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請い慕う  作者: 野兎
1/3

前編

 今思えば、俺は物心ついた頃から常に空腹感を感じていたような気がする。食物では満たされない、何かに対する空腹感。

 それは双子の弟も感じていたようだが、取り立てて二人でその事について話したことはない。

 それが満たされるものだと知ったのは、家族以外との女性と接触をするようになってからだ。それは、家の近所のスーパーであったり、保育の場であったり。どこでも良かった。ただそこに、自分の事を可愛いと言ってくれる女性がいれば。

 だが、成長するにすれ、空腹感は増すばかりだった。幼少の頃は、そこに立っているだけで良かった。無表情でも無関心でも、可愛い可愛いと、多くの人は俺ら双子の兄弟をはやしたてた。父母の良い所どりの俺らは、自分でも言うのもなんだが、本当にどこぞの外国人形みたいな顔立ちをしていた。しかも、瓜二つのそれが隣に並んでいるのだ。可愛くない訳がない。

 しかしながら、それも小等部にあがれば、意味がない。無愛想では愛されない。秀でたものがなければ、もてはやされない。それを肌で感じ取った俺らは、必死で頑張った。頭を使うことも、体力を使うことも。

 お陰で、腹を減らすことは少なくなった。

 だが、中等部、高等部と学年が上がるにつれ、体も大きくなり、それだけでは腹が満たされなくなっていった。

 その時、弟に諭された。もっと効率の良い摂取の仕方を考えろ、と。始めは弟が何を言っているのか理解できなかったが、あいつの行動を見ていてすぐに気付いた。女と密な関係になればいいのだと。

 それからの俺の行動は酷かった。来る者拒まず、去る者追わず。それまで俺の中で常に渦巻いていた空腹感が、俺の背徳的な行動の後押しをし、今思えば人に顔向けが出来ない十代を過ごしていた。そして、この時に気づいたのだが、どうやら俺には人を虜に出来る能力があるらしい。もちろん弟もだ。二つの胃袋を造ってしまったお詫びだろうか? 神様からか誰からかは分からないが、人間にはない力が俺にはある。

 だが、これに関しては俺は絶対に使わないと決めている。

 この能力に気づいたきっかけは、俺に全く靡かないクラスメイトの女がいたのが事の始まりだ。俺はその頃、そいつ以外のクラスの女子はみんな食い終わってた。これを聞くと俺だけが悪者に見られがちだが、その中に処女が居なかったことが現実だ。

 だからこそ、軽い気持ちで、話す機会があった時に彼女も誘ってみた。そしたら、ものの見事に彼女は乗って来たのだ。こいつもやっぱ他の奴らと同じだったんだと思った。だが、実際にことに及ぼうとしたら、そいつがおかしいことに俺は気づいた。俺を誰か別の男と間違えてる。しかも、はじめてがその男で嬉しいと泣いて。

 俺は怖くなり、その場から逃げだした。

 弟に聞いたら、お前にも魅了の目があったのかと言われた。

 次の日登校すると、俺が食おうとしていた女が自主退学していた。


 俺はそれ以来、きちんと相手と向き合うことにした。ことに及ぶ場合も、順序を追って、手はずを整えてから行うようにした。最中も、独り善がりではなく、相手のこともきちんと気持ちよくさせるよう努力した。その成果もあり、十代の頃より、一人から摂取できる量が多くなっていた。

 だが俺の体は、到底女一人では満足できない体つきになっていた。しかも相手の調子を考えれば、毎日何回も事に及ぶことは出来ない。空腹感がまたしても俺を襲った。俺は耐え切れず、当時付き合っていた女性にそれとなく“そう言うお店に彼氏が行くのはどう思うか?”と尋ねた。

 帰ってきた返事は、喜ばしいものではなかった。

 その状態を数年続け、その間、付き合う女性も代わったが、そういうお店に関する質問にはすべての女性がノーと言った。付き合うまでは、良い顔をしていた女性も、いざ付き合い始めると、俺が行くのを嫌がった。

