第1話
雨女は水を呼ぶ
雨女は悲劇を呼ぶ
雨女は洪水を呼ぶ
雨女は━━
どこかで耳にしたことがあると思った。本当に聞こえたのかは分からない声に、そんなことを思う僕は頭がおかしくなったんだと思えた。だけどそれも仕方がない、とも思える。雪がごうごうと吹きすさぶ山中で、雪道に慣れてもいない人間が、何時間も歩いているなんて、普通正気を保てないと思う。
僕は田舎の親戚の家に行く途中だった。ついこの間、都会の実家の方で父が死んだ。
僕が小学生に入る前、母が死んでから父とは互いを支え合う形で共に暮らしていた。父子二人での生活で、色々と寂しい思いもしたものだが、幸せな日々だった。
それが壊れてしまったのは、丁度一月半ほど前のことだ。父の仕事は漁師だった。毎年、冬の時期になると何週間か家を空ける時期があった。その時もだいたいその時期だった。父の仕事にはムラがあり、その何週間はたびたび一週間になることもあれば、二カ月ほどまで延びる時もあった。だから、今回もきっと同じなんだと思っていた。
父の死を聞いたのは僕のバイト先でだった。荷ほどきをしていると、なにやら店長が慌てて僕のところへやってきた。電話は右手で強く握っていた。
店長が言うには、父の船の残骸が発見されたとのことだった。見つかったのは船の名前が書かれているところで、それは僕も実際に目にした。確かにあれは疑いようもなく、僕のただ一人の父の船だった。
話を聞き終えると、目の上の方がチカチカと点滅しだした。やはり店長はやたらと焦っているのだと思った。その後、僕の体は支点を無くしたように支える力を無くしていった。その頃には視界の点滅は世界全部に広がっていったら、
(━━最後に見えたのは……店長の携帯だったっけな)
目を覚めると、目の前に知らないおばあさんがいた。全体的に彫りの深い顔立ちで、あちらこちらにある皺は彼女の威厳を増さしているようにも思えた。
話を聞くと彼女は僕の遠い親戚だそうだ。父方の祖父の妹の夫のそのまた妹の……だとかとても覚えきれないくらい遠い親戚だと言った。なぜわざわざそんな殆ど関わりのない自分になところに、と聞くと彼女はいたずらっ子のように笑って、父には世話になったのだと言った。
そして彼女は続けて言った。行くあてがないなら私のところにこないか、と。もちろん、僕には行くあてはありはしなかったが、それ以上にそんな遠い親戚のところにやっかいになるほど困ってもいなかった。
だから、なんでなんだろうか。もしかしたらその祖母のいたずらっ子めいた笑いに、父の面影を感じたのかもしれないし、はたまた違う可能性としては僕自身、考えるのが面倒になっていて、はいはいと全部を受け入れていただけなのかもしれない。
結果的に僕は彼女の家に行くことを決めた。一応形式的な葬式は開きはしたが、親戚の集まりになんて行ったこともないから呼ぶにも、父の漁師仲間だけだった。
葬式のあと、全員の見送りが済んだあとにあの親戚に話を聞こうと思ったのだが、すでに彼女は居なくなっていて、残っているのはいくらかのお金の入った封筒と、その中に入っていた住所の書かれたメモ書きだけだった。
これが今までの経緯。結局そのあと色々な手続きで時間がかかり、ようやく僕は荷物をまとめてその親戚の家に行くために、電車を乗り継ぎ、バスに乗り、そして雪の上を歩いていた。
最後にバスを降りてからはもう二時間とちょっとは経っていた。自分の吐く息が周りの色に紛れて白くなっているのかが分からなかった。
住所を見るに、バスを降りてからは一時間で行ける計算だった。だが誤算も誤算、こんな豪雪の中ではそんな計算なんて役に立たないだろう。
すでに足の感覚は無くなっていた。手は酷いしもやけで真っ赤になっていた。耳にはザッザッと雪を踏みしめる音だけが鳴り響く。この音が残響なのかの判断もつかない。
ふと、あの時の感覚が蘇る。父の死の知らせを聞いた時だ。体の支点が無くなって、自分が宙に浮いているような、あの感覚。
気づくと僕は前のめりに倒れているようだった。雪の白さのせいでさっきまでと視界は変わらないのだが、前へ進めている感覚がない。だから、きっと僕は倒れているのだ。
体を起こそうと腕に力を入れようとするも、微塵も腕は動かず、力を入れる感覚だけが僕に残った。
死ぬのか。僕も父と同じように、死ぬのか。
そんなことを思った。
そう考えてしまうと不思議で、体中の生きようとする動きのすべてが諦めたように、止まっていく。
なんの感情もわかなかった。
ただ、ただ。白い視界だけが目に入るだけだった。
また、それが聞こえた。どこかで聞いたことのあるような、あの声。
悲しげで儚げな、触れると消えて無くなってしまいそうな柔らかい声。
今度はそれが自分の前、今の状況で言うと僕の頭の上のあたりの方向から聞こえた気がしたのだ。
体は動かなかった。なにせ死に向かう体なんて動く余力なんてないから。だけど、なんでだろうか。最後の最後、ギリギリのところで頭をほんの少しだけ、上げられた。
見えるものなんてなかった。すでに目なんてあってないようなものだった。
視界に広がるのはただ、ただ白いだけな景色。瀕死の自分が見てなんになるものでもない。
━━━━ただ。その視界のどこかがおかしいと、そう思った。
ここまで読んでくれてありがとうございます!
まだ続きは書いてないので更新はいつになるかわかりません!
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よ ろ し く