第三十章 ライトニングボルト
最近、所属店舗のリニューアルなどで、睡眠時間三時間前後、即出勤、長時間労働、サー残と続いていてなかなか更新できず、すみません。
中盤から年末にかけてペースをあげて、年内完結予定です。
《天堂陸》
海の激励を受け、俺は夜の街中を走った。
紫苑の影を追い求め、駆け回った。
時間はすでに深夜。その遅い時刻と暗い街並みは、絶望感を胸に投げかけてくる。
不安は間隙なく胸を襲うが、全身は疲労に見舞われても、紫苑を求めて止まない。
紫苑を見つけろと強く主張する。
けれど、一向に紫苑を見つけることはできなかった。
そんな時――――黒塗りの高級外車が正面からやってきて、大通りの向かい側でゆっくりと滑るようにして停車した。
運転席から執事姿の老紳士――――エドワードさんがが降りて、後部座席の扉を開ける。
車の外装の色とは正反対の白いスーツ。闇の中でも燦然と輝く金色の髪。
黄金を纏った青年――――
「……やぁ、リク。いい夜だね」
――――アレックス君だった。
人通りも失せ、大通りにも関わらずに他の車の影すら消えて寝静まった道路を、臆することなくアレックス君は歩いてくる。
自信に満ち溢れ、非常識を塗り替えるその行動力。
それは紫苑にも通じる――――我が道を行く強い信念。
俺に欠けていて、絶対にないもの……
王者さながらの行進で、堂々と道路を横切りアレックス君が目の前に立つ。
「……情けない顔だね、リク」
「ッッ!」
傲然と笑うアレックス君を目の前にして、唇を噛み締める。
「キミに愛想をつかして逃げ出したプリンセスは見つけられたのかな?」
「くっ……!」
「キミは愚かだよ。一時とはいえ、先のナイトパーティーではこのアレックスを差し置いて、自らの胸の中に抱き締めたというのに……何をやっているのか、理解に苦しむね」
欧米人らしい大げさなリアクションでやれやれというジェスチャー。
そんな態度を取られて、悔しくても……情けなくても……何も言い返すことができない。
なぜなら、アレックス君の言っていることは的を得ているから。
正しくて……痛いくらいに正しくて反論できないから。
拳を握り締めて、身体を震わせる。
本当に俺は今まで何をやっていたのだろう。
紫苑の求めを毎日拒絶しておきながら……あんなに好きと言ってくれた女の子を拒絶しておきながら、俺は一体何をしているのだろう。
ただ紫苑を傷つけてしまった。
なのに、傷心の紫苑を独りにさせたまま、見つけることもできない。
自責。
紫苑を泣かせてしまったことによる罪悪感。
さっきの告白に最低な返事をすることができなかった後悔。
どうして喪失ってしまってから、かけがえのないものだったと気がつくんだろう。
目の前の景色が、アレックス君の顔が歪む。
(情け……ない……ッ、俺は、なんて……ッ!)
胸を穿つ喪失感が、罪悪感と後悔を引き寄せる。
その直撃に耐え切れずに、涙腺が決壊した。
「っく、……うっ、くッ、~~~ッッ」
軋んだ声が、食い縛った歯の隙間から漏れる。
涙はとめどなく……頬を濡らした。
《アレックス・バグネット》
今宵、人生最大のライトニングが、ボクの胸を直撃した。
我がバグネット家が誇る情報網は、シオンが目の前でみっともなく泣きべそをかいている愚民ボーイの家を飛び出したことを、当然ながらキャッチしている。
勿論、リアルタイムでシオンの現在地がどこかも知っている。
この街の高台にある噴水公園だ。
シオンと愚民。
二人の仲が実ることなどありえない。
そして当然の結果の如く、今夜をもって二人の仲はThe endだ。
アヤサキ家には連絡し、もうまもなく迎えのヘリが公園へと着陸するだろう。
そして、逃げ出した小鳥はボクというカゴの中に戻ってくる。
めでたしめでたし。ブラボーハラショーガンホー万歳ボク。
そして、めくるめくる桃色の日々の到来………………のはずだ。
なのに、ボクの胸はライトニングボルトに撃ち抜かれている。
十代も後半にもなって泣き出す少年を見て。
なんて情けない。
もう数年もすれば成人するというのに、大の男が、大粒の涙をぼろぼろと零しながら、必死で泣き声を堪えている様子は、とても見てられない。
このジャパンという国はおかしい。
とりわけこの国の、目の前の少年は……
いつになっても変らない綺麗なベビーフェイス。
とっくに変声期を迎えているはずなのに、女性よりは低いくせに、でも男にしては高い声。
男とは思えない華奢な骨格に欧米人のボクから見れば子供のような低身長。
目の前の少年はクレイジーだ。
大きな瞳からは透明な雫が後から後から零れ落ちて、なんだか気になる。
マスカラで整えたわけでもないのに、黒くて長い睫。こいつはほんとに誇り高い男なのか!?
