嘘でしょう?
これだけのことが起きれば、警察沙汰になるはずだった。あの後香坂さんは自ら両親を伴って警察に向かい、被害届を出そうとした。
「…それなのに?」
「受理されない…もう、自分で何とかしてくださいって感じで…」
「どういうことそれ…!?」
香坂さんから信じられないことをきいた後、急いであの刑事に連絡をとった。けれど、通じない。仕方なく増田刑事が所属するはずの警察署に連絡してみると、何と過去に私を救った恩人は停職処分をくらっていた。
「…マジで、訳わかんないんですけど」
香坂一家の被害届が受理されない。かつ、増田刑事とも連絡がとれない、しかも停職処分で自宅謹慎中。余りにもタイミングが良すぎる気がする。
「余り、深入りしない方がいいんじゃないですか?」
香坂さんが話してくれたことを傍で聞いていた子規くんは、彼女がいなくなった後で心配そうに私に話しかけてきた。
「…何かしなかったら、あの子…ずっと苦しむと思う。それを…見て見ぬふりはしたくない」
「でも僕はあなたを心配しているのに…」
「ありがとう。私なら大丈夫だから…心配しなくていい」
「そうじゃなくて!ううん、それもありますけど…黒木さんがまずいんです、関わったら…」
「…どういうこと?」
「彼女の弟さんが…」
素敵すぎるドラマのネタにしか聞こえなかった。超有名進学校に通う黒木里香の兄が、今神奈川県を席巻している暴力団組員。下っ端なのか、それともボスに信頼される高い身分にあるのかははっきりしない。
家族はその放蕩息子と縁を切り、彼女を後生大事に育てているという。しかし、黒木里香本人はよく兄の話をすることから、決して兄を嫌っているわけではないかもしれない…。
教えてくれたのは、同じ生徒会メンバーのアルビノボーイ友永くんだ。
「彼女、可哀そうな子だよ。一家の名誉回復のために、清羅学園に進学したようなものだし。家族の期待も大きいんじゃない?」
彼女には後ろ盾がいるということなのか。もし自分の気に入らない人間がいたら、「兄」に頼んで制裁し、女王様の立場を作ろうとしているとか…?
けれど、そんな権力は生徒会メンバーや黒錐くん、それに琴峰兄妹には通用しない。彼らはいわば、清羅学園高等学校の一軍メンバーであり、「顔」である。さまざまな交友関係をもち、お金もあり、庶民がいくら地の底へ彼らを引きずりおろそうとしても、それは絶対に出来ない。
でも、香坂さんは、私と同じ特待生だ。一軍メンバーと親しくしている私と違って、交友関係はそこまで広くない。一緒にいる友人は、中流家庭の子たちばかり。
結果、いつ黒木里香に狙われてもおかしくない…?
「バカみたい…」
ケータイの待ち受け画面ー恵鈴ちゃんと心ちゃんと一緒に撮ったプリクラーをじっと睨みながら考えた。どうしてそこまで?と思い、黒木里香は執念深い女なんだなって理解した。
バカバカしいと笑い飛ばしたい。でも、すでに香坂さんは男たちに襲われかけた。これから何もないとは限らない。
そんな時、待ち受け画面が電話着信画面に変わり、着信音が鳴り出した。
「菱川…?」
―――――――
メールを受信した時、私はたまたま家にいた。方向音痴なのと、もうああいう繁華街にはできるだけ出入りしたくないのとで、菱川本人に私が指定した喫茶店まで来てもらった。その日の彼は、珍しくぎらぎら光る背広は着てこずに、普通の若者と変わらない姿でやってきた。
「…久しぶり、姐さん」
あ、今日は俺が奢るから、と彼は言って、私にメニューを渡してきた。一番最初に目についたホットケーキがいい…結局数秒で頼みたいものは決まってしまう。彼も数秒で決めたようで、メニューを見てから胡粉で呼び出しボタンを押して私の分と一緒に注文した。ちなみに菱川が頼んだのはバニラのアイスクリームとコーヒーだった。
「…どうせコーヒーにも砂糖を入れるつもりなんでしょう。甘党なのは変わらないね」
「姐さんって炭水化物ばっか食ってるのによくそんなスリムでいられるよね」
「普段から運動してるから」
と、たわいもないことを言い合う。
「…でも、そんな世間話するために私を呼んだわけじゃないでしょう?」
「-まぁ、ね…」
彼は気持ちを切り替えるかのように、背筋を正して、深刻な面持ちで私を見つめてきた。
「…黒木さんが…いつもその店に出入りしているの?」
「正直言って…困ってる。俺、できるだけ姐さんの意思を守りたくて、できるだけ遠回しに、早く家に帰るように言ってたんだ。彼女がどこで都合したのか、信じられない大金を持ってきたときも、何とか説得して帰らせた。でもずっと、俺が働いているとこに通ってきて、俺を指名する」
「…黒木さんが、最後にそっちに行ったのは?」
「四日ぐらい、前かな…一週間に一回は、必ず通ってきた。だから俺さ、はっきり言ったんだよ。「君みたいに優秀で頭の良い子は、こんなところに来るべきじゃない」、って。そしたら…」
語り続ける人気ナンバーワンホストの顔が、青ざめていく。
「私のことが嫌いなのかって、暴れだして…結局、従業員の皆と協力して、店を出て行ってもらったんだよ。…それから、私には味方がいる、絶対あんたを許さないって…何度も、何度も電話がかかってきて…」
「……」
寒気を感じて、私は両手を膝の上で握りしめた。…本当に、執念深い女だ。
「本当に、味方がいる、って言ったの?」
「うん。あんたが裏切っても、自分には絶対に裏切らないでくれる味方がいる、って…」
その味方が、暴力団組員の兄だとしたら?
「電話には、出ないようにした。そしたら、何度もメールがきて…メアド変えなきゃいけなかった。メアドも電話番号も変えたら大丈夫だって思って、新しい電話番号は姐さんにしか教えなかった」
「それで…?」
「そしたら、最近後を尾けられるようになって…」
「黒木さん本人が?」
「違う。男…俺よりもっとガタイのいい…超怖そうな…」
そこで、彼が私を呼び出した理由をやっと理解した。彼は喧嘩の心得など、とうの昔に忘れてしまっている。…でも、どうして、
「警察に言わなかったの?」
「実は…メールとか電話がくるたびに嫌になって、データを全部削除してたんだ。そのせいで、警察に言っても証拠がなくて…」
なんてバカなやつだ。自ら証拠を消し去ってしまってどうする…!
「これからは消さないようにして…後、仕事はしばらく休んだ方がいいよ。家はバレてないんでしょ?」
「まぁ、今のところは…」
「…あの女、いよいよ放っておけなくなってきた」




