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第二十八章 告白、そして……








                         《天堂 陸》





(な、何だ!?)

 体が揺らされたり、誰かの声が近くで聞こえたような気がした。

 目を覚ましてみれば、腕の中には泣いている紫苑がいた。

 紫苑の瞳は涙で溢れ、零れ落ちる涙が両頬を濡らしている。

 紫苑の泣いた顔を今まで見たことがない。

 だって紫苑は、いつも向日葵(ひまわり)のように笑っていたから……

 泣きそうな顔は一度小さい頃にあったけど、こんなふうに泣く紫苑は初めてのことだった。

 と、またもや紫苑が俺のベッドに入り、身体が密着する……と言うより抱きついている姿勢になっていることに気が付く。

(これは何と言うか…………非常にヤバイッッッ!)

 理性の警告に従い、慌てて紫苑から距離をとるために体を捻るが、頭の後ろに回されていた紫苑の両手が、俺の体を縫いとめる。

「し、紫苑……っ」

「……嫌か?」

 説得しようと出た俺の言葉は、途中で紫苑の声に遮られる。

「え…………その嫌とかそう言うことじゃなくてだな」

 その時、俺は気がつかなかった。

 紫苑がどういう表情で、どういう想いで聞いていたのかなんて気がつけないでいた。

 ただ触れ合う身体と伝わる体温に、高鳴る鼓動を聞かれないように願うのが精一杯で……

「私は陸に抱きしめてもらいたいし、陸を抱きしめたい」

 いつもと違う紫苑の雰囲気に飲まれてしまい、何も言えなくなる。

 視線を外せなくなる。

 そして、震えた。

 これからの俺と紫苑との――――二人の関係の変化に、心が波紋を惹き起こした。

 それは未知に対する恐怖なのかもしれない。

 決断するべき時の慄きなのかもしれない。

「私は陸が好きだ」

「……ッッ!」

 直球が来た。

 迂回もなにもない。間も置かずに、ただ真っ直ぐな紫苑の一言。

 今まで感じたことのないほど強烈で、鋭い熱をもった衝撃が心臓を突き抜ける。

 頭の中が痺れたようにまともに思考できなくなって混乱する。

「陸はどうなのだ?」

 震えた声で紫苑に尋ねられて、俺は…………

「俺は……そ、その……」

 言葉が出てこなかった。

 肯定の言葉も否定の言葉も俺には出てこない。

 パーティーでのアレックス君の言葉が重圧になっているのか。

 それとも恋愛沙汰について、どうしようもないほど俺は臆病なのか……。

 いずれにせよ俺は何も言えないでいた。

「……………………陸は――――」

 長い沈黙の後、掠れた声で紫苑は恐る恐る言葉を紡いだ。

「陸は私のことが……嫌いか?」

 その質問は俺の心を激しくえぐった。

 その質問をさせてしまったことに、情けなさを感じた。

「そんなわけないだろう!」

 嫌いなわけがない!

 紫苑は正直に言えば、少し変わっている女の子だ。

 言葉づかいも、行動も、思考も、俺が会ったどの女の子よりも、変わっている。

 だけど、他の誰よりも魅力的で俺を捕らえて離さないのは、お前だけじゃないか!

(嫌いなわけないじゃないか……!)

 胸中で強く念じる。

 そう……念じればこの思いが少しでも紫苑に届けばいいと願いながら!

「なら……私のことは好きか?」

「それは……」

 だけど、俺はこの質問には答えられなかった。

 いや答えたいけど、好きだと言いたいけど、言うことができなかった。

 理由は――――俺が臆病なのと無力だからだ。

 結局、俺は……

「好きだけど……」

 そんな曖昧なことを言ってしまう。

 いや、曖昧なんてものじゃない……最低の答え方だ。

 本気で告白してきた人に、適当な答えを返すのは非難されて当然の行為だ。

「……じゃ……んだッ」

「え……?」

「だけどじゃ、駄目なんだ……」

「紫苑……」

 俯いて、眦を震わす紫苑に俺は……名前を呼ぶことくらいしかできない。

 混乱してきた頭。何か言わなければいけないという強迫観念にも似た思い。

 焦って、真っ白になっていた。

「あ、その幼馴染みじゃないか、だから……」

 何とか出てきた言葉は――――




「もう、幼馴染みでは嫌なんだ!」




――――悲痛な紫苑の叫びに俺は何が言えるのだろう?

