第三十二章 夏の別離
《天堂陸》
会って言うべきことがあった。
言いたいことがあった。
なのに、紫苑の一言でその決意は凍りついた。
喉のっ、そこまで、出ているのに……ッ!
紫苑の見つめる静謐な双眸が、俺の発言を許さない。
視線に物理的な力があるかのように、言葉が奪われる。
それでも。
両足の裏に力を込め、前を見据え、俺は紫苑に向き直る。
ここで引くわけにはいかない。
海が、アレックス君が、何よりも俺がッ!
紫苑を求めているから!
「紫苑、俺はッ――――!」
バババババババババババババババババババ――――――ッッ!
告げようとした想いは、ヘリの爆音に遮られた。
「なっ!?」
高台の下から、紫苑の背後へと一気に急上昇してきたヘリが夜を背負い、その姿を露にする。
強烈なライトが降り注ぎ、まともに網膜を白く焼かれた俺は咄嗟に右手でライトの光を遮ろうとする。
『ふ、フン! 勘違いしてもらっては困るな! もちろん、ボクもその場に行くさ。そして、シオンを連れて帰る! なにせボクは彼女のフィアンセなのだからね!』
『キミの目の前でシオンを連れ帰る! ただ、まぁ、最後にお別れくらいは言わせてあげようかなと思ってね!』
アレックス君の言葉が胸の中で木霊する。
このままじゃ紫苑は連れ去られてしまう。
「紫苑! 聞いてくれ、俺は……――――!?」
紫苑の許に駆け寄ろうとした。いや、彼女を抱き締めようとした。
そんな時だった。
がっちりと両脇を掴まれたのは。
「な!?」
いつの間に背後から忍び寄っていたのか。
それとも、目の前の紫苑の存在に気を取られていたせいなのか、全く接近に気がつかずに、いとも容易く二人の男に拘束されてしまう。
黒服と襟の所に鈍く光るバッジ。
幼い頃にも見たことがある。綾崎の護衛の人だ。
「申し訳ありません。天堂様、お引取りを……」
護衛の人の低い声が耳朶を打つ。
瞬間、全てを悟った俺は顔が青ざめた。
まさかと思いつつも、見ない振りをしていた現実は、もう逃げられないところまで追いかけて来ていて……嘲笑していたことに。
「い、いやだ……嫌だッ!」
身体をよじる。
けれども、屈強な護衛二人の拘束は緩むことはない。
たじろぎもしない二人の両手の強さは、抵抗を冷たく跳ね返される。
それがいっそうの恐怖を煽る。
目の前で紫苑は俺の前からいなくなろうとしていた。
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紫苑は俺から遠ざかって行く。
(このままじゃまずいッッ!)
焦燥が焼けるように脳を責め、打開策をひねり出せと叫ぶ。
呼びかけた声は届かず、身体は拘束されて、自らの傲慢に打ちのめされた。
状況は限りないくらい最悪。
それでも俺は護衛の手を振り払い、紫苑を捕まえなくてはいけない。
まともに抵抗しても体力と時間を無駄に浪費するだけ。
隙をつかないといけない。
地面に倒れこむふりをする。
前へ行こうと力を振り絞り、足がもつれて地面に無様に叩きつけられる……寸前で上着をセミの脱皮のように身代わりに脱ぎ捨てて、低い姿勢で疾駆する。
(掴まえる!)
隙をつき、自由になったほんの僅かな時間の間に捕まえる。
なんとしてでも紫苑を捕まえる。
だが、紫苑に触れる寸前で、後ろから追いすがってきた黒服二人に体当たりをくらい、もつれるように硬い大地へと無情にも叩きつけられる。
「ぐッ!?」
それでも這ってでも逃げようとしたところを、腕を捻られ手首を取られる。
その上、とどめとばかりに持ち上げた頭を後手に鷲掴みにされ、地べたを舐めろとばかりに、地面に叩きつけられる。
「あぐっ!」
ふりほどこうともがく。
だが体格が優に二回りは大きい。こうもがっちりと関節をきめられてしまっては、合気も使い用がない。
絶望を加速させるように黒服たちが、俺の前に幾人も立ち塞がる。
紫苑と俺との間に人垣のように壁をつくられる。
その数、十人近い。
強烈なスポットライトと、黒服の人垣の狭間から、たなびく紫苑の服の袖が見える。
「ま、待ってくれ、紫苑ッッ!!」
瞬間、人垣が割れる。
目を見開いた先には、傲然と立つアレックス君がいた。
アレックス君が紫苑の身元で何事か囁く。
それに紫苑が小さく頷き――――ただの一度も振り返ることなく、ヘリに吸い込まれていく。
「待っ――――!」
何か言い終わるよりも早く、素早く黒服によってヘリの扉が重い響きとともに閉められる。
がむしゃらだった。
獣めいた声を上げて暴れる。
肘を、拳を振り上げ、取り囲む黒服に容赦なく振るう。
暴力の躊躇など消えていた。
いなくなる。
失う。失う?
