第二章 乙女ザムライ参上!
国際空港 噴水ロビー
綾崎紫苑
私の名前は綾崎紫苑だ。気軽に紫苑ちゃんと呼んでくれ。でも紫苑と呼び捨てにできるのは陸と私の血縁者だけだ。そのあたり、気をつけてくれ。
私は恋愛の初期段階である中学校時代を無念にもアメリカで過ごした。
だが、私は転んでもただでは起きない。
私は私を転ばした相手を一緒に引きずり倒してすぐさまマウントポジションを取るくらいのことはする性格だと自負している。
ばっちりとアメリカでできた友とラヴの勉強をこれでもかー、ってなくらいで、ごっつあんですと言う具合に修業してきた!
「フフフ……抜かりはないぞ」
サングラスを右の人差し指で押し上げて、自信気に笑う。
ちなみにサングラスをしているのは、ずばり格好つけているからだ。私は形から入るタイプだから、何だか企んでる感じがしてイイ感じだと思うからだ。
むしろ、抜かりがあったのは私の家庭の事情だ。
恋愛の本場である高校時代に意気揚々と帰国する予定だったが、敬愛するお爺様との間に問題が生じてしまった。
「納得できるものか……」
胸中から湧き上がってきた苛立ちを、唇を噛み締めることで抑えつける。
バックの中に収納されたウサぴょんこと、ウサギのぬいぐるみに拳を叩きこみたい気分でござる。
(気分を落ち着けるには……)
陸の成長をリアルタイムで記録してある写真集(小型携帯バージョン)を、胸の内ポケットから取り出す。
バリエーションは制服、私服、寝巻き、体操服など豊富な上に、陸の様々な嗜好から、交友関係まで網羅した完璧な陸攻略本!
陸の写真集を早速開き、光速で悶絶する!
せ、世界はバラ色に包まれているッ!
「なんと凛々しいのだ、陸は!」
思わず感激と興奮が口から衝いて出てくる。
さらりと女性のように艶やかな黒髪。切れ長の二重瞼。凛々しく整った鼻梁に、男の色気に誘われてつい重ねてみたくなる唇。引き締まった顎のライン!
どちらかといえば、中性的な感じが漂う美人――――それが天堂陸だ!
もう、何ていうか悶絶プリティ百年殺しだ!
「む、胸キュンだ! 最高でござる!」
思わず流れた《よだれ》という名のラヴのほとばしりを、右手の甲の部分で拭う。乙女たるものいつでも身だしなみは大切だ。
だが、陸の二枚目な容貌だけに私は惚れたわけではないぞ。
惚れた大きな理由は、陸の真面目で優しい性格だ。ひたむきで真摯な態度も私の心に好感触だ。
電車でご老人に席を譲ったり、困った人をほおって置けなかったり、陸は様々な善行をしている。
クラスでは友人も多いし、学校の成績も校内十位に入るほどの優秀さだ。クラス委員も務めているんだぞ!
ちなみに、身長172㎝。体重60kg。血液型・O型だ。
なにせ綾崎グループの技術の粋を集結して造られたものだから、その内容の満足度は万歳無敵天下統一だ!
そう、ラヴのためならここまでやる。その根性こそがアメリカで磨いてきたもの。
これぞ、紫苑ちゃん七つの大技の一つ《乙女ラヴ魂》!
愛しい者を想う時間こそが、乙女のラヴを育てるのだ。
そして、私は陸を想い続けてきた。この想い、そんじょそこらの乙女には負けぬと断言できる!
握力60超えの右手をぐっと握り締める!
(そう、私は満身の力をこめて今まさに殴りつけんとする握り拳だ!)
この暑い夏に負けぬ熱さで、私は陸を口説く! 陥落させる! 完全服従だ! 調教レベルマックスのCG率100%だ!
もう何て言うかメロメロだッ! 容赦無用の必殺必中の無理矢理だ!
必ず私を好きだと言わせてみせる!
でないと……私は……綾崎家の運命―――ーお爺様との約束を守らなくてはいけなくなる。
(何としても陸に……ッ!)
瞳をラヴ色に燃焼させる。私の小宇宙は今、無限の高まりを見せている。小宇宙が燃え上がる時、不可能は可能になるのだ。
かの英雄も言ったではないか。
「世の恋愛に不可能と制限はない、と!」
カッと瞳を見開き、私は未来を視る! 薔薇色と虹色に輝く絶対無敵の未来を!
