たる感覚がし、秋枝は閉じていた瞼をゆるゆると開ける。
「あ!おばーちゃんやっと気づいた!ウィリー!!おばーちゃん起きたよー!!」
元気よくそう叫んだのは黄色い髪を持つ青年だった。つんつんと立った髪の毛はその髪の色も相まって快活そうな印象を受ける。秋枝がよく自分の周りを見てみると、丁寧に黒い寝具で覆われたベッドに寝かされ脇のテーブルには水とタオルが置いてあった。
「あらまあ…あなたが助けてくれたの?ありがとうございます。」
よっこいしょと上体だけを起こし丁寧な礼をとる秋枝に黄色い青年は慌てる。
「ああ!いいよいいよ。おばーちゃん森の中で倒れてたんだよ?もっと休んで!」
「フラウ、おばあさん起きたって聞こえてきたんだけど本当かい?」
「あ、ウィリー!!」
ひょこっと部屋の入口から顔を覗かせたのは緑の髪の男性。たれた瞳が優しげな印象を与える背の高い青年だった。
「ああ、本当だ。おばあさん、体調は大丈夫ですか?」
「あらまあ、ご丁寧にありがとうございます。体調は、ええ、大丈夫ですよ。ありがとう。」
「それはよかった。」
わざわざベッドの側まで来て足を折り視線を合わせてくれる丁寧な青年に秋枝もまた丁寧にお礼を述べる。
「体調が悪くなければ他のやつ達も一緒にお話を聞きたいんだけど良いですか?」
「あら、他にも助けてくださった方がいるのねぇ。ぜひ私も直接お礼が言いたいわ。お願いします。」
そう秋枝は朗らかに笑って、どっこいしょと思い腰をあげた。さりげなくそれを黄色い青年と緑の青年が両脇から助けてくれる。
「まあ、助かるわー。ありがとう。」
「このくらいお安い御用だって!!」
照れくさそうに黄色い青年が鼻の下をかくのを秋枝はなんて心の優しい男の子だろうと心が暖かくなる。
「そしたらリビングまでご案内しますね。」
そう言ってふたりに連れてこられた居間には赤、青、茶、桃、そして黒の髪を持つ青年たちが揃っていた。
「おお!元気そうでよかった!」
「全く、家の前で倒れてるのを見た時は何事かと思いましたよ。」
「……よかった。」
「おばあちゃん、大丈夫??」
「………ふん。」
五者五様の反応に秋枝はあらまあと微笑んで、
「初めまして、秋枝と申します。この度は私みたいなおばあさんを助けてくださって本当にありがとう。おかげで体調はだいぶ良くなりました。驚かせてしまったみたいでごめんなさいねぇ。」
と朗らかに挨拶をした。
どうやら秋枝があの時たどり着いたこの小屋には7人の青年が一緒に暮らす家だったらしい。
メンバーは、一番大きな声でがっしりとした体格の赤い髪のヴェルメリオ、眼鏡をかけた神経質そうな青い髪を持つアスール、目が覚めた時にそばに居た元気な青年のフラーウム、2番目に部屋を訪れた7人の中で1番背の高いウィリディス、いつも猫背で眠そうな茶色の髪のブルーノ、1番年下で可愛らしい顔と桃色の髪を持つローザ、そしてほとんど何も喋らない髪も服もまっくろくろすけのメランの7人だ。
なぜこの森にいたのかもわからずどうしましょうと悩む秋枝をこの7人は親切にも家に置いてくれると言うのだ。
もう年も年なので水汲みも食料調達も録にできない秋枝は、それでもただ置いてもらうのは悪いと食事の準備と簡単な部屋の掃除を任せてもらえることになった。火は竈だったが、昔ながらのやり方を知る秋枝は難なくこなし、ヴェルが取ってくる動物も顔色ひとつ変えずに処理していく。過酷な環境なのにそれでもいつもありがとうと感謝の気持ちを伝えてくれる秋枝に、いつしか7人の青年達は心を開くようになったのだ。