 このままでは十代の頃に戻ってしまう。

 そんなことが脳裏を過ぎり、俺は素人を捨て、玄人だけと関係を持つことに決めた。


 弟は、処女を食い散らかしているらしい。効率が良いそうだ。事に持って行きやすく、暫くは一回の情事で大量に摂取できるらしい。それが次第に減って来て一日で腹が持たなくなると、次の処女に乗り換えるらしい。

 俺も見習おうかと思った時期もあったが、無理だった。好きになった女性が処女だったら良かったのだが、処女だから好きになれるかと言われれば難しい。それこそ、十代に逆戻りだ。



 俺は電窓にへばりつき、空を見上げる。今日も嫌になるぐらいの快晴だった。と、急に目の前が暗くる。駅に着いたのだろう。

 俺は人の流れに乗り、扉の開く方に体を向けた。

 それにしても、昨日は散々だった。馴染みの女が“妊娠したから結婚してくれ”と迫って来たのだ。そこからは修羅場だった。当たり前だが避妊はしている。相手にも出来る限りの避妊は頼んでいる。それでも、出来てしまう時は出来る。それが玄人の女の言葉だった。

 分かっていた。だからこそ俺は、きちんと誓約書を書かせた。出来た時に備えて。

 なのに、彼女はそれを反故すると言いだしたのだ。


 結局は彼女の虚言と言うことが分かり、なき事に終わった。厳つい男まで出て来て、一時はどうなるかと思ったが、そいつは俺に味方してくれた。それは本当に良かった。

 連日仕事続きで、体も心もボロボロだったのだ。そこから殴り合いなど、体がいくつあっても足りない。

 は――。

 俺は深い溜息を吐く。

 そう、何度も言う。俺は連日仕事続きだったのだ。食べ物は適当に腹に入れてたからなんとかなった。だが、もう一つの腹は極限まで空っぽだ。面倒臭かったのだ。だからこそ、簡単に短時間で済む、俺に理解を示してくれていた昔からの女の元へ行ったつもりだった。だが、それがよくなかった。久しぶりの連絡で、しかも自分に一番にかかってきたのだから、やはり自分が本命なのだと思ったらしい。

 一番……店も違う女達が俺の知らない所で連絡を取り合っていたかと思うと、俺はうんざりした。しがらみから逃れるために、玄人だけにしたのに、これでは意味がないと。

 腹が減った……。

 俺は人の波に乗ってホームに降り立つ。

 今日も一日忙しいだろうに、俺、持つかな……。

 俺は改札口のある方角をぼんやりと眺めながら、そちらへと足を動かした。


 ぐいっ


 うわ……最悪。袖が引っ掛かった。

 俺は顔を歪めながら、その原因である後ろを振り返る。と、そこには綺麗な女が、なにやら真剣な表情で佇んでいた。

 あれ? しかもこっち見上げてる。あ、この人の鞄にでも引っかかったのか?

 と、俺は首を傾げる。


 「好きです! 私と付き合って下さいっっ!!」

 「……え?」


 なに言った? この女(ヒト)。……もしかして俺、空腹に苛まれて力を使ってしまったのか!? 今までこんなこと起きたことなかったのに……。それほど限界まで来ていたんだろうか?

 俺は疑問でいっぱいだったが、一先ずその場を取り繕おうと、彼女を誘導して人混みから遠ざけることを優先させた。


 「えっと……取り敢えず、端に寄ろうか?」


 俺は彼女に優しく声をかける。


 クラっ


 しまった……。

 俺は眩暈で倒れそうになるのを気力で抑える。

 は――――。腹が減って、頭がボーッとしてきた。……ちょうど良いや、この子、このまま食ってしまおう。…………あ? 俺、今何考えてた!?

 俺は無意識に発した、自分の心の呟きに焦った。このままでは不味いと、俺は足を動かして端へ移動する。


 「わっ!」


 すぐそばで、女性の焦る声が聞こえる。

 そうだっ! 袖を捕まれてたんだった。

 俺は動揺しすぎて、彼女が自分の袖を離したかどうかさえ確認していなかったらしい。倒れ込む彼女の肩を俺は掴み、彼女が床に転ぶのを防ぐ。


 ドクン


 その時、俺の手を伝って腹の中に暖かいものが流れ込んできた。

 俺はこの感覚をよく知っている。“食事”をしたときに得られる高揚感。それだった。ただ、今までとは全く異なる摂取方法、接触。密な接触ではない。ただ、本当に、触れているだけ。

 俺は息を呑んだ。

 それに、この感覚はなんだ!?

