第三十三章 勝利者の余韻
《アレックス・バグネット》
「……いいのかい?」
これでいいはずなのに、なぜかボクはシオンにそう問わずにはいられなかった。
柔らかいソファに身を沈めながら、対面に座るシオンへと問いかけた言葉は返ってこなかった。
まぁ期待はしていなかったけどね。
窓から夜の街を見下ろすシオンの顔は、息を呑むほどに美しい。だけども眉をひそめるほどに痛々しかった。
本当に目の前に佇む少女は、シオン・アヤサキなのだろうか。
人形のように表情の消えた少女は美しかったが、同時にあまりにも儚い。
ボクは返事を聞くのを諦めて肩を竦める。
だからきっと聞こえない。
「全く……何をしているんだろうね、ボクらは。そろいもそろって気持ちと裏腹のアクションばかりする。ボクらには金も物も欲しいものはなんだってある。何だってできる。何だって成功してきて、手に入れてきた。退屈なくらいに」
「――――っ……」
シオンは答えない。
ボクは気にしない。
「なのにどうしてかな。ボクらはそろって“恋”がヘタだ」
シオンの肩が震えている。
でもボクは気にしない。
「こんなヘタな恋、きっと子供でもしない。ボクたちは子供以下だね」
パン、と。
乾いた音がボクの左頬で弾けた。
まるでそれは銃声みたいだった。
目の前では、ボロボロと両頬を透明な涙で濡らして、唇を噛み締めるシオンがいた。
シオンは美しい。
でも痛々しくて見ていられないとも思った。
だってシオンはさっきまで涙を流さずに泣いていたから。
だから、とても見ていられない。
「うるさい! 私は頑張った! 陸に好いてもらおうと……私は、っ! 努力したッ、したんだ! でも駄目だった! 駄目だったんだ! 陸は私を女として見てくれない! どうしたって、どうあっても思い知らされたんだ!
私は――――私はただの幼馴染だったんだッ!」
両胸をシオンの固めた両拳が叩きつけられて息が詰まったのは痛みのせいか。
込み上げてくる切なさのせいか。
明晰な頭脳を持つボクでもわからない。
「だいたいお前は構わないだろうが!? なぜそんな問いを放つのだ! お前は私を連れ帰れるのだから満足だろう!?」
「……当たり前さ。もちろんだとも」
きっと以前のボクなら、コサックダンスを踊っていた。
きっと以前のボクなら、モンキーベイベーでケチャ踊りを炸裂させていた。
きっと以前のボクなら、胸に飛び込んできたシオンをこれでもかというくらい抱き締めていた。キスだってしちゃうね!
なのにボクの両腕は、拒否したように動かない。
まるでメデューサの瞳を見たかのようだ硬く石化してしまっている。
きっと以前のボクなら…………ボクがボクでなくなったのはいつなんだろうか。
答えなんてわかっている。
とうの前から。
――――リクに会ってからだ。
空港につくまで、ボクらには何も起こらなかった。
年頃の男と女がいるのに、何も起きなかった。
抱き締めることもなかった。キスもなかった。
シオンの身体はやがて離れ、やっぱり虚ろな視線で窓の風景を見ていた。
いや、きっと見ていない。
彼女の瞳は何も見ていない。見えていない。
ただ過去の残影だけを追っているに違いない。
夏の思い出を、ずっと。
これからも、ずっと追い続けるに違いない。
(ボクの欲しかったのは、この目の前の彼女なんだろうか?)
そのはずだ。
そのためにジャパンに来た。
そして、今、勝利者としてアメリカの帰路へと着く。
用意されている自家用のジェット機に乗り込み、ヘリの椅子とは段違いの座り心地の椅子に座り、隣にはシオン。
この上ない勝利者としての凱旋じゃないか。
ワインを片手に乾杯していいはずだ。
なのにこの空っぽな玉座は何なのだろうか。この味気なさは? 身体を包む倦怠感にも似た失望感は何に対して抱いているのだ?
窓に映るボクの冴えない表情は何なのか。
そして何かを待ち望むこの気持ちは何だ。
ナウンスは給油のために、離陸までに一時間余りの時間がかかることをボクに告げた。
その一時間は――――あまりにも長くてボクがハッピーではないことを教えてくれるには充分だった。