第八章 頼むから俺の話を聞いてください……
《天堂陸》
天堂家
「ぷは~っ!」
男らしさ爆裂と言えるくらい粋な仕草で、紫苑は俺が出した麦茶を飲み干す。
「陸、もう一杯欲しいでござる~」
「何だよ、ござるって?」
帰国後、何度か聞いたその語尾。
ちょうどいい機会なので聞いてみることにする。
「魂の発露だ」
顎に手を添えて意味なく紫苑は笑う。
その仕草に笑みが零れてしまう。
待たせるのもなんなので、すぐに紫苑に麦茶をいれてやることにする。
麦茶をいれてやろうとコップを持ったところで紫苑に話しかけられた。
「陸、頼みがある」
真剣な表情でそう切りだしてくる。
「ん?」
「執事っぽく淹れてくれないか? あ、なんならメイドさんっぽくでも……」
「執事さんっぽくね、了解!」
危うい要求をみなまで言わせず封じる。危ないところだ。というか紫苑の右手がバッグに延びており、見間違いじゃないとしたら……なぜかメイド服っぽい切れ端が見えたのは気のせいにしておきたい。
「んー……」
とはいえ、どのように執事っぽくするかと悩んでいたら、紫苑が立ち上がる。
視線を向けると、任せろとでもいうように大きく頷く紫苑。
(不安だ……)
そしてそれは――――
「じょおおぉぉうッ!」
両眼を光らせてどこぞの宇宙刑事のような雄叫びを上げ、椅子から飛び立つ紫苑のその姿は、荒鷲の如し。
どこから取り出したのか。その右手には執事服。
「いくぞ萌殺――――」
執事服が空を舞う。
「――――ぬぅぅりゃあああぁぁぁぁぁぁぁッ!」
「うわっ!?」
目にもとまらぬほどの勢いで紫苑の両腕が動く。それはさながら千手観音のようで、背中からいくつもの腕があるように錯覚するほどの凄まじさ。
「見るがいい! これぞ紫苑ちゃん七つの大技の一つ《乙女ラヴコンセプション》!」
――――不安は的中する。
気がつけば、俺は一分の隙もなく執事服を身に纏っていた。
黒を基調とした執事服。
燕尾服の後ろは堅い生地で型崩れがなくピンと整っていて否応なしに背筋が正される。シルクの黒ネクタイ。清潔な白いシャツ。黒いラインの入ったズボンと黒艶が眩しい革靴にまっ白い手袋。
まさにバトラーと呼ぶに相応しい装いだ。
ボケもここまで徹底されたら、大阪生まれの大阪人としてはノルしかない。
「どうぞ、紫苑お嬢様」
バトラー姿で透明なグラスに麦茶を淹れる。はたから見たら遊んでいるしか見えないような失笑もののシーンなのではないだろうか?
「むふ、ごっつあんです」
しかし、紫苑はどこまでもマイペースである。
お嬢様とはほど遠い素敵なワードをのたまう。というか勝った力士がご祝儀受け取るみたいな感じだ。
(ほんーと、外見と中身とのギャップが激しいやつだよな……)
けど、それが紫苑の魅力なんだろう。
「陸、そう言えば……ご家族の方はどうしたんだ? 誰もいないようだが……」
考えにふけっていると、紫苑が話しかけてきた。
「ん? ああ、母さんは買い物で、海は本屋に行ってる」
出かける前に見た伝言板の内容を思い出して答える。
「まぁ、そのうち帰ってくると――――」
そう言いかけた直後、
「ただいま~」
ほのぼのとした少し間延びした声が玄関のほうから聞こえてきた。
とても二児の母親とは思えない若々しい声だ。やがて外見も二十歳半ばくらいの持ち主がリビングに姿を表す。
若づくりというか、極端に童顔なのだ。思えば、俺の容姿は母さんの血を強くひいているように思う。
目の前の童顔女性が、俺の母さんで、名前を天堂 空音と言う。
「ただいまの反対はこんばんはー」
さらに母さんに続いてこっちのわけのわからないのが、俺の双子の弟である天堂 海だ。
「おかえり」
帰ってきた母さんと海へと声をかけ、ついでとばかりに麦茶を淹れてやる。
「うむ。では、《陸・陥落大作戦》を実行するか……」
紫苑は小声で何か不吉なことを呟くとすくっと立ち上がり、リビングの床に正座する。
え~~と、紫苑さん何を……?