 例えるなら、“無味無臭”が今までの食事だったのに対し、彼女から流れ込んで来るのは甘味。ほんのりと味付けられた彼女からの食事は、空腹だった俺の胃袋を優しく包み込んだ。


 「あの……。」


 彼女の気まずそうな言葉に、俺は意識を取り戻し、急いで彼女の肩から手を離した。名残惜しかったが、意識を乗っ取られた彼女からのこれ以上の摂取は、してはいけない気がしていたのだ。

 その時、昔、弟が言った言葉が俺の頭の中に過ぎる。

 『操るとね、相手の目が濁るんだよ。瞳孔に霞が掛るって言えば分かるかな? その子の目、濁ってた?』

 俺が最初で最後、魅了の目を使った後、弟が教えてくれた言葉だ。あの時、クラスメイトの瞳孔は灰色に濁っていた。そして、焦点が合っているような、いないような、虚ろな目。あの死んだような彼女の目を思い出し、俺は吐きそうになった。

 ふと、俺は目の前にいる女の目を見つめる。

 濁っているかもしれない。それを見て、今度こそ本当に吐くかもしれないと思うも、もしかしたらと言う気持ちが、俺の期待を煽る。

 ……女の目は、濁ってはいなかった。

 元々の彼女の目の色を知らないから何とも言えないが、瞳孔は深い黒色をしていた。焦点がさ迷っている様子もなく、訝しそうにじっと俺を見つめる。


 俺の造反した力で彼女を引き寄せたのではなかったのか!?


 俺は狂喜しそうになるのを堪えた。触れるだけで食事ができるのも、力の副作用ではなのだ。

 ……この女、逃がすものか。

 心の奥底で、俺は誓う。俺は彼女の腕を掴むと、二人だけの空間へと急いだ。


 ドクン ドクン


 その間も彼女から手を伝って流れ込む食事は甘く、俺を痺れさせ、酔わせる。


 構内の壁際まで寄ると、俺は彼女の腕を離した。

 何、急ぐことはない。彼女から俺に接触してきたのだ。じっくりねっとり、時間を掛けて彼女の心から絡め取ればいい。ずっと、そう一生、俺から離れられなくなるように、彼女の心の奥底に俺を刻んでから。

 俺は心の中で密かにほくそ笑む。


 「俺は君に告白されたのかな?」


 俺は弟の笑みを真似、無害を装って彼女に笑いかける。

 彼女はまっすぐに俺を見つめながら頷く。濁りのない、深黒な目で。


 「そっか。……いいよ。」


 俺は彼女の申し出を快く受け入れた。



 連絡先の交換をしたあと、嬉しそうに微笑む彼女とは駅で別れ、俺は足取り軽く会社に向かう。彼女とはほんの数分しか触れ合わなかったが、軽く小腹は満たされていた。下手な女と一夜を共にするより、遥に腹は満たされている。


 ふっ


 俺は笑いが止まらなかった。

 今まで、生まれてからずっと、抱え込んでいた俺の苦労は一体何だったのだろう。こんなにも簡単に腹を満たしてくれる人間が居るなんて、今でも信じられない。昨日の修羅に疲弊して眠りこけたのが幸いした。今日、いつもより遅い時刻の電車に乗らなければ、一生彼女と会うことはなかったのかもしれない。

 しかも、そんな女が自ら俺に声を掛けてくれるとは。

 俺は彼女から流れ込んできた、甘い味を思い出し、心を躍らせる。

 

 会社に出勤すれば、思っていた以上に仕事が溜まっていた。それもそうだ。昨日は“食事”をするために残業を途中で切り上げたのだ。結局はできなかったが、それを遥かにしのぐ成果を得たのだから別に気にならない。

