第七章 《ときめき☆恋愛度》を獲得せよ!
《綾崎紫苑》
(どんぶらこ、どんぶらこ……という感じかな?)
電車の心地良い揺れに身を委ねながらそんなことを思う。
人は列車のようだと思う。
列車(人)の車窓(視線)からの景色が、一定のスピードで過ぎ去って行く。
それはまるで……人間の人生のように錯覚してしまう。
敷かれたレール(生き方)の到達点に向かって、列車(人)は走って行く。
いや半ば強制的に走らされるているのだ。それは生きていく上で仕方がないことなのかもしれない。
そして、私のレール(生き方)は普通の人よりも厳しく敷かれていた。
だが、そんなことは許容できない。
私の人生は私の――――私だけのものだ。
私は好きな所で停車したり、時には途中下車したり……フフフ……逆走するのもいいな。
そんなことをしながら、自由に――――自分の思い描いた到達点へと行きたいのだ。
(それが漢と言うものだ。……私は女だがな)
まぁなんにせよ……
(これからが始まりということか!)
またもや私を抱きしめ口付けをしつつ、熱烈な言葉で私を口説く陸の妄想をしながら、ラヴ必勝の決意を新たに心に刻み込めた。もう微塵切りにするくらいに。
電車から降りると、駅のホームに漂っていた熱風の歓迎をその身に受ける。身体に叩きつけられる暑さとなんと表現していいかわからないが、この独特の匂い。あぁ日本に帰ってきたのだなと思えた。
日本も充分に都会なのだが、住んでいるのが日本人だけのせいかどこか柔らかい雰囲気があるように思う。
アメリカは多民族国家の国だ。雑多な雰囲気と雄雄しいまでの世界の広がりが感じられる。
日本はどこか優しい佇まいを感じる。
(やはり日本は良いな)
帰ってきて、やはり自分は日本人なのだと改めて思う。
そして何よりもここには陸がいる。
私にとってはそれが何よりも重要で大切なのだ。
どれくらい大切かと言えば、私が教師ならばテストに絶対出すくらいだ。要チェックと関西弁で叫びながら、無意味にボールペンのノックをプッシュしまくるくらい重要なのだ。
実は……私こと紫苑ちゃんは半ば家出をしてきたのだ。
理由は祖父であるお爺様に、かなり強引な形でとある男性と婚約させられたからだ。
婚約者の名前はアレックス・バグネットという。
世界でも五本の指に数えられるくらいの資産家の息子だ。こやつと婚約し、結婚するとなると我が綾崎グループの事業は大きな躍進を意味することとなる。
だが、はっきり言って私はアレックスのことは全く興味がない。アウトオブ眼中だ。
どうでもいい感じだ。
そう――――まるではずれのアイスの棒くらいどうでもいい。
そんなどうでもいい相手に私は自らの処女を捧げる気は毛頭ないッ!
私が好きな相手にこそ、私は自らを捧げたい。それは陸をおいて他にいないのだ。
だからこそ――――右拳を握り締める。
(既成事実を手に入れる!)
そう……織田信長が今川義元の大軍を前にした時、乾坤一擲の奇襲攻撃をしたように紫苑ちゃんは陸との間に既成事実を手にするのだ!
出来れば、今、流行りの出来ちゃった婚なんて望ましい!
私は攻める女だ。今時、待っているだけの女など意味などなし! 乙女として存在価値なし!
押して押して押して押し倒す! それこそ我が恋愛道! 倒す、脱がす、頂くだ!
お爺様に産まれてきた初孫を、水戸黄門の印籠のように見せてやればこの戦は貰ったも同然なのだ。
入念な準備をしてきたといえ、残された時間は少ない。
そう……何としても私は陸に告白されねばならない!
この夏に私は全力を尽くすのみだ!
私は横目で陸を見やる。
問題はどう陸をゲットするかだ。やはり、ここはこの紫苑ちゃんの色気で骨抜きに陥落するのが手っ取り早いだろうか? というか今すぐ押し倒したらいいんじゃないだろうか?
(む……何だ?)
《陸・陥落大作戦》を思案中だった私は、陸の差し出された右手を見て、困惑に眉を寄せる。
しかし次の瞬間、紫苑ちゃんの明晰な頭脳は解答を弾き出す。フフフ、たまに自身の頭脳の冴えに恐ろしくなる今日この頃でござる。
「ワン!」
自信満々の笑みを浮かべながら、陸の右手の掌の上に自分の掌を重ねるように乗せる。
「お手じゃないッ!」
「ち、違うのか!?」
確実だと思っていただけに私の動揺は大きい。なんという不覚だ。
「全然、違う!」
「むう……では何だ?」
陸をジッと見つめて尋ねる。
陸はそんなにこっちを見ないでくれよと呟く。そんなこと言われたらもっと見つめたくなる。だって紫苑ちゃんは好きな相手の困った顔を見るのがちょっと好きなのだ。しかしなんて、ういやつなんだろうか。
「そ、その……」
言葉に詰まり、私から視線を逸らしながら続けようとする陸の姿は本当に何と言うか…………ラヴ?
恥らう陸の表情は草原を懸命な仕草で駆ける子ウサギを彷彿とさせる。
私の胸に内蔵された乙女回路が、ぎゅんぎゅんと駆け巡る。それはもうぎゅんぎゅんと。ピンク色のラヴが心臓をきゅんきゅんと甘く締め上げる。
これはもう押し倒してもいいのだろうか? というか許されるよな?
