生徒会結成
「なんで俺が……っ」
「うるさいぞ。口動かす前に手を動かせとよく言うじゃないか」
放課後、梓を待たせて生徒会室へ行くと、並べてある長テーブルの上にプリントの束がどっさりと置いてあった。その最奥に、何かをせっせとやっている楠木生徒会長がいた。最初はプリントの束でそこにいるのかわからなかった。
何をするのか聞かされていなかったので聞いてみると『アンケートの結果を集計しろ』とご命令があった。当然ながら、俺はまだ手をつけていない。梓も待たせていることだし、こんなことやってられない。どれだけ時間がかかると思ってるんだ。全員分なんて、生徒数約900人だぞ。それも細かな質問がいくつもあったのに。
「こういうのは他の生徒会役員にやらせればいいじゃないですか」
一度、楠木生徒会長の手が止まる。そして少しむすくれたように言った。
「他にはいない。生徒会はわたしだけだ」
いない……?
「えっ、いや副会長とか書記とか会計とかいるんじゃないんですか?」
「だからいないってゆってるだろ! 全部わたしが兼任してるんだ! 悪いか!」
痛いところを突かれたように、誤魔化すように怒鳴った。
「悪いってことはないですけど」
え、でもそれって結構大変なことなんじゃないのか、全部なんて。この人、会計なんてできそうにないし。書類なんかはアンケートとか作れてるから書記兼任もわかるけれど。
「なんでひとり……?」
「だって誰もやってくれないんだもん」
だもんって、可愛く言ったってなんか惨めだな。
「だから手伝えって言ってんだ。お前も自分の目で結果を確かめた方がいいだろう、来栖真」
「結果って」
「これでみんなが楽しい楽しい文化祭を望んでるってことを証明してやる」
「マジでこれ全部集計する気ですか?」
「ふんっ。当たり前だ馬鹿者。集計しないでどうやって結果を知るんだ。わかったらさっさと手伝え! 今日中に終わらせるのだ!」
「でも俺、外に梓待たせてるんですよね。ほら、神宮寺の娘とやら」
「あ? 知るか」
「梓のご機嫌損ねちゃったら出るもんも出ないっすよ?」
「ふん、そんときゃわたしも出すもん出すだけだ」
くそ、おバカが乗っかってきてくれない。
どうしろって言うんだよ。あんまり待たせてたら梓がここを嗅ぎつけてきそうだし。そうしたらどうしてここにいるのかって話しになって、目の前には女の子がいて、理由を説明するにはあの写真のことを言わなくならなくなって、それを見てしまった梓は人の話しなんて絶対聞かなくて。
そうこう考えてるうちにもう――
「はっけーんッ!!」
手遅れになって……。
生徒会室のドアを乱暴に開けて梓が現れた。ふんふん鼻息荒く、こちらに狙いを定めている。
「んにょほほほっ。見つけた見つけた、先輩見つけたっ」
キモイ梓が現れた。鼻の下を伸ばして、そろそろと俺に忍び寄る。
「こんなひと気のない場所に梓を誘い込むなんてついに先輩もその気に――誰かいる!!」
俺に近付いて、ようやく楠木生徒会長をその目に捉えた梓だった。
「ま、まさか、新学期早々梓に隠れて逢瀬しているなんて……。何だお前!」
梓の標的はすぐに楠木生徒会長に向いた。牙を剥いた梓に、楠木生徒会長も牙を剥き返す。
「お前こそ何だ! ここを生徒会室と知っての狼藉か!」
「生徒会室? そんなものこの学校にあったのですか? どうして先輩がその生徒会室にいるんですか?」
疑惑の眼差しを向けられて、俺は楠木生徒会長に目で助けを訴えた。『金が欲しければ協力しろ』きっと伝わっているはずだ。お互いにとっての今の脅威は目の前の梓なのだ。
楠木生徒会長にそれが伝わったのか伝わっていないのか、梓と余計な衝突は避けるべきと踏んだのか、こんなことを言った。
「そ、そいつが生徒会に入りたいと言ったんだ!」
「ええっ!?」
よりによってそんな言い訳っすかー。合わせるの? それ話し合わせなきゃなんないの?
「そ、そうなんだなー。生徒会長ってさ、一人でやってるんだってよ、生徒会。それで文化祭の準備が大変だからって、な、頼まれて、な」
「はあ~ん?」
当然のごとく、信用されていない。今の今まで生徒会なんて言葉を梓の前で使ったことなかったし、突然過ぎるし。
だから咄嗟に、記憶を掘り起こす。梓との間で言い訳に使えるような事柄を、今までの出来事の中から探り出す。でもやはり出て来るのは、つい最近の出来事だった。
俺は梓の目を見つめた。出来るだけ真剣に。
「待っててくれって、言ったよな?」
「え? あ……はい……」
今度は俺が訝しむ番だった。あの島で俺が放ったこの『待っててくれ』って一言は、それだけで俺の気持ちを全て表現しているようなものなのだ。梓にとってはこの上なく希望に満ちた未来が見える言葉のはずだ。
それなのに、梓は目を伏せて小さく呟いた。とてもじゃないが照れているようにも見えなかった。
そしてそれは、どこか悲観的に見えてしまった。
「梓?」
「あ、はいっ! 言いました! 愛の告白ですっ!」
気のせい、か?