 俺は一心不乱に仕事に没頭することにした。久しぶりの食事で頭が冴え渡ったのか、自分でも驚くぐらいの効率で仕事をこなすことが出来る。久しぶりに仕事が楽しいと感じる。これも全て、彼女のお陰だ。

 ……しまった、彼女との約束を取り付けてなかった。

 俺は仕事の手を休めると、慌てて壁にかかる時計を見上げる。時刻はすでに、十二時半を回ろうとしていた。

 彼女の昼休みが終わってしまうとまずいと、俺は慌てて彼女の携帯に電話を掛ける。


 ピロロロロ ピロロロロ


 『はい。』


 条件反射か、俺の体は彼女の声を聞いただけで疼く。


 「今、いいか?」

 『うん。』


 電話に集中したかったが、ふと感じた鋭い視線がそれを邪魔をする。俺はデスクから顔を上げた。

 部長!? なんでここに居るんだ?

 俺の目線は直属の上司のそれとぶつかる。普段は悠悠自適に上の階で仕事をしている人間が、なぜか今日の今に限って俺のフロアに居た。

 そんな男が、俺に物言いたげな視線をよこす。昼休みを返上して自主的に仕事をこなしているのだ。少しぐらい手を休めても構わないだろうにと、俺は心の中で男に悪態を吐来ながら、電話に意識を戻す。

 今はまず、彼女が優先だ。

 彼女の用事を伺う。


 「今日は何時に終わる?」

 『六時には確実に終わってる。』

 「だったら、半頃会わないか? 場所はまたメールする。」

 『うん。』

 「じゃあ、また後で。」


 彼女との約束を取り付けると、俺は早々に電話を切った。もっと彼女の声を聞いていたかったが、部長がまだこちらを睨んでいる。それどころか、俺の方に向かって歩き始めだした。

 小言を聞く暇があったら仕事を進めたいのに。

 俺は溜め息をつきながらイスから立ち上がり、姿勢を正して相手を待つ。


 「頑張って来い。」


 部長は俺の傍まで来ると、真剣な表情で俺にエールを送った。


 「……は?」


 意味がわからない。


 「言わなくても分かっている。お前の仕事は俺が代わる。だから、気にするな。」


 暑苦しいくらいの包容力を見せつけようとする部長は、目を潤ませながら俺の肩をポンポンと叩く。


 「……。」


 「課長! ここのレストランに六時半から二名で予約しときましたから!」


 そこへ俺の部下までもが割り込んで来る。


 「は?」


 部下は地図の載ったハガキを俺に差し出す。

 ……いや、ありがたいけど。


 「ここ、俺のお勧めなんです。ここぞって時に使う、隠れ家的レストランで。料理もおいしくて内装も凝ってて、このレストランを嫌う女性はいませんよ!」


 変に張り切る部下は、満面の笑みを浮かべて、俺を後押しする。

 ……なぜ?


 「……待ち合わせは六時半だが。」


 と、一応、部下には教育係としての小言をいれとく。

 ありがたいとは思う。なにせ、ここ数年は女性とのデートから遠ざかっていたのだ。そうなれば、もともと食に疎い俺は良い店なんか知らない。

 ……ここは部下の好意に甘えよう。

 時間の変更は利くだろうかと、俺はハガキの案内に目を通す。


 「彼女、早めに来るから、時間変更しなくても大丈夫ですって。」


 部下は自信を持って宣言する。


 「……。」


 ……こいつ、何者?


 結局俺は、六時に会社のやつらに建物から閉めだされた。その時、“治って良かったな”“俺がなったときは、相談に乗ってくれよ”“久しぶりだからってやり過ぎるなよ”などと、多くの男たちから祝辞や労いの言葉を貰った。

 ……。ま、いいか。店を渡り歩いてる事実が広まるよりは良い。彼女の耳に入る俺の噂は出来るだけまともな方がいいからな。

 俺は背広を片手に、待ち合わせの場所へと急ぐ。部下の予言を信じたくなかったが、もしかしたら……という予感が脳裏をかすめたのだ。

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