「り、陸がいけぬのだぞぅ? そ、そんな表情で、はぁはぁッ、私を昂らせよって!」
「な、何か勘違いしてないか!? や、やめろよ紫苑! 何だよ、その危ないピンク色に染まりきっているおかしな笑みは!? やめろ! 手をわきわきと蠢かして、下から火傷しそうな視線で俺を見ないでくれッ!」
陸はうろたえる。だが、それは私の熱を高めるだけの行為だ。
ああっ。襲いかかりたいなぁ。
人目のない場所に引きずり込んでちょめちょめしたいでござるなぁ。服を縦横無尽に引き裂き、体をまさぐりたいなぁ。甘い悲鳴で鳴かせてみたいなぁ。
私は溢れてきたよだれを手の甲で拭う。というか、もう辛抱堪らぬ!
「そうじゃないって! 違うんだって!」
「む?」
今まさに雄々しく大地を蹴り、襲いかからんとしていた私は、きつい陸の叫びに制止を余儀なくされる。チッ、私としたことが襲いかかるタイミングを逃してしまった。
「ようするにだ! アメリカの長旅や、その……時差ボケとかで疲れているだろ?」
こっちまで恥ずかしくなるくらい顔を赤らめて陸がそう尋ねてくる。
フフフ……相変わらずウブな男だ。そんなお主に私は胸キュンなんだぞ?
「だからバック持ってやるよ」
そう言って陸が、私の肩からバックを取り自分の肩へと担ごうと手を伸ばす。
それを見てボケることにする。人生メリハリが大切だからな。
バッグに触れるや否や私は叫ぶ。
「む、強盗!」
このボケに陸は一瞬棒立ちになる。
「なんでやねん!?」
それは……まあつっこむのも最もだと思うが。こればかりはやめられない。むふ。
「ここは普通、ありがとうって感じになるシーンだろ!? なんで強盗なんだ!?」
本当は《ときめき☆恋愛度》が三ポイントアップしてたりするが、それは陸には内緒だ。
しかし、このまま陸にゴネられるのも面倒なので、話題を変えることにする。
「しかし、吸い込まれそうな青空だな……」
陸のつっこみを軽くスルーして、蒼穹鮮やかな空を見上げ、サングラスの僅かな隙間から飛び込んできた日差しの眩しさに目を細める。
「え!? まさかのスルー? ま、まあ……そうかな……」
なおもつっこもうとしていた陸は、突然の話題の変化に困惑しながらも答えを返す。
答えを返した陸は、私と同じように空を見上げる。
爽快で鮮烈なこの空気。この夏だけの大気の海が頭上に広がっている。
空は青く、高く、澄んでいる。そして大きかった。青いパノラマは何処までも飛んで行けそうな高揚感を私の胸に爽快と共に運んできてくれる。
「俺、夏は暑くて嫌いだけど……この青い空だけは好きだな」
「ああ。確かにそうだな」
陸の言葉にさも共感を覚えたように頷いてやり、一言とどめをさす。
「地球の終わりを感じさす青さだな」
「ああ、そうだ…って、何でだあああああぁぁぁぁッ!?」
陸は大きくつっこむと、急に虚しさを覚えたのか、自分の額を押さえてため息を吐く。
「全くやれやれだな……」
その台詞を私は何となく真似てみる。深い意味はない。
「うむ。やれやれだな。全く先が思いやられる」
私の台詞に陸は口元を引きつらせる。いい感じに暖まってきた~っ。
「だ、誰のせいだと……お、思っているのかなぁ?」
所々言葉を破綻させながら、妙に優しい声で陸が尋ねてくる。
(ニヤリ♪)
心の中でほくそえむ。
「おのれぇぇぇぇぇぇ、あやつめぇぇぇぇ!」
サングラスを取ると、右の拳を握り締めて、仇敵にしてやられたかの如く悔しそうな表情を見せる。
演技はバッチリだ!
「あやつって誰だよ!? 紫苑のことだろぉーッ!」
陸がすかさずつっこんでくる。私は不意にドキリとした。
何か本当に胸がいっぱいになって苦しくなる。
陸が私の名前を大きな声で呼んだ……ただそれだけのことだが、私はこんなにも嬉しくて、だが同時に気恥ずかしいような捉えどころのない想いが溢れて頬を赤く染めた。
「ったく、何だか紫苑のペースに振り回されまくりだよ……」
不意に突風が吹いて目を細める。
そして、細めた目に映る光景。それは――――
強烈な夏の日差しを背中に、陸は微苦笑を漏らしていた。
だが、それは不快な感情を表しているわけでない。
懐かしげな……再会の、おかえりの笑顔だ。
ふわりと陸の手が私の頭におかれる。
「でも……凄く紫苑が帰ってきた気がするよ」
そうふんわりと柔らかく微笑んで、私の頭を優しく撫でてくれたのだ。
全身の血がカァーっと頭に上がるのがわかった。心臓がどくどくと脈打つ。
触れられた頭が……髪が甘く痺れて、胸が苦しい。その笑顔は反則すぎるじゃないか! というか顔が近いッ、近すぎるッ!
(な、なんだなんだなんだ! この馬鹿ものがッ!)
陸は私のバックを担ぎ直して改札口へと歩き始める。その後姿は、私を惹きつけてやまない。
さっきまで撫でてもらった髪に手を触れ、陸に聞こえないように私は呟く。
「なにが私のペースに振り回されまくりだ……おぬしなど笑顔一つで私を振り回しているじゃないか……」
「紫苑?」
陸が振り返る。
小走りで陸の左側へと移動すると、陸の横顔を見ながら一緒に歩き始める。
きっと、こういうさりげない時間が至福なのだと思いながら……
あぁ……熱い夏が始まる。
日本よ、私は帰ってきたぞおおぉぉぉッ!