「ん、まあまあ、んん、まあ、な。それで、だ。お前にふさわしい男になるために、まずは身近なところからやってみようって思ったわけだ。それが生徒会なんだよ。言ってみればほら、会社の役員みたいだろ?」
「ほうほうなるほど。それは一理ありますね。生徒すら手籠にできないようならばこちらの世界では通用しませんからね」
それは厳しい! 早々に諦めたくなってきた!
「そ、そんなに?」
「当然です。神宮寺グループには何千何万という社員がいますからね。先輩はいずれそのトップに立たなくてはならないのです」
気を失いそうだった。改めて考えてみると梓と一緒になるってことはそういうことなんだよな。気が遠くなる、もんじゃない。ただの高校生がそこまで成り上がるなんざ、空を飛ぶより難しいよきっと。
「本当に、いいんですか?」
まっすぐに俺を見つめて、梓は言った。
「……何?」
「先輩は、本当に――」
「おーいお前らー。そういうことは他所でやれ他所で」
おう、生徒会長の存在を忘れていたぜ。
「そうだな。来栖真、とりあえずお前を生徒副会長に任命する。よろしく頼むぞ」
「はあっ!?」
「なんだ不服か? やってみたいのだろう? 来栖真」
ニヤニヤとして、自分の都合の良いときだけは乗っかってくる。いましがた使った言い訳をここで覆すわけにはいかないとわかってて言っている。思っていたよりは策士のようだ。
「あはは、ありがたいんですけどね、いきなりそんな重要な役目は荷が重いというか」
「おうおう弱気じゃないか来栖真。こんな役目もこなせないようでは、とてもじゃないが神宮寺家に婿入りするなんて無理だな」
「どうしてその話しを」
「そういうことをさっき話していたのではないのか? まあお前らの噂も聞いているし、常識的に考えて神宮寺の娘が一般家庭に嫁ぐことなんて考えられないしな」
至極真っ当な意見だった。何か悔しかった。
「大体、そういうのはきちんと選任しないといけないのでは?」
「誰もやらないと言っているんだからやりたい奴にやらせればいい。その辺はどうにでもなる。いいからやれよ来栖真。そしてお前も、神宮寺の娘」
いかん、いかんぞ。次の標的が梓になってしまった。もし梓がまんまと乗せられてしまえば俺には抗いようがない。
「はぁ~? なんで梓が。それより誰ですかあなたは。教室でも派手に暴れてましたけど。子供は帰って寝てなさい」
生徒会長だって言ってるじゃないか。いやきちんと紹介はしていないけれど。
「わたしはお前より年上だ!」
梓が驚愕の表情を見せる。そして俺に確認するような眼差しを向けた。
「いや、生徒会長だからな。三年生だ」
それを聞いても梓はまだ信じられないのか疑いの眼差しを楠木生徒会長に向ける。
「わたしは楠木まゆ! 生徒会長だ! 生徒の中で一番えらいんだぞ!」
「先生方よりはえらくないのでしょう?」
「ん、まあそうだが」
「そうですよね。梓は神宮寺梓といいます。そして梓は先生方よりえらいです」
「ぐっ……!」
資本主義の壁が楠木生徒会長の前に立ち塞がった。例え公立高校だとしても神宮寺グループの影響力はすさまじいのだ。梓が校内唯一の人為的な茶髪が許されているのもこれに所以している。
「そ、その神宮寺の御令嬢に、来栖真からお願いがあるらしいのだ」
ここで俺に振るのか。ってゆーか俺すでに副会長になってないかこれ。
楠木生徒会長は圧倒的な力を目の前に、半泣きで奥歯を噛み締めて己を押し殺していた。そして俺に見えるように携帯をちらつかせる。
「お願い? お願いって何ですか先輩。生徒会に入るから会えないとかは聞けませんからね」
「そういうことじゃないんだが……」
思えば、俺は梓に金銭面で頼み事をしたことがない。自分の金はほとんど使わないくらいにはお世話になっているのだけど、あくまでもそれは食事や旅行という意味で。
言い辛かった。おそらくは俺のためになら一億でも十億でもすぐに用意できるだろうけれど、それでもこちらから金を出してくれとは言いにくい。
そういうことで頼りにしたくないのだ。
俺は、梓をお嬢様だからといった立場で利用したくなかった。
「来栖真、はっきり言ったらどうなんだ?」
ついにはあの写真が携帯画面に表示される。
考えるよりも先に口が動いた。
修羅場は勘弁して欲しかった。今は特に。心内では思っていたことだ。俺も、梓も、少し心が不安定なのだ。あの、バカンスの最終日から。
「か、金を、援助してくれないか?」
「はい?」
梓は呆気に取られた顔をする。思ってもみなかった要求だったのだろう。
