其の参「疼」
がつっ、と木刀のぶつかる鈍い手応えが、放たれた斬撃の鋭さを物語る。
「まだ甘い! もっと!」
「やあっ!」
僕の声に応え、水緒ちゃんがさらに鋭い斬撃を放つ。それはもう、小さな女の子の太刀筋とは思えない。
二人だけの、綾女さんの目を盗んでの剣の稽古。僕が剣に関する記憶を取り戻して以来、これはもう日課になってしまっている。
まだ幼い分筋力や体重はないけど、それは成長すればついてくる。だから、今僕が教えているのは、体捌きや足の運び。腕力がなくても、それは先読みや脚力、踏み込みで補える。
「いいよ、それだ。次は、こっちからいくよ!」
「はいっ!」
攻勢に転じた僕の連撃を、水緒ちゃんはあらかじめ教えておいたとおり、巧みに避け、受け流してみせる。
「……呑み込みが早いね。才能かな」
「そんな……」
水緒ちゃんははにかんだけど、全くの本心だ。自覚がないにしろそこそこ以上に使えるらしい僕の太刀筋を、水緒ちゃんは驚くような速さで吸収していく。
「……そろそろ夕御飯の時間かな? これで終わろうね」
「うん」
紅く暮れ始めた空を見上げて言った僕に応え、木刀を構える水緒ちゃん。
木刀が打ち合わされ――る瞬間。
「二人とも、御飯ですよ」
羅水さんがやって来て、僕たちを呼んでくれる。この人にまでは稽古のことを隠していないのだ。
それが、まずかった。
驚いた拍子に、集中力が途切れ、木刀から互いの意識が離れてしまった。危ういところで間合いを離す。
「らっ……羅水さん! 危ないでしょう!? ああ、もう!」
あわ慌てて水緒ちゃんに駆け寄る。僕の木刀は、かすめただけで彼女の頬と髪の一房を切っていた。全く呆れる。なんてとんでもない使い手なんだ、僕は。
「大丈夫? ごめんよ」
詫びつつ、にじんだ血を指先でぬぐった直後――傷が跡形もなく消えてしまった。
「え……? 紗雫ちゃん、今、怪我したよね?」
「う、うん」
「……ああ、驚くことはありませんわ要さん。それが戦巫女の資格なのです」
僕の驚きようを見て、羅水さんがそう言った。
「え?」
「水緒がおりますから、今の母様にはございませんが、桂木一族の代々の後継者には、とてつもなく強い命が宿るのですよ。ご先祖様の中には、戦いの最中、落とされたはずの腕を新しく生やして相手に止めを刺した方もいるとか」
「……へえ、そりゃすごい」
思わず洩らしてしまった言葉を聞き、なぜか羅水さんは嬉しそうに笑った。
「在ることを在るまま自然に捉えられるのですね。道理で、水緒が好くわけです」
「!」
「は?」
顔を見る間に赤く染めて家に走り去ってしまった水緒ちゃんの気持ちは解らないでもないけど、なんでそんな言葉が飛び出すのか判らない。
「あの、羅水さん、いきなり何を?」
「里の者でさえ、あの人外の力を大なり小なり魔物同然に見ます。お陰であの子には一人も遊び友達がおりません」
「そりゃ初耳だ」
「それはそうです。言いませんでしたから」
「……ごもっとも」
しれっと言われると、反応に困るなぁ。
「最初から懐いていましたから、あの子自身、初めて会った時点であなたの器を悟っていたのでしょうね。実際、母様とわたくし以外で普通に接していたのはあなただけでしたから」
「照れるなぁ……そんなつもりはなかったんですけど」
「その『つもりがない』のが一番大事なのですよ」
「はあ……。じゃ、僕、木刀を片付けてきますんで」
「ええ、母様に見つからないようお気を付けて」
「はい」
先に歩き出した羅水さんに背を向けて歩き出したところで、ふと、水緒ちゃんの頬をぬぐって緋に濡れたままの指先に、視線が落ちた。
自分でもよく解らない衝動にかられて、それを口に含む。
「――っ」
くらり、と目眩がした。
あまい――血が、甘かった。
――血ダケデコレナラ、肉ハドレダケ甘イダロウ?