 本気で想いを口にする女性の前で、曖昧な事しか返す事ができない俺に何ができただろう?

「幼馴染じゃ駄目なのだ! 私は幼馴染でいることに我慢できない。幼馴染も友達も親友もそんなポジションはもう嫌なんだ!」

「な、なんで……?」

 いつもとは違う紫苑の激しさに目を奪われる。

 愚にもつかない答えに、紫苑のきつい眼差しが突き刺さる。

「おぬしは酷い」

 酷い? 俺が?

 その言葉の意味を理解するまでに数瞬が必要だった。

「私に幼馴染でいろと陸は言う。なら私は、陸に恋人が出来たときに《幼馴染》としてそのことを祝わなければいけない! 私は陸が好きなのに! 《幼馴染》として「おめでとう」と祝福しなければいけない! 非難することはできない! 泣くことは許されない! 私にそんな嘘の笑顔で笑えと、そう言うのかッッ!」

 紫苑は、きつい眼差しだけれども、涙の零れる瞳で言った。

「………」

 何も言えない俺を、紫苑は酷く苦しそうな表情で見つめる。

「私にはもう《百》か《無》しかないんだっ!」

 翻り、紫苑の背中――

 部屋から走り去る背中に伸ばした俺の右手は、しかし紫苑を掴むことはできなかった。

 伸ばした右手は、虚しくベッドの上に落ちた。

 やるせなさが胸の中に暗雲のように広がる。ひどく鬱陶しい、焦燥に似た思いだと思う。罪悪感と言うのは……まるで鉄板で炙られるように心を苛むように訴えてくる。

(どうして俺は…………好きだと言ってやれないんだ)

 やるせない表情で俺は右拳を握り締める。

 そして重く長い静寂が部屋を支配する……が、

「……何でコクんないわけ?」

「うわっ!?」

 呆れた海の声がベッドの下から聞こえて、俺は体を飛び上がらせる。

「な、な、何でお前……?」

「あのさー……我が兄貴ながらマジで呆れるんだけど……何であそこまで紫苑ちゃんに迫られて、押し倒してニャンニャンしちゃわないわけ?」

 俺の疑問はすっかり無視して、ベッドに顎をのせた状態で海は非難の眼差しを送ってくる。

「よっと」

 海は小さな掛け声を一つ上げてベッドの下から這い出ると、布団の上に仰向けになる。

 チラリと海が視線を向けてくる。

 その目つきを直視できない俺は顔を伏せる。

「今回の紫苑ちゃん……本気だったじゃん」

「……ああ」

「陸さー、ちょっと悩みすぎ」

 やれやれというのを表現したようなため息を海は吐き出す。

「しゃーないな……あらよっと」

 腹筋と脚の動きを利用して、ベッドの上に器用に立ち上がる海。

 そして――――


「俺たち男の子ー! チャラチャッチャ♪ イエエェェェェイー!

 私たち女の子ー! チャラチャッチャ♪ イエエェェェェイー!


(セリフ)『あなたの瞳を見た瞬間、ビビビときたの、感じたの』


チャラチャッチャ♪ イエエェェェェイー!


(セリフ)『俺もだぜ。ビビビだぜ』


チャラチャッチャ♪ イエエェェェェイー!