整った鼻筋と薄い唇のバランスは絶妙すぎて、不思議な引力に満ちている。
柔らかい髪質の、男にしては長めの髪型も非常に女々しくてよろしくない。
男のくせに繊細な髪型なのが悪いのだ。
目の前の少年は、なんだかちょっとboyishな**のように思えて、ボクの、だから、ライトニングが、胸に……~~~~~~~~ッッッ、シット!!
「泣くんじゃない!」
胸に湧きあがった戸惑いを隠すように、鋭く叫ぶ。
そうでもしなければ、目の前の小さく華奢な存在に飲み込まれてしまいそうだから。
「うっく、ごめ……っく、ごめん、アレッ……クス、君っ」
けれど、胸の次には、脳天にライトニングが落ちてきたんだ。
リクがボクを上目づかいに見つめている。
両眉を八の字に垂れて、大きな瞳は涙を溢れさせ、両頬は透明な川で彩られている。
嗚咽の漏れる声も、何もかもがみっともない……はずだ。
胸の内に溢れてくるのは、侮蔑と嘲笑の……はずだ。
爽快な、してやったりの気分の……はずなのに。
どうして、マイハートはこんなにも苦しいのか。
左手で胸をかきむしるように押さえれば、鼓動と熱がオーバーヒートしそう。
気がつけば制御を離れた右手が……リクの両目の縁の涙を払っていた。
「――――アレックス君……?」
スネークに見つめられたフロッグの気分が――――わかった気がする。
涙で濡れた両目で、リクが不思議そうにボクを見上げてくる。
み、み、みみみ、見てんじゃねぇぇぇよ、ドントルックミー!
見るんじゃないよ、そんな目で!
一体ボクをどうするつもりだ!
どこに連れて行っちゃうつもりだ!
知らない感情についていっちゃ駄目なんだぞ!?
扉が、開いちゃうだろうが!!
あてもなく想い人を探す少年に、皮肉を言う余裕など、もうどこにもない。
ボクはリクの視線から逃れるように顔を背ける。
それと同時に言うべき皮肉を必死で手繰り寄せる。
ボクはこの場に、リクを慰めに来たんではない!
圧倒的な格の違いを教えにきたのだ!
そうこやつを泣かしにきたのだ! ……もう泣いてるけどさ。
「……しょ、庶民の自分と財閥のお嬢様。身分のギャップがようやくわかったかい?」
「!?」
リクが驚きに身を強張らせる気配を感じる。
「なん、で……?」
リクの疑問の呟きを最後まで言わせずに、軽快な笑い声で遮る。
「ボクが高貴で美しく天才だからさ!」
よ、よぉぉぉし、いい感じだ。
いつものボクらしさを取り戻すんだ。
「それくらいわかるさ」
キランと白い歯を輝かせて、ボクはリクへと笑いかける。
正面からリクの顔を見据え――――意識が……容易く、飛んだ。
そりゃもうマッハで。
なのに口だけが、言葉だけが乖離したように動く。
「……キミのような学のない愚民でもシンデレラのストーリーくらいは知っているだろう?」
あれ……ボクは何を言おうとしているのだろう?
「有名なシンデレラで出てくるプリンスは、シンデレラの身分を気にしたかい?」
「…………」
侮蔑を言うんだ。
冷酷な現実を、目の前の甘ちゃん叩きつけてやれ!
クールにそれでいてスタイリッシュに!
「惚れた先に身分など関係あるのかい? 身分より先に、プリンスは一人の女性を好きになった。ただそれだけのことじゃないのかい?」
何を言っているんだ、ボクは……?