「おや、どうしたのじゃ、要殿?」
「まあ、何と言うか、相談があって」
翌日、僕は綾女さんのところへ来ていた。昨日の、あのおかしな思考は、一体どうしたものか、と思ってのことだ。
「……ふむ。血が甘い、とな」
僕の説明を一通り聴き終え、綾女さんは首をかしげた。
「はい。僕って、変態さんなんでしょうか」
「じゃろうな」
即答。
「ありゃ」
「大体、水緒を見る目だけ最初から妙に熱かったぞ。自分で気付かなんだか?」
「僕ってロリコンだったのか……こりゃびっくりだ」
「まあ、冗談はさておいて」
綾女さんがあっさり話題を変える。
「冗談だったんですか?」
「半分本気じゃ」
「なんだかなあ……」
最初から真顔だから、どこからどこまで本気で冗談なのか、判ったものじゃない。
「で? 水緒の血だけかえ?」
一転して真剣な調子で、綾女さんが問う。
「それは、何とも……。他に誰を試したわけでもありませんし、試したいとも思いませんよ」
「ふむ……。まあ、よかろう。しばらく待っておれ」
そう言うと、綾女さんは家の奥に引っ込んで、なにやらごそごそ始めた。そして、しばらく――
「おお、これじゃ」
細長い木箱を手に、綾女さんが戻ってきた。
「何ですか、これ?」
「魔封じの力を持つ布じゃ。鬼から譲り受けた髪で織り上げた逸品じゃぞ」
言って、綾女さんは箱を開けた。
綺麗な銀色の布が、丁寧に折りたたまれてしまってある。
「闇が濃いほど力を増すと聞いておる。新月の夜に最大の力を発揮する娘の髪じゃからな、間違いはなかろ」
「鬼から譲り受けたって……魔物と戦うのが戦巫女の役目じゃなかったんですか? 鬼って魔物でしょう?」
根本的な矛盾に突っ込んでみると、綾女さんは首を横に振った。
「我らが討つべきは人に仇なす者だけじゃ。永い命を持て余し、普通に恋をすることしか望んでおらんのを知ってしまえば、例えできても、討つに討てん……」
遠い目をして、綾女さんはその銀色の髪をした鬼のことを語った。
「恋をするのが望みなんて、可愛いなあ……。なんだか魔物って気がしませんねえ」
「付け込まれる隙を与えることになってしまうゆえ、本来祓い手は情にほだされてはいかんのじゃが……素直にそう思えるのは大事なことじゃぞ」
柔らかな笑顔で、綾女さんは頷いた。
「おぬしも充分戦えよう……その類い稀な剣の腕ならば。あるいは、若き日のわしより強いかも知れん」
「え……知ってたんですか?」
「隠しおおせると思っておったのか?」
逆に呆れたように、僕を見返す。細心の注意を払って隠してたはずなのに……さすがは年の功というやつだろうか。
「ともかく、これを肌身離さず持っておれ」
「いいんですか? さっきからの話を聴いてる限りじゃ大切な友達に聞こえるんですけど」
「現役を退いたわしにとっては何の役にも立たん物じゃからな。蔵に埋もれさせるよりは使ってやった方があれも喜ぶじゃろう」
「……じゃ、ありがたくお借りします」
さしあたって適当な方法も思いつかなかったので、これで自分の長い髪を後ろで結ぶことにする。
「綾女さん」
「何じゃ?」
「これで僕と水緒ちゃんのお稽古も公認ですか?」
「そんなわけなかろう。わしに隠し事など、もってのほかじゃ」
「そん――」
そんなあ、と最後までは言えなかった。不意に、異様な悪寒が僕の背筋を這い回ったからだ。
ほとんど同時に、綾女さんの表情が険しくなった。僕同様、厭な気配を感じ取ったらしい。
一瞬の間を置いて、ずん! と大きな揺れが里を襲った。
〈次回予告〉
里に何が起こったのか!? そして、正体不明のロリコン剣豪青年要に目をつけられた幼女水緒の運命は!?