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天狼断章  作者: 銀丈
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其の終「狼」

 撒き上げられた土砂が、真下からぶつかってくる。

 今、僕の足は地面を踏んでいない。周囲の状況は見えないけど、風の冷たさからして、十メートル単位の空中にいるんだと思う。

 周囲が見えない理由は簡単。僕の頭自体が華奢(きゃしゃ)な腕に抱き寄せられ、鼓動を間近に聞かされていて、視界もさえぎられているから。

 浮遊感が落下感に変わり、やがてふわりと着地する。

「ご無事……ですね、かあさま」

 僕を解放して、泣きそうな笑顔を浮かべたのは、半人半狐の女の子。髪や、その合い間から飛び出している獣の耳、手足の先、七本の尾、と全ての毛が黒く、先は白い。要するに銀狐だ。

「うん、ありがとう、七名」

 つい、反射的に抱き寄せて、頭をなでていた。

「! あ、あのっ、かあさまっ?」

 当然びっくりしたらしく、七名が硬直する。しっぽの隅々までがぴんと張った。

「なに?」

「そんなことを……している場合では、ないのでは……?」

 なんて言いつつも、なで続けると全身からあっさりと力が抜けていってるあたり、つくづく素直な子だ。

「いいじゃないか。せっかくの可愛い娘との再会なんだから」

 自分でお腹を痛めて産んだ子だ、可愛く思えないわけがない。考えてみれば、僕が女の体に産まれたのは、後にも先にもあのときだけだし。

「いえ、あの、それは、そうなのです、が……」

 残念ながら、親子の感動の再会はそこまでだった。

「おいおいおいおい、神でもない奴が、なぜ時の壁を単独で越えられるんだよオイ」

 真神の声に、七名は緊張を取り戻し、僕をかばうようにして彼の前に立った。

「声が、聞こえましたから」

 凛と、答える。

「ンな馬鹿な。そんなくだらねえ理由でできてたまるかっ!!」

 真っ向からの否定。

「いや……この子は元々、私とお前、両方の力を引いている。それをたどれば決して不可能な話ではないぞ、スケル」

「ハティか!?」

 つい口をついて出た私の声と言葉を聞き、スケルの表情が驚きを経て怒りへと変わった。

「――てめえスマ! くだらねえマネはやめろ!!」

「違う、スケル。スマと交代しただけだ」

「本当なのか? なら、どうして俺と戦うスマはお前の力を……人間に力を貸す?」

「……人間は、我らと比べて、ひどく脆く、弱い。永きに渡って見ているうち、私はそやつらがいとおしくなってきた。お前も私と同様人間の(うち)にいて永いはず。そうは思わないのか?」

 スケルは、ひどく不思議そうな表情で私を見つめ返した。

「なんでそんな馬鹿なこと考えなきゃならねえんだ? そんなつまんねえもんに歩み寄る必要なんざどこにある」

「そう……か。もう、私とお前は相容れなくなってしまったのだな」

 呟いたとたん、頬を何か熱いものが流れた。

 指でぬぐってみたこれは、水……ではないな。確か「涙」といったか。人間が痛みや悲しみで苦しむ時流す分泌物。こんなものが流れるということは……私は「悲しんで」いるのか。