「シンデレラが涙と言うガラスの靴を落として逃げたのに……リク・テンドウ! キミは身分にこだわって、プリンセス・シオンを追いかけないのかい!?」
叩きつけるような熱い、必死な口調。
「ためらって、苦悩して歩いていく。見失ってしまうこと、色あせてしまうこともあると思う。でも最後はハッピーエンドでいたい……それがジャップの思想なのだろう?」
ボクは馬鹿だ……一体、どうして。
なにを好んでアドバイスなど、意味がわからない。
「うん……」
ボクの身体は、ボクのハートを裏切って、高台を指し示す。
「高台の噴水公園だ。そこにシオンはいる」
「どうして…………?」
信じられないとばかりに見開かれるリクの瞳。
だが一番ビリーブじゃないのはこのボクだってのッッ!!
「ふ、フン! 勘違いしてもらっては困るな! もちろん、ボクもその場に行くさ。そして、シオンを連れて帰る! なにせボクは彼女のフィアンセなのだからね!」
なにこのジャパニーズツンデレっぷりは! 自分自身に茫然自失だ。
必死でボクは傲慢な仮面を取り繕う。
自信に満ち溢れている時は、いくらでも溢れてきた単語を、今は必死にかき寄せ組み立てて、いつものボクを装う。
「キミの目の前でシオンを連れ帰る! ただ、まぁ、最後にお別れくらいは言わせてあげようかなと思ってね!」
「そんな……黙って連れ帰れば、俺は紫苑がどこにいるかもわからなかったのに……」
~~~~ッッッ、痛いところをつくな~~~~ッ、このboyはッ!
そんなのボクが一番わかってるっつーの!
シムラ、後ろ後ろってくらい自分自身に教えてやりたいっての!
「ええい、シャラップ! 男が細かいことをグダグダと! キミは必ずキャベツを微塵切りにするタイプだね! まぁ、しいていうならば、慈悲だよ。ボクは慈悲深いのさ!」
「慈悲って……どうして……嫌っている俺に慈悲なんて……?」
すぐにシオンの許に走り出そうとしたリクはしかし、ボクにそう尋ねる。
全くもってその通りだ。
恋敵に、わざわざ応援するような真似。正気の沙汰とは思えない。
「…………」
けれど、「どうして?」と聞かれてもボクの方がどうしてなのか、それを知りたいんだ。
当初の予定では、シオンを探し回っているリクを散々馬鹿にして、シオンの居場所を教えずに、このアレックスが寂しげに佇んでいるシオンの許に馳せ参じようと思っていたのに、一体どうしてこうなったんだろう?
「……フン。かの有名な戦国武将ケンシン・ウエスギは、ライヴァルであったシンゲン・タケダに塩を送ったという。まぁ……そのようなものだよ」
苦しい言いわけ。
そんなことは誰よりもボクがわかっている。
「け、けど……」
「早く行った方がいいんじゃないかい?」
「あ、ああ……」
強い口調で言うボクに気圧されて、高台に続く道に立ち塞がるように立っていたボクをリクは追い越して……
と、追い越す刹那、リクは夏に吹く涼風のように、すれ違い様小さく告げた。
「ありがとう」
そして殴ってごめん、と。
その瞬間、なぜかボクはハートが締め付けられるような甘い痛みに襲われた。
けれども、その呼吸困難は不快ではなかった……
「よろしいので?」
待たせていた車に乗り込むと、エドワードが静かに尋ねてきた。
「……ハンデだよ。これくらいのハンデがなければ、庶民と上流階級に生きるボクとの差が埋まらないからね」
明晰な頭脳の持ち主であるボクが生み出したにしては、にわかには信じられない幼稚な虚言をエドワードは一体どう受け取っただろうか?
「さようですか」
エドワードは短く言葉を発すると、躊躇いの気配を匂わせた後、静かに続けた。
「老婆心ながら……坊ちゃまが悔いの残らないご選択をすればよろしいと思います」
「…………ああ。ありがとう、エドワード」
加速して流れる車窓の夜景を瞳に映して、ボクはエドワードの言葉とリクの顔を、熱に侵されたように何度も反芻させた。