当然の如く母さんは「あらあら」と頬に手をあてて困ったような顔で紫苑を注目しているし、海は――――
「陸その格好何? 執事? バトラー?」
「……」
海の質問を笑顔で取りあえずスルーする。
「陸は普段は真面目だけど、なんか急にボケるよなー。しかもそれギャップ凄すぎていつもスベるからなー。同じ顔してるんだから俺の迷惑も考えてね?」
いやいや、それ海に言われたくない。
いつも奇行に走るのは海のほうだ。
なまじ顔がそっくりなのであんまり奇行に走らないで欲しい……その願いは今まで生きてきて一度も届いたことがない。
だが、今は兄弟間の瑣末なことにこだわっている場合じゃない。
(……何をする気だ?)
小さな戦慄が背中に流れる。流れるどころか走り始めてる。それはもうウサイン・ボルトくらいのフライング気味ですよ!?
「お久しぶりです、ママ上殿」
「あら~。え~とどちら様~?」
母さんの間延びした声が誰何するや否や!
紫苑の瞳がカッと効果音の聞こえてきそうな勢いで見開き、正座の姿勢から床に頭を下げるという――――ジャンピング土下座! そしてとんでもない内容を叫ぶ!
「お義母さん、陸を下さい!」
「ぐはああああぁぁぁぁぁッ!?」
内容の凄まじさに思わず、執事服のまま床にずっこける。な、ななな何を言い出すんだ紫苑は!?
「ひゅー、爆弾発言ってゆうやつか。やるな陸」
海のやつがなにやらほざいていやがるがこの際無視だ。
なによりも先に紫苑の暴走を止めないと!
「あらあら。まあまあ~。陸の恋人の方ですか? こちらこそ陸をよろしくお願いします~」
へへーっと母さんも紫苑に倣うように土下座して挨拶を返す。
やばい、ボケが二人に増えた!?
「ちょ、ちょっと待てッ!」
何の疑いも無く信じる母さんの素直すぎる性格に、本気で焦りを覚えて口を開く。
「うっ!?」
いつの間にか後ろに回った紫苑に、背中越しに複雑な関節技で固められ、あまつさえ紫苑は右手の掌で俺の口を塞ごうとしてくるッ!?
(こいつ! 俺の発言権を奪う気だ!)
その執拗さは日本の常任理事入りを拒む中国の如く。
大蛇の如く悪意を持って動く手のひらを必死にかわしつつ打開策を練る。
「いえいえ、こちらこそ。《初孫》を楽しみにして下さい」
「何をいってるんだああぁぁーッ!? ふ、不潔だぞ!」
絶叫してしまう。
一部をあまりにも強調した倫理規定を外れる発言に俺は泣きそうになる。というか泣いていい?
「陸、やるな~。もっと陸はウブかと思ったよ。俺も見習わないとな」
爽やかなスポーツマンのような笑顔を浮かべて右手の親指を立てて笑う海。
ちょっと無駄に歯を白く光らせてないでフォローしてくれ!?
「ば、馬鹿! 母さんこれは違うよ!?」
「初孫楽しみね~」
「ちょっと母さんッ!? なに夢見る瞳で斜め上四十五度を見上げてるのさ!? もっと現実をちゃんと見ようよ、俺らの年齢はきっと年金貰えれないんだよ? 貢ぐだけ貢いでホストに捨てられる田舎から上京してきた娘さんの如しだよ!?」
「子供は四人。男が二人に女が二人。程よい大きさの白い家に住み、白くて大きな犬を飼うことにしよう! 犬の名前は武蔵丸だ! 彼には小次郎というライバルがだなぁ……」
「紫苑も妄想度一〇〇%の野望を、俺の耳元であたかも洗脳するが如く呟かないッ! しかも何その犬のライバル設定!? 無駄に細かいんですけど!?」
俺の叫びは虚しくリビングに響き渡る。ちょっと誰か話を聞いてよ!? 俺はここにいるよ!?