「えっと、お金、ですか?」
「ああ。へ、変な話しだとはわかってるんだ。無理ならいいんだ、全然」
言いにくい俺とは逆に、梓は軽々と言ってのけた。
「うーん、先輩のためなら梓はいくらだって出せますよ。いくらですか? 現金でなら今日中に十億は用意できると思いますけど」
「じゅっ!?」
驚愕の声を上げたのは楠木生徒会長だった。まさかこれほどとは思っていなかったのだろう。神宮寺グループの持つ力を侮っていたのだろう。あんまり当たり前に学校にいるものだから俺だってたまに忘れてしまいそうになる。日本経済を牛耳っているのは間違いなく神宮寺グループなのだ。梓はその頂点に立つ男、神宮寺一成の一人娘なのだ。場違いな奴なのだ。
「そんなに使えない。使い道だってわからないぞそんな大金。えっと、三百万、でいいんだ」
「? いいですよ?」
「ほ、本当かッ!?」
楠木生徒会長が立ち上がり歓喜の声を上げた。それがまずかった。梓は俺と楠木生徒会長の顔を交互に見て、訝しく目を細めた。
「先輩まさか、この女に貢ぐためにお金が欲しいわけじゃないですよね?」
「ち、違う! そういうことは断じてない! 文化祭でな、使わせてもらおうと思って」
あれ……?
「文化祭? ああ、そういう行事があると聞いたことがあります」
「さっきも言ったぞ、ちゃんと。それでだな、今年の文化祭はちっとばかし盛り上げたいんだ」
あれれ……?
「はあ……そのためにお金が必要なんですね」
「実はそうなんだ。いろいろとわけあって文化祭予算がカットされてるみたいなんだよ。だから、お前の力を借りたいんだ。正直に、頼れるのはお前しかいない」
あれれれ……?
「先輩が梓を頼ってきてくれるのは嬉しいです。先輩のためになるなら、梓は何も惜しむことはありません」
これって、俺が文化祭を盛り上げたいって思ってることになってるような気がする。
「そ、そうか。助かるよ。はは……」
「でもその代わりに、条件があります」
ハァ……。だから梓に頼みごとをするのは嫌なんだ。今まで何度この条件とやらを突きつけられてきたか。
「なんだよ?」
「その前にひとつ聞きたいのですが、文化祭っていうのは、学校のお祭りみたいなものなんですよね?」
「まあそうだな。メインはやっぱり文化部なんだろうけれど、それ以外にもクラスのみんなが協力して出し物をしたり、あとはいろんなイベントを企画して、わいわい盛り上がったりと、そういった学校行事だ」
「その企画や運営をするのが先輩、ということなんですね?」
「俺、というか生徒会になるんだと思う。それとやっぱり、楠木生徒会長がリーダーだろうな。俺はサポートだ。生徒会の経験もない」
こんなこと言って、俺ってしっかり副会長じゃねえか。自分で生徒会って認めちまってる。
梓は俺の返事を聞いて、楠木生徒会長の方を振り向いた。
「なら、あなたに条件です。あなたもお金がないと困るのでしょう?」
「むっ。わ、わたしか?」
楠木生徒会長ははた目から見てもビビっていた。一度斎藤さんを目の前にしたせいもあるし、さっきの十億ってことも効いていると思う。
「梓が企画するイベントを実行してください。それが条件です」
楠木生徒会長は一度ほっとした溜息をついたあと、神妙な面持ちで言った。
「……正直、内容による。あまりにハメを外されては途中で中止せざるを得ない場合があるかもしれないからな」
「それほど難しいことではないと思います」
そして梓は、楠木生徒会長に何かを耳打ちし始めた。
何の企画だこのやろう。みんなの目の前で結婚式とか企画してるんじゃないだろうな。全力で逃げるぞ。
少し長めの作戦会議だった。「ふんふん、それで?」「人をできるだけ集めればいいのか?」「大丈夫なんだろうなそれ」「お前が構わないのなら」楠木生徒会長の相槌だけが聞こえていた。ますます俺の嫌な予感が的中しそうな内容に思えてくる。
そして、
「あいわかった。条件を飲もう」
「よろしくお願いしますね」
「一体何の相談だったんだよ」
気になる。自分の身を案じて気になる。
「秘密だ」
「秘密です」
ものすごく不安になった。
「いやー、とにかく話しはまとまった。喜べ来栖真。神宮寺梓も生徒会の一員として協力してくれるそうだ。いざ、生徒会として文化祭を成功させるべく邁進しようではないか」
ややあってついには、子供と金持ちと凡人の生徒会が結成されてしまったのである。
唯一の救いと言えば、アンケートの集計をしなくてよくなったことだった。
そして俺はやはり、梓の思惑など知る由もなかったのである。