「アキエーーー!!!今日の飯なんだ?」
「あらあらヴェルさん、今日はあなたの好きな生姜焼きですよ。」
「またヴェルの好物ですか……。たまにはほかの料理が食べたいのですが。」
「アスールさん。そういうと思って明日はあなたの好きな煮物ですよ。」
「アキエばーちゃんの料理全部好きだよ!俺!!」
「ふふふ。フラウさんってばお口がお上手ねぇ。」
「アキエ……眠い……。」
「あらまあ、ブルーノさん。ご飯は取っておきますからもう少し寝てらっしゃいな。」
「コラ!!みんなアキエさんを困らせるな!」
「ウィリーさん私は大丈夫ですよ。好きでやっていますから。」
「そうそう!アキエちゃんは僕達みーんなの自慢のおばあちゃんだもんね!」
このように家にいる時はみな秋枝を囲み団欒とする。
娘も息子も嫁に行き嫁をもらい家を出ていった秋枝に取ってこんな賑やかな日々は久しぶりで、また心温まる時間だった。
そんな中ひとりだけ未だにきちんと会話ができていないのがメランだ。いつも1人で本を読んだりふらりとどこかに出かけるメランに、初めこそ自分は邪魔なのだろうかと悩んだ秋枝だったが最近どうやらそうでもないらしいと気づいた。
メランは口数こそ少ないものの、非常に気が利く優しい男であった。
「まあ、あれはどこかしら?」
と口に出せば他の青年達があれってなんだと首を傾げる中すっと無言で欲しかったものを差し出してくれる。
「あらまあ!本当にメランさんはよく見ていらっしゃるのねぇ。」
「……別に、たまたまだ。」
ぶっきらぼうにそういうくせに、いつもいつも自分を助けてくれるメランを秋枝は好ましく思っていた。
「メランさんはおじいさんみたいな方ですねぇ。」
なんてことはない夕飯時についボソリとそう言ってしまった。
「ちょ!メランがおじいさんだって!!」
「アキエ!!そりゃちょっと、くくくっ!!」
「メランがっ!!!おじいさんっ!!!!」
その発言を聞いて笑い出すフラウ、ヴェル、ローザに秋枝は急いで訂正をする。
「ああ、違うのよ。私の亡くなった亭主に似ているのよ。」
「あ、ああ。なるほど。そういう意味ですか……。」
「僕もびっくりしたよ。」
「……眠い……。」
「……ヴェル、フラウ、ローザ。お前達後で覚悟しておけよ。」
いつもより一段と低い声でそう脅したメランに先ほど笑った3人はびくりと体を震わせる。
「ふふ。そうやって怒る時に喉元に手を当てる癖もそっくりね。」
そう言うとメランはバツが悪そうに無意識のうちに喉元を覆った手を下ろした。
そんな幸せで暖かな日々がしばらく続き、ある転機が訪れた。この森の家に1人住民が増えることになったのだ。ある日秋枝が毎日運動がてらしている薪拾いから帰ってくると、白銀の大変美しい髪を持った愛らしい少女がメランの黒いベッドですやすやと眠っていたのだ。
秋枝はどうしたものかと思い悩んだのだが気持ちよさそうに眠る少女を起こしてやるのは忍びないとそのまま寝かせてやり、極力音を立てないように家事を始めた。起きる気配もなく少女は青年達が帰ってくるまですやすや眠り続け、夕時になってようやく起きてきた。
「さーて、あんたは一体どこのどいつだ?」
「答えによっては容赦いたしましませんよ。」
「早く答えた方が身のためだと思うけど?」
「流石に僕も見逃せないな。」
「……怪しい……。」
「もー!時間を無駄にさせないでよね!」
「……。」
七者七様の初めて見る厳しい態度に1番驚いたのは他でもない秋枝だった。ここで暮らし始めてもう数ヶ月ほどになるが、いつだって彼らは優しくこんな怖い声を聞いたことはないのだ。