私を抱きしめて口付けをして熱烈な言葉で私を口説く陸を妄想をしながら、私はラヴ必勝の決意を心に刻み込めた。
《天堂陸》
「マジやばいな……」
期待が現実に打ちのめされた時、人はこんな絶望を吐きだすのだろう。
少年の幻想が打ち壊された時、少年は大人へとなるのだろうか。
ならば、俺は大人になどなりたくなかった。
後悔に瞳を閉じ、少し前の自分を止めたくなる。
ようやく空港に着いた俺は噴水がある場所を空港の係員に尋ねた。それから噴水のある空港ロビーへと向かい、目的の少女を探して周りを見渡す。
まず、視界に入ったのは、見事な意匠をこらした噴水だった。見ていると、なんとなく涼しげな感覚に捕らえられる。
「……と……やばっ、早く探さないと……」
我に返ると、周辺を見渡す。
あたりには人を待っている人たちがたくさんいた。ビジネスマン、女子大生、子連れの母親、カップルなどなど。
これだけの人の中から電話の相手を探すとなると、少し面倒なことになりそうだった。
「これじゃあ、見つからないかもしれないな……」
ため息をつく。
ここで電話の相手を見つけるのは不可能に近い。空港のアナウンスなどを使ったほうがいいかもしれない。
と――――アナウンスの音が右の方から聞こえて、何気無く右の方を見た。
世界が切り取られたように停止したかのように錯覚した。
鼓動が高鳴る。血潮が震えた――――そこには……そこには俺と同年代くらいの少女がいた。
サングラスで目元が隠れているが、整った鼻筋や形の良い唇からかなりの美少女と推測できる。
少しシャギーのはいったショートカットの髪。
テレビや雑誌などでも、滅多に見ることができない美しい少女がそこにいた。
薄いピンクのミニのシャツの裾は短く、そのせいで白いお腹が見えているのが眩しい。
豊かにシャツを盛り上げる胸の辺りにはLOVE&CRAZYのロゴ。大胆に白い太股を露出させて膝上でワイルドにカットされたジーンズ。
カジュアルなスタイルでボーイッシュな雰囲気なんだけど、それとは逆にスタイルはかなり……そのなんだ……思わず目がいってしまう胸の膨らみといい、くびれた腰といい均整のとれた女性らしい体つきをしている。
思わずその少女に見惚れてしまうだろう。
そう、だろう、だ。
少女が普通に佇んでいるなら、俺は見惚れていたかもしれない。
本当に鼓動が高鳴る。血潮が震えた――――ドン引きで。
「マジやばいな……」
少女はその可憐の容姿にまるで似合わないオーラを周辺に醸し出していた。
短的に言おう。
少女は、身悶えしていた。
少女は完全に妄想世界に――――あたかも初めて覚醒剤を使用した麻薬患者のようにのめり込んでいた!
口の端に少し涎をたらして虚空を見上げながら薄ら笑いをしているかと思えば、突然、恍惚とした表情で自分の体をかき抱くようにして身悶える。
少女の体からはドスピンクのオーラが陽炎のように噴出していた。
そのせいで、少女の容姿の良さに惹かれた男性たちも、その異様なオーラに「うぉおおっ!?」みたいな感じで躊躇して、ナンパと言う行為に移せないようだった。
(今なら逃げれるッ)
俺の中の危険回避を司る神経が全力で警鐘を鳴らしていた。
それなのに。
そんな気持ちとは裏腹に、不思議と体は少女の方に動いていた。
まるで闇の中に浮かぶ光源を求めるように。
まるで懐かしさに引き寄せられるように。
まるで――この時をずっと待ち望んでいたかのように。
破滅するとわかっていても踏み出してしまう……この感情はなんて説明していいのかわからない。
戦いの前に恋人や家族のこと話す一兵士の気分だ。それ死亡フラグとわかっているのに口にしてしまう。
(だって口にしないと、セリフなしの一兵士として終わってしまうじゃないか!)
そんなわけのわからないことを考えてしまう。
あるいは蛇に唆されて禁断の果実を口にしたアダムとイブはこんな気持ちだったのだろうか?