「ぁ――――ああああああぁぁぁぁぁぁぁッ!? どけ! どけって言ってるだろッ! どけええぇッ!!」
鼓動に突き刺さる焦燥に衝き動かされて暴れ狂う。
それでも黒服たちは、微動だにしなかった。嘲笑も上げなければ、声も荒らげない。
ただ静かに。
ヘリが浮き上がり、見えなくなるまで俺を拘束し続けた……
…
……
…………
夜の公園とは虚しいものだ。
とりわけ人のいない公園は。
その場には大の字で打ち捨てられた俺しかいない。
いや……
ただ一人、白いスーツ姿の彼だけはいた。
仰向けの身体を捻り、起き上がろうとした先で、蒼い視線と絡み合う。
「ぐッ、~~ッッ!」
だが何を言えばいい。
何を吠え立てればいい。
もう紫苑はいない。
ここにはいない。
俺の隣にはいないんだッ!
どこに行ったかすら……わからない。
振り上げた拳は力なく地面に落ちた。
また爆音が聞こえる。
俺の好きな子を連れ去った忌々しい音。
きっと目の前で俺を見下ろしているアレックス君を運ぶために来たんだろう。
もう何もする気が起きなかった。
突風が叩きつけられ、服と髪が無茶苦茶にをかき回される。
叩きつけられる烈風に顔すら庇うのを忘れて、虚ろな視線を向ける。
ガラリと、ヘリの扉が開く。
悠然と背を向け、アレックス君がヘリに近付き、扉に手をかける。
「追って来い、リク・テンドウ!」
瞬間、ヘリのプロペラ音を圧倒する轟音が聞こえてきた。
「な……?」
沈んでいた意識が浮かび上がる。
「彼女が大切なら、彼女が心配なら、彼女が欲しいなら!」
背を向けたままアレックス君が叫ぶ。
その表情は見えない。
「ボクを追って、アメリカの屋敷に来るがいいッ!」
叩きつけられた言葉は、どんな声よりも強く響いた。
「振られ、捨てられ、砕かれても。それでもシオンが愛しいなら! それでもなお諦めないなら!
Boyではなく、manとなって追ってこい、リクッッ!」
全てを貫くような言葉の弾丸で、完膚なきまでに俺は撃ち殺された。
どれだけ経ったのか。
公園には今度こそ自分独りで、他には誰もいない。
握り締める。拳を。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!」
膝をついて、咆哮を上げる。
いや、それは咆哮なのか。慟哭の叫びなのだろうか。
失った。
もう掌には何もない。腕の中には誰もいない。胸の中には何も残っていない。
ほんの数時間前まで、俺の腕の中には紫苑がいたというのに……ッ!
握り締めた両拳を、石畳の地面へと叩きつける。
何度も何度も何度もッ。
「……さッ」
彼は言った。
「追うさッ!」
追ってこいと。
灼熱が衝き上げてくる。
まだだ。
まだ終わりじゃない。
終わりと思った瞬間、負けたと思ったときが、駄目だと諦めたときがッ!
始まりなんだ!
何度も圧し折られる。
常識に、恋に、人生に、現実に、受験に、毎日に、圧し折られて、打ちのめされて!
そこから立ち上がるのが、始まりなんだ!
終わりにするか。終わりにしてたまるかッ!
アメリカ?
ハッ! 上等じゃないか。どこにでも行ってやるさ。顔を上げれば、そこには月。
今度は俺の番だ。
紫苑は俺に会いに、アメリカから日本に帰ってくれた。
なら次は俺が追いかける番だ。
もし、仮に紫苑が月に行くと言うならば、俺は――――
「月にだって行ってみせるッ!」
誤字修正しました。
「月にだって言ってみせるッ!」→「月にだって行ってみせるッ!」
まさかの決め台詞の誤変換に爆笑しました。
その後で、恥ずかしさに泣きたくなりました (´・ω・`)
そりゃないやろ……そこでまさか外すか……みたいな orz




