命の手紙
久々の短篇です。と言うか小説自体久々です(^^;ちょっと不安ですが、ごゆっくりドウゾm(__)m
私には、普通なら高校生になる子供がいる。
でもその子は、今は何も言ってはくれない。お母さんと呼んでもくれない。
これまで、私自身どれだけ辛かっただろう? どれだけ苦しかっただろう?
朝になったら朝食を作り、学校の時間だと子供を起こし、一緒に朝食をとり、見送り、家事をしながら帰りを待つ。そんな普通の生活に、どれだけ憧れただろう。
いや、少なくとも、数年前まではその生活を手に入れていた。
それは、突然の事故だった。子供の体は無抵抗に地面に叩きつけられ、動かなくなってしまった。私は、最悪の事を覚悟したが、何とか一命を取り留めた。しかし、それから子供は眠り続けてしまった。
加害者が酒を飲んでいた事や、何年の懲役が課せられたとか、慰謝料の支払いが滞ったとか、そんな事どうでもいい。
ただ子供にどんな後遺症が残ろうと、もう一度、お母さんと呼んで欲しい。今はそれだけだった。
その日は、いつものように子供のいる病院から帰り、一人分の食事を用意した。夫は、子供を残して出ていってしまったため、食事はいつも一人だった。
慰謝料が頼りだった今の生活も、そろそろ限界が見えてきている。
夕食をとりながら求人広告に目を通すも、何だか気分がのらない。
私は、疲れてしまっていた。もう、私も眠ってしまおう。そう思った時だった。
「ただいまぁ〜!」
私しかいないはずの暗い家の中に、若い声が響いた。
一瞬、何事かと身構えたが、その懐かしい声にハッとなる。この数年、聞きたくても聞けなかったあの声。
「しゅ…ん」
「うわっ、何だよ部屋散らかりすぎ」
目の前にいるのは確かに俊だった。何故ここにいるのかわからず、何と言葉を掛けていいかもわからず、ただその場に立ち尽くしていた私に、
「腹へったぁー、今日の晩ご飯何?」
と、いつもの事のように、俊はさらりと聞いて来た。
「俊、何で……」
「何でって、生きてれば腹も減るだろうよ?」
その言葉を聞いた瞬間、心から消え去っていた温かいものを感じた。
生きてれば。その言葉は、もう忘れていたものだったかも知れない。
これまでも確かに俊は生きていたのに、自分の中では動かない、喋ってくれないと言うだけで、死んでしまったのと何ら変わらない想いになってしまっていたようだ。
「どうしたんだよ? ボーッとしてないでほら、飯作ってよ」
俊は笑顔だ。もうどうでもいい、今俊が元気になっている。それだけを受けとめよう。
「はいはい、何が食べたい?」
聞かなくてもわかってる。
「じゃあハンバーグ!」
それを満面の笑みで言う俊は小学生のようだ。この子は、昔からハンバーグが大好きだった。
「わかった。すぐ作るから、俊は部屋の片付けでもしてて」
「えー!? マジかよ、これ俺一人で片付けんの?」
確かにこの部屋の状況は、まるでゴミ屋敷だ。片付けも、それなりに大変だろう。
「文句言わないの、ほら頑張って」
「わかったわかった。じゃあ早く作ってくれよな?」
今日の私は、年甲斐もなく意地悪だ。
台所に、肉の焼ける良い匂いが広がった頃、終わったぞ。と、俊が来た。
「え、もう片付いたの?」
と、驚く。若いとは素晴らしい事だ。
「感心してないで早く早く」
俊は急かす。焼け具合も良い頃だ。
早速皿に盛り付けると、温かい湯気が美味しさを増長させているようで可愛く見えた。
「はい、お待たせ」
椅子に座り、首を長くして待っていた俊は、物凄い勢いで食べ始めた。
途中何度かご飯を喉に詰まらせていたが、そんな様子も愛おしい。結局、俊は二度おかわりをした。
食べ終えた所で見せた幸せそうな笑顔に、涙が出そうになる。
あぁ、ずっとこれが欲しかったんだ。そう思うと、涙を堪えきれなかった。
それを見せまいと、空いた皿を台所に下げ、背を向けながら洗い物を片付けた。
幸せだ。私は今、心から幸せだ。
明日は何時に起こそうかとか、買い物に付き合わせようとか、そんな事を考えていた時、突然、家の電話が鳴った。
そこに表示された番号は、病院。
受話器を取ろうとした時、俊が話し始めた。
「母さん、一人でいるのが本当に辛かったんだな」
受話器に触れようとする手を止め、俊を見る。
「もし、もうだめだと思ったら……俺と一緒に行くか?」
俊の顔に、笑顔は無い。
電話が鳴いている。
私は……。
「嘘だよ。ほら、電話」
ハッとして、受話器を取り、耳に当てる。
俊の、担当医だった。
「俊君が……」
「ありがとう、ごめん、元気でな」
「今、お亡くなりになりました」
不思議と涙は出なかった。
俊は、行ってしまった。今まで飲んでいたジュースとコップだけが、そこにはあった。
「心配、掛けちゃってたんだね、俊」
私は、病院の、俊のいる病室に向かった。
そこで、俊は安らかに眠っていた。突然容体が急変した事、その原因が不明な事、色々聞いた。
恐らく、弱気になってしまっていた自分を、少しでも楽にしてくれようとしたのだろう。俊自身の意志で。
あの時、一緒に行くかと聞いたのは、そう言う事だったのかもしれない。
私は、改めて俊に別れを告げた。
「俊、ありがとう」