第四章 ラヴごっあんです☆作戦
《天堂陸》
売られる子牛的感覚で気がつけば、空港にあるとあるレストランに入店させられていた。
あのままさらしものになるのは耐えられないところであったから、どこか店に入るのは悪い選択肢ではないように思えた。
だがそれは甘い認識だと思い知らされた。
レストランと言う限定された空間であるからこそ、紫苑の容貌は群を抜いて目立っていた。
ウェイトレスやウエイター。食事待ちの人や、中には食べかけの手を止めて、紫苑に見入っている人もいる。
視線を外せないぐらい美しい容貌。それはサングラスをかけていてもわかるのだろう。
ふとそこにいる利用客の思いが届いたのか、紫苑の顔からサングラスが外される。
誰かが息を飲む音が聞こえたような気がした。
巨大な美を目の前にした時に巻き起こる現象。静かな感動混じりの吐息があちらこちらで上がる。
ただそこにいるだけで人を惹きつけてしまうカリスマが紫苑にはある。
今、レストランにいる人のほとんどが、紫苑に注目していた。
目立つことが嫌いな俺としては、あまり居心地が良くない。事情が許してくれるなら、今すぐにでも背中に羽を生やしてここから飛び出したい気分だ。
やがて、一人のウェイターが注文をとりにやって来た。
「い、いらっしゃいませ、ご注文はなんにいたしますか?」
見るからに緊張しているが、その視線は吸い込まれるように紫苑だけに注視されている。
「……俺はエビピラフを」
「へ? あ、はい」
そこで初めてウェイターは俺の存在に気がついたようだ。
おおかた紫苑しか目に入ってなかったんだろう。
(まぁ、別にいいけどね……)
独白しつつも、おまけのように扱われては怒るほどではないけど、正直へこむ。
「え、えっと。その、お連れの方は?」
紫苑に見惚れてしまうのをなんとか断ち切るように、ウェイターは対応を続けようとする。
けれど、その声は哀れなくらいに上ずっていた。
しかし、紫苑はそんなウェイターを筆頭に周囲の注目にまるで頓着しない。
「私はステーキセット。焼き加減はウェルダンで。料金割り増しでもいいから500gにオーダーカット頼めないか? あとつけあわせにフルーツサラダ。無論、ライスは大盛りだ!」
レストラン中に響くかと思われる紫苑のハラペコ宣言に俺を始めとした周囲の利用客はテーブルに突っ伏す。
「し、紫苑!?」
悲鳴にも似た声を上げる。周囲のざわめきが嫌なくらい押し寄せてきたのを感じる。勘弁してくれ!
今の紫苑の発言は、皆の抱く幻想という名の固定概念を右手で打ち砕くこと120%だ。
というか、ヒロインが堂々と肉って。しかもとどめにご飯大盛りって……
「ふ、陸。私の前世はたぶんティラノサウルスだ。そして陸の前世は草食系の動物だ」
「…………」
それは何だ……俺がお前に食べられる運命だと間接的に伝えたいのか?
しかし、言い返せない俺は目をそっと伏せて紫苑のギラギラした双眸から目を反らす。
見ちゃダメだ。見たら勝負始まる以前に決まってしまう確信がある。
ウェイターが「な、なんとかします」と答えてその場を下がったのを見送ってから、気になっていた話題を振ることにする。
決して、紫苑の視線の圧力に負けたわけではない。
「あ、そう言えば紫苑発音が凄いな」
会話の時に英単語が出てきたとき、紫苑の英語の発音が日本人が口にするような和製英語ではなく、さすが帰国子女というのは伊達ではないと思うくらいに本場っぽいのだ。
「まぁ、五年もいれば英語など自然と身につくものだ」
特に自慢するわけでもなく紫苑はさらりと凄いことを言う。
実際、紫苑にとって英語を話すことはそれこそ日常のことで自慢するようなことじゃないんだろう。
「そんなもんかな。中学、高校で英語を五年勉強しているけど、簡単な単語や文法なら何とか聞き取れるくらいで、とてもじゃないけどしゃべれないな」
事実、日本の学校の英語を受けていて英語がしゃべれるような生徒などほとんどいない。
四年近く英語を習っていながら、しゃべれないなんて……俺たちは本当に《英語》を習っているのだろうかと初めて疑問に思った。
「ふむ……」
俺の言葉を吟味するように聞いていた紫苑は、ポンと手を叩く。
「外国人の恋人が出来たと思って勉強すればみるみる上達するぞ……まぁそんなことは私が許さないけど、なッ」
うまいことを思いついたという楽しげな口調で話していた紫苑は、最後の方で一転――――ギラリと瞳を光らせ、語尾の「なッ」ってとこを強いアクセントで言った。
それは紛れもない警告……脅しだ。
素早く視線を明後日の方に反らし、お冷を口にする。
結構かなり本気で料理がくるのを待ち望む俺だった……。
暫くして、頼んだ料理――――あれはなんだ?
その肉は分厚かった。大きく、重く、ステーキというにはあまりにも大きすぎた。
それはまさに肉塊だった。
鉄板の上で湯気を立て、暴力そのものにように鎮座している様子はキングオブキング。
その肉を切るというよりは削るように引きちぎると、一口で頬張る。
ムシャムシャならまだ可愛げがなくもない。
だが、年頃の乙女がガツガツという擬音で肉を貪るのはどうだろう、と。
以前、テレビで見たマニャンガ自然保護区の肉食獣が草食動物に襲いかかる情景がなぜか思い浮かぶ。
気にとれるくらいの剛毅な紫苑の食べっぷり。
これではどちらが男かわからない。少なくとも食べる擬音では、俺は女の子のようなものだ。
その可憐な口に似合わない豪快さとスピードでランチを食い漁る様子は、少年が美少女に抱く幻想を木端微塵に打ち砕く率、実に120%だ。
幻想に抱かれて溺死する気分はこんな感じなのだろうか?
「ぬおッ!?」
唐突に紫苑は奇声を発して、食べる手を止める。
その表情は大切な何かにようやく気がついたような、後悔と自分への憤りに近い表情を刻んでいる。
「どうしたんだ? 詰まったのか?」
一体どうしたんだろう?
尋常ではない紫苑の態度に俺は首を傾げる。
「重要なラヴテクニックを忘れていたでござる」
ラブ……テクニック?
ダメな予感がした。それはもう凄まじいまでに。
つうー、と。
一筋の冷や汗を頬に垂らした俺に、紫苑は続ける。
「あーん、と食べ物を愛しい者に食させることによって好意度を上げ、恋人の座をゲットでござる!」
紫苑はすでに残り三分の一になったウェルダンのステーキの残り全てを、「ぬん!」と一言フォークで突き刺すと、肉の欠片と言うより、肉の塊を俺の目の前に向けて堂々と言った。
「あーん☆」
その光景はひどくときめかなかった。
おそらく、俺の心臓の活動状態を心電図で見れば、まったく平静通りだっただろう。
いや、もしかすると上昇するどころか、下降していたかもしれない。
だって、肉汁滴るこの光景はとても……ときめかない。
まだ見ぬ未来に向って脱出したいという渇望をひどく感じた夏の昼であった……。