と、不躾な俺の視線と接近に気が付いたのか、少女が不意に俺の方を物凄い勢いで振り向く。
それはさながら獲物を見つけた肉食獣の如く。
「!?」
失敗の二文字が頭を通り過ぎ、続けて手遅れの文字が赤点滅する。
予想が確信に変わった際の衝撃を受け、少女を凝視する。
その少女は俺がよく知っていた幼馴染みに、やはりよく似ていたから……
しかも、俺の目と耳の錯覚かもしれないが、一瞬……少女の口元が、「りく」と俺の名を呟いた気がした。
俺の顔を見ると、少女は喜色と安堵を顔に浮かべる。
その笑顔に既視感を感じた。景色とかで体験したことがあったが、人で感じるのは初めてだった。
「紫、苑……?」
少女を見て呟く。
その声は空港の喧騒の中ではあまりにも小さく、情けないくらいに掠れていた。とても少女の元まで届いたとはとても思えない。
情けないことに彼女を目の前にして、採るべき行動を探しあぐねていた。
行動は少女が先だった。
「陸!」
俺を呼ぶ凛とした声。
いつもそうだった。
迷い惑って立ち止まっている俺と違い、彼女は迷わないしブレない。いつだって真っ直ぐ前を見て走り出すんだ。
一直線に走るその背中が眩しかった。だからいつもその背中を見失いように追いかけていた。
まるで翼が生えているみたいに軽やかに、その可愛い容姿と相まって彼女は天使のようだった。
「もう我慢できないッ!」
そう天使のよう《だった》んだ。
どこぞのモーニングのコーンフレークのゴリラの如く。
発情期のゴリラって危険じゃないの? そんな疑問がぼんやりと浮かんだ瞬間だった。
「陸! 陸陸陸ーーーーッ! 好きだ、ラヴだ、抱き締めたい! さぁしよう! すぐにヤろう!」
その疑問はすぐにわかると思った。嫌になるくらい。
(あぁ、なのに……!)
危険ってわかっているのに!
俺という生き物は――――自分の名前をあの頃と同じ温かさで呼ばれ、懐かしさと嬉しさで心臓が一際大きく刻むのを感じてしまった。
だから逃げ出せなかった。
少女は――――紫苑は荷物の薄紫のボストンバックを空港の床に置いたまま、俺だけを一直線に視界に捕らえ、駆け出して来て、そして――――その一瞬の郷愁と愛しさと懐かしさが致命的であった。
「ごふッ!?」
気が付いた時には紫苑に押し倒されていた。
呆然としていたせいで彼女の勢いを耐えることができずに――――いや身構えていたとしても屈強なラグビー選手数人がかりでも止められたかどうか。猛牛ですら押し倒す勢いのタックルだ。プロラグビーの選手にスカウト間違いなしの強烈さは、胃の中の食パンが喉の奥まで出てきたのが物語っている。
ラグビー選手でもない俺が猛牛と化した紫苑を止められるわけでもなく、紫苑を抱いたまま空港の床に背中から押し倒される。
「いてて……うッ!?」
現金なもので、痛みは未体験の感触に忘れてしまう。
隙間なく抱きつかれて、その時初めて俺は女の子の身体とは凄く華奢で柔らかいんだなと驚いた。
ひどく軽くて、乱暴に扱ったら壊れてしまうような脆さが手のひらを通じてぬくもりと共に伝わってくる。それと同時に凄く心地の良い感覚と強い存在感が、呆然とする俺の身体にダイレクトに伝えてきた。
「……し、紫苑なんだよな?」
恐る恐ると言う感じで、胸の辺りに頬をぐりぐりと頬ずりし続けている女の子に尋ねる。
「うむ! 帰って来た紫苑ちゃんだ。……久しいな陸」
顔を上げてサングラスを外すと、鮮烈な双眸と出会う。
あぁ、そこには紫苑がいた!
小学生の時に別れ、美しく成長した幼馴染が……洗練され美しさを増した容貌。でも確かに子供の頃の面影を見つけて胸が熱くなる。
生き生きと活力に満ちた黒瞳は、至近距離で見れば吸い込まれてしまうほどの輝きを放っている。
花の綻びを思わす可憐な微笑みを紫苑は俺に向け、
「乙女ザムライ参上だ!」
そう言って俺に笑いかけた。