「まあまあ、私みたいに何か理由があるんでしょう。とりあえずお茶にしましょうか。」
そう言ってお茶の準備に取り掛かる秋枝に7人はすっかり毒気が抜かれ、少女を交えた9人でテーブルを囲みお茶を啜った。
どうやら少女の名前はプラータといい隣国のお姫様らしい。意地悪な継母に命を狙われたのを命からがら逃げ出してこの森に迷い込み、やっと見つけた民家に安心しつい家の中で眠ってしまったそうだ。まるで白雪姫みたいだと秋枝が思考を飛ばしている間に話は進み、結局プラータもこの家で一緒に暮らすことになったのだ。
しかしこのプラータという少女はたまに訳の分からないことを言い出すことがある。私はヒロインだとか、みんなに愛されるのは私だの毎日のように宣っては、秋枝が今までやっていた食事の準備などをやろうとしてくるのだ。しかし自分からやると言った割には竈の扱いも絞めたばかりの動物の処理もできず、晩御飯の時間が大幅に遅れることもしばしばあった。その度にぶつくさアキエの料理がいいなどと文句を言う青年達を宥めて、プラータに慣れれば上手くいくわよと声をかけていた。でもやっぱりプラータは何が気に食わないのかなんでアンタみたいなババアが私のポジションに収まっているんだ、と声を荒げる。それを秋枝はまるで反抗期の時の娘みたいだわと微笑ましく思っていた。
しかしながら大好きなおばあさんを蔑ろにされて黙っている性格ではないのがこのカラフルな青年達だ。最近はプラータと青年達が言い争う声があとを絶たず、家の中の雰囲気が殺伐としてきた。さらにプラータは青年達の仕事について行きたいとまで言い出して秋枝は青年達がそのままヘンゼルとグレーテルよろしくどこかに少女を置いてくるのではないかとハラハラと毎日を過ごすことになった。
しばらくするとまた転機が訪れ、隣国から警邏隊が森のこの小さな家へとやってきた。ちょうど秋枝とプラータしか家にいなかったので秋枝が扉を開けると驚いたような顔の警邏の隊員がずらりと立っていた。
「あらあら、こんな森の奥までよくおいでくださいました。お茶でもお出ししたいんですけど流石に皆さん入れませんねぇ。」
どうしましょうと困り顔のお婆さんに毒気の抜かれた警邏隊の隊長はここで結構と一言断りをいれ、
「すみませんがこのあたりに7人の小人という盗賊グループがいるはずなのですが知りませんか?」
と聞いてきた。
「まあ盗賊がいるの?残念だけど何分おばあさんだからあまり外出はしないのよ。お力ずになれずにごめんなさいねぇ。」
「いえいえ、こちらこそ急に申し訳ない。」
そう言い帰ろうとする警邏隊を見送っていると奥の部屋から、プラータが秋枝を呼ぶ声がした。
「はーい!プラータさん今行きますよ。」
扉を閉め踵を返そうとした秋枝だったが、たった今帰ろうとしていた警邏隊の手によって止められる。
「いま、プラータ姫の名を呼びましたね?」
「ちょっと!!いつまでまたせんのよ!!!」
その時運が悪く奥の部屋からプラータが出てきた。警邏隊は一瞬で目の色を変え秋枝を拘束した。
「王妃殿下ご所望のプラータ姫がいたぞ!!捕まえろ!!!」
ただの少女と老婆に抵抗する手立てはなくあえなく2人は警邏隊の手によって捕えられた。
「ちょっと離してよ!!!いやっ!メラン!!助けてっ!!」
「おい!今なんと言った!?黒のメランのことか!?」
「そうよ!すぐにメランたちがあんたらなんて倒して私を助けてくれるんだから!!」
「おいばーさんどういうことだ!!?7人の小人を知っているんじゃないか!」