 悲しみ――この「感情」とやらも、かつて人間に教わった。私もずいぶんと人間の真似がうまくなったものと見える。

「……始めるぞ、七名。これ以上は……話しても意味がない」

 言うと同時に、私は長い髪を束ねてある銀の布を解いた。そうして、スマと交代する。

「帰ったら、また、昔話をして、子守唄を聞かせてあげるよ」

「え! あ、あのっ……」

 まあ、結構プライベートな話だし、交代するなり僕の発したセリフで七名が顔を赤くして困るのも無理はない。

 人で言えば十代後半くらいの外見だけど、彼女はこれでも明治の初め頃からずっと通して自前の体で生きている。

 死んだ僕がまた生まれてくるまでの間には寂しい思いをしてるらしく、僕が一緒にいる間は、彼女、人目さえなければ外見以上に幼い甘え方をしてくる。

「七名は、寝る前に必ずそれをせがむだろ? してあげられなくなるから、死んじゃいけないよ」

「――はい、かあさま」

 頭をなでながらの僕の言葉に、七名は小さく頷いた。


 地震と、光と、闇が、里のほうで暴れてる。

 兄様が、何かと戦ってるんだ。

 兄様は、ここにいろと言ったけど。

 すごく、いやな予感。兄様のそばに行かなきゃ。

 走って、走って、走って……ほら、里が見えて――

 いきなり、今までよりずっと強い地震と光。それっきり、里は静かになった。何の音も、聞こえない。

 怖くなって、もっと走った。

 里には何もなかった。どろ遊びをしたあとみたいに、くしゃくしゃ。

 何もない。誰もいない。

 兄様も、いない。

 気が付くと、土の色の中に、別の色が一つだけあった。

 黒っぽい、小さな水たまり。

 何なのかわからなかったから、ゆびに付けてみた。

 赤。ぬるぬるした、赤。

 赤は――血の色。

 それは――――兄様――の―――――――――――


 跳びかかってきた影に、一太刀。しかし、死に物狂いでかかってくるそいつは痛覚が麻痺しているらしく、平気でこちらに爪を振るった。

 ひやり、と首筋に冷たい痛みが走り、次の瞬間、切断されたけい頚動脈が血圧によって決壊し、熱い鮮血を噴き出した。

 致命傷、という表現は、常人にとってのものだ。私の場合、開けた片手でそこを押さえた時点で塞がり、完治している。

 私は、簡単には死なない。巫女である限り――血と共に邪神の封印を受け継ぐ子を産むそのときまで――滅びない。

「……いいだろう」

 その気なら。消し飛ばしてやる。

 正眼に構えた刀の刃が、現実味のない漆黒に侵食される。次の瞬間、一閃と共に漆黒がほとばしり、直線状にあった全てを消し飛ばした。

 桂木流神剣『八種(やくさ)』。私の体に宿っている邪神の封印を逆用し、その力を兄様の『光の剣』の型で放つもの。封印の継承者たる私にしか使えない、言わば桂木の当主専用の必殺技だ。

 あれから長い時間が過ぎた。

 私はおばあ様の元での修行を終え、戦巫女となった。

 今や、情報革命に遺伝子操作と、華々しい話題の尽きない時代。だが人間というものが変わったわけではないし、この世から暗がりが消えたわけでもない。

 だから、魔を祓う生業(なりわい)が消えることはなく、闇の中での私の戦いも、今この時も終わらない。

 私は今、文字通り魔物の巣窟(そうくつ)と化した廃ビルにいる。他にも何人かの祓い手がここで戦っているらしいが、関係ない。

 どの道、神の命を持ち兄様譲りの剣を振るう私には、誰もついて来られはしないのだから。

 付近に残っていた他の魔物どもを手当たり次第に斬り捨てて、曲がり角へと逃げ出した残りの一匹を追う。そこで――二人連れと鉢合わせた。

 長髪で眠そうな目の男と、恐らくはその使い魔なのだろう、半人半狐の娘。

「ぅわ、びっくりしたぁ」

「……!」

 この男、言葉の割に驚いている様子がない。むしろ、そいつを後ろにかばって身構えた狐娘の方がまともな反応だ。

「……お前のせいで見失った。どうしてくれる」

「あ、ごめんよ。でも、問答無用ってのはどうかと思うな。暴れるにも理由があるんだろうし」

 刀の切っ先を突きつけても、全く動じないどころか、説教する始末。うっとうしい。

「……何様だ?」

「超常現象専門の交渉人だよ。人間とあっち側の住人の間にある意見の違いをすり合わせて争いを解決するわけ。今回もそういうわけで騒ぎの原因を調べに来たんだ」

「……その助手です」

 ぽつり、と狐娘が付け加えた。

「何を甘ったるい夢を見ている。奴等と解り合える道理などない」

「そうでもないよ。昔、大暴れしてた神様が一柱いたんだけど、今ではちゃんと話が通じるようになってるし」

 男は自慢げに自分の胸をたたいた。

「それはそうと、さっき逃げてった子、すっかりおび怯えてたよ? あれじゃ交渉の余地なんかないじゃないか。うまくすればこの辺りの案内くらいしてくれたかもしれないのに」

「下らん」

 いい加減、馬鹿の寝言を聞くのもうんざりだ。

「代わりに刻まれたいか?」

「それはちょっと遠慮したいな。邪魔したお詫びに手伝うからかんべん勘弁してくれない?」

「ふざけろ。邪魔だ」

「ひどいなあ。こう見えても、僕の一族は大昔から続いてる退魔の家系なんだよ?」

 いかにも心外だ、といった風情で、男は嘆いてみせた。

「家柄など知るか。自分を語れ、雑魚め」

「長くなるから遠慮させてもらうよ。とりあえず名前だけでも教えてくれないかな。とっさに呼べないと困るし」

 しつこい男。兄様とは大違いだ。

「……桂木水緒。助けん。野垂れ死ね」

 構わず、背を向け歩き出す。

 そもそも、人間に物理的な危害を加えることのできるレベルまで濃く実体化できる連中のうろつく危険地帯で、今までどうやって生きていたのだ、こいつらは?

 娘が一瞬発した殺気はともかくとして、男からは素人並みの気配しか感じない。一定以上の実力者ほど、意識して自分の気配を自由に操れると聞くが、どう見てもそんな様子はない。

 生きてここにいるということは、やはりよほど運がいいのか。

「うん。じゃ、しばらくよろしくね。水緒ちゃん」

「!」

 後をついて来た男の言葉に、どくん、と胸が高鳴った。思わず振り返る。

 その呼び方……。違う、兄様であるはず……でも、声が似てる。

 一人前になって人里に下りたとき、真っ先に大神の家を訪ねたが、当主は既に『始祖憑き』として姿をくらました後だった。今の代の大神当主とはまだ会えていないのだ。

「? どうかした?」

「名は」

 柄にもなく、問う声が震えてしまう。それに対して、男は見るだけで和まされる笑顔で応えた。

「僕はね――」



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