「俺も彼女見つけて、高校ライフを満喫しよ~」
「お、俺の……ッ」
俺は今、張り裂けんばかりの風船だ。
「陸ちゃん、新婚生活を楽しみたいのはわかるけどいきなり別居しないで、暫くお母さんたちと一緒に暮らしましょうね~♪」
「俺の話を……」
ある感情をとき放ちたくてしかたがない。
「結婚旅行は熱海がいいな! ちなみに浮気は許さないぞ? もし浮気したら紫苑ちゃんヤンデレ開★眼だぞ? それから、老後は私が老人ボケになっても見捨てずつっこみを返してくれよ?」
俺はにっこりと青筋つきの顔面神経症のような笑みを三人にプレゼントしてやる。
「俺の話を聞けえぇええええええええぇぇぇぇーーーーッ!」
ほんとお願いですから……
「……という訳で紫苑の泊まる場所がないから家に連れて来たってわけ。わかった、母さん並びに海?」
「そう言うことだったの~」
「なんだ、つまんねぇーの」
「むぅ~~不本意だが…………仕方あるまい」
不満そうに紫苑は呟くが、この際無視だ。この子つけあがらせるとヤンデレになるらしいからな……用心しとかないと。ヤンデレに好かれた男の末路は刺殺、斬殺、毒殺とろくなものじゃないからな。
「でも紫苑ちゃん可愛くなったわね~♪」
母さんはそう言うと腕組みしてソファーに座っている紫苑を抱きしめて頬擦りをする。
「むう、どういたしまして……でござる」
意味不明のコメントを口にして紫苑は母さんにされるがままだ。
無表情の中にもどこか紫苑が恥じらっているを見つけて微笑する。
こんな感じの紫苑は可愛いんだけどな。
「そんなことより、母さんさー、紫苑さんの部屋どうするのさ?」
珍しくまともな意見を海がだす。
しかし、それは同時に俺にピンチを呼ぶ。
「そうね~紫苑ちゃんはどれくらい日本に滞在するつもりなの?」
海の提案に、母さんは考えるそぶりを見せて、紫苑に尋ねる。
「この夏が勝負なので、できればこの夏いっぱい置いて欲しいのですが……」
瞬間、俺の背中に電流走る。
な、何だろう勝負って? 湧き上がる不安に苛まされる。
「余裕よ~」
俺の疑問が置き去りに、母さんは親指を立てて紫苑に笑いかける。
「大感謝ッ!」
紫苑はガシッと母さんに抱きつく。
何やらかなり二人は打ち解けた様子だ。
叫びすぎたせいか喉の渇きを覚え、冷蔵庫に向かい麦茶をコップに注ぐ。
「でもね~客間がちょっと散らかってるのよね~」
視線を紫苑たちの方に向けながら、何の気なしにコップの麦茶を飲もうと傾ける。
次の瞬間!
少女チックに首を傾けながら、母さんが爆弾宣言を放つ!
「だから~今日は陸の部屋で一緒に寝てくれない?」
「是非ともッッッッ!」
「ゲハァァッ!?」
紫苑の返事は音速を越えていた。
「げほげほッ!」
飲んでいた麦茶を喉に詰まらせ、気管の変なとこにはいったせいで咳き込む。
海がさすさす背中をさすってくれた。
一切の間を置かず、紫苑は両手の親指を立てて即答してしまい即決。
ま、本気なの!? これ悪い夢じゃないの!?
しかも紫苑の瞳は獲物狙う鷹のように。
もしくは夜這いを決心し野望に燃える青年のように、熱を――帯びていた。
というか紫苑の目が語っていた。
『いただきますッ!』と。
(や、ヤバイ!?)
聞こえてきた幻聴に悲しく鼓膜が震え、背骨が悲鳴を上げる。
予感を超えて、確信のレベルまで上がった危機に身を震わせるしかなかった。執事服で。