捕まえられてすぐプラータの呼んだメランはどうやら先程探していた盗賊のメンバーらしかった。
「まあ、メランさんは盗賊だったのね。そしたらヴェルさんやフラウさんやブルーノさんもかしら?」
「知っているじゃないか!!?」
「あらー、じゃあアスールさんやウィリーさんやローザさんも?」
「全員知ってるじゃないか!!?!?」
警邏隊に言われてびっくり。なんと森の家の住民達はみんな盗賊のメンバーだったのです。あらあらまあまあと困り果てたお婆さんに再度毒気を抜かれた警邏隊はとりあえず重要参考人として秋枝を護送することに決め、未だにぎゃあぎゃあと騒ぐプラータとまとめて連れていこうとします。
ところが大好きなおばあさんを連れていかれそうになって黙っていないのが7人の青年達です。
「ちょぉっとまった!!わりーがアキエは連れていかせられねーな!!」
「連れていくというなら容赦はしませんよ。」
「まさか無事に俺たちから逃げ出せるとでも思ったの?」
「僕は普段後衛なんだけど、アキエさんを連れてくっていうなら話は別だよ。」
「……許さない……。」
「ていうか!アキエちゃん地面に座らせてる時点でありえないんだけどっ!!」
「殺すっ!!!!」
どこからともなくやってきた7人の青年達は七者七様の反応をする。でもその中でもメランだけは今までに見たことがないほど激昂しており、既に手に持った二丁拳銃で秋枝を拘束していた警邏隊達を撃ってしまっていた。
「あらー、みんな通りで仕事を教えてくれなかったはずねぇ。」
しばらくぼーっとみんなが戦う様子を見ていた秋枝だが、すぐに決着がついたようだ。散々痛めつけられたあと、プラータはやるから全員さっさと帰れと言われた警邏隊は喚くプラータを連れて一目散に逃げていった。それを秋枝はあらー寂しくなるわねぇと呑気に見送った。
「秋枝!!怪我はねーか!?痛いところとか、ともかくなんともねぇか!!?!?」
がっと肩を掴んでそう聞いてきたのはなんとあの寡黙なメランだったのだ。
「め、メラン!!?おま、どうしたんだよ!!?」
「メランさん!?どうしたんですか!!?」
とほかの人が慌てるのを気にせずに秋枝の体をくまなくチェックするメランに秋枝はふと既視感を覚える。
「敏之さん?」
「っ!」
そう、四十年以上前に幼い娘と息子と秋枝を遺して事故で亡くなった最愛の夫だ。
「あなた敏之さんでしょう?」
「……そうだ。」
「まあ、どうして言ってくださらなかったの?」
「言えるわけがねぇだろ。一生かけて幸せにするって約束を反故にしちまったのに……。」
「まあ!それでも私はあなたをずっと想っていたのよ?あなたはなんとも思わなかったの?」
バツが悪そうにそっぽを向くメランは、秋枝が何度も何度も今敏之が生きていたらどんな姿だろうと想像した姿よりもずっと若くてかっこよかった。
私はずっとあなた1人を考えていたのにあなたは違うのねと秋枝が怒ってみせるとメランは心外だと言わんばかりに顔を赤らめて声を荒らげる。
「俺だって産まれてからの20年間ずっとお前を待ってたんだよ!!」
記憶と同じ照れ方をするメランにああやっぱりこの人は自分の最愛の人なのだと再確認する秋枝。
ほかの森の小屋に住まう青年達は訳が分からず黙って成り行きを見守っていたが、やっぱり訳が分からず、かと言って水を指すのも悪いと6人で輪になり小声で話し合っていた。
これはまさか40年も前に終わったと思っていた自分の青春が思わぬ形で続いていると知った秋枝と20年間最愛の人が生まれ変わるのを今か今かと待ち続けたメランの物語のほんの序章でございます。