告白したい~、君に~♪ 

つ・ま・り――君に興味ぃ津々♪ だけど言えずに、悶々☆」

「な、ななな、何言ってるんだ、お前?」


 突然奇妙な歌――――しかもなぜか異常にうまい――――を歌いだした海に訝しげな視線を向ける。

「だからさぁー……つまり女の子に興味を持つのは正常な男子高校生なら当然じゃん。別にそれは悪いことじゃないと思うよ」

 ウィンクを俺に送って、のんきに笑いかける海。

 海の意見を聞いていた俺は言いようのないむかつきに襲われた。

 したり顔で俺のことを知らないくせに、そう言う海に腹が立った。

 ただのやつあたりだと理解していたが、俺は言葉を止めることができなかった。

「何だよ……海に俺の何がわかるんだよ!」

 胸から出た激情は口から出るとつらくて止めようがなかった。

「お前はいいよ! 不器用で要領の悪い俺と違って、何でも器用にこなして要領のいいお前と一緒にしないでくれ!」

 俺の怒りの声はどう言う訳か、悲鳴のように聞こえた。

 ずっと胸のうちでわだかまっていた弟への嫉妬は、叩きつけた想いは――――

「だったら、兄さんも俺の気持ちがわかるのかよ!」

 それ以上の咆哮となって俺に返ってきた。

 戸惑い、目を瞬かせる。

「な、何?」

「小さい頃から好きな相手がずっと兄さんの方しか見ていない俺の気持ちがわかるのか!? 同じ顔をしているのに、なんで俺の方を見てくれないんだ!? 好きな相手に恋愛の相談された、俺の気持ちが兄さんにわかるのかよッッ!」

「な…………」

 震える。

 どうしようもないほど震える。

 紫苑に告白されたときよりも頭は真っ白で、思考停止しそうになる。

「何一つだって俺は兄さんに勝てない! 勉強だって恋愛だって! 陸は真面目でいい子だって言われている、優等生だってさ! どうせ俺は兄さんに比べたら不真面目で劣等生さ! 俺はいつも出来そこないみたいな目で見られていた!」

 そこにはいつもおどけていた弟の姿はない。

「でも、紫苑ちゃんだけは……紫苑ちゃんだけは俺をちゃんと陸の付属品じゃない、一人の俺として見てくれたんだ!」

 けれど、思考停止は許されない。

 目の前にいるもう一人の《俺》の苛烈な視線がそれを許さない。

 知らない。

 こんな海は……俺は知らない。

「俺だって紫苑ちゃんの幼馴染なんだ。兄さん……兄さんが紫苑ちゃんのことをいらないって言うなら……俺が貰う!」

 その宣戦布告は、ずしん、と。

 苦痛すら伴った衝撃となって胸に響いた。

 初めて知った事実にも関わらず、どこか知っていたような、無意識に気がつかない振りをしていただけだったのだと気がつかされる。

(ああ、やっぱりお前も……そうだったのか)

 俺たち兄弟は、紫苑を合わせて三人で遊んでいた。

 けれど、いつの頃か海は仲間に加わらないようになり、ずっと不思議に思っていた。

 そして、どこかでほっとしていた。

 紫苑と二人でいられることに……

「呆れるくらい真っ直ぐに兄さんしか見ていないよ。俺の恋は自覚したときに、とっくの昔に終わっていたから」

 きっと海はそうと気がついてしまったから……だから俺たちに近寄らなかったのだ。

「玉砕覚悟で告白したいとも思った。でもそうしたら紫苑ちゃんは優しいからきっと遠慮するようになる。それで彼女の恋を、瞳を曇らすのは嫌だった」

 海の右手が伸びて俺の胸倉を掴んで引き寄せる。

 額同士がぶちかりそうな近距離。睨みつけるように海が叫んだ。

「道化になるさ、彼女のためなら! 喜んで道化てやる。チャラい男を演じて、なんでもない振りを装って、好きなあの子の恋愛の助言だってクールこなしてみせる! 俺は彼女の笑っている顔以外見たくはない! それが天堂海の生き様だ!」

 数年の時を重ね、海は誰よりも強力なライバルとなって俺の前に立ち塞がってくれた。



――――なぜか?



 真剣な眼差しで、海の覚悟と決意を聞かされて、心が熱くなった。

 情けない自分が許せないと怒りすら抱いた。

「だけど俺じゃ駄目なんだよ! 紫苑ちゃんを笑わせれるのは兄さんだけなんだ! この世界で兄さん一人だけなんだ!」

 拳を強く握り締める。

「だから走ってくれよ! 追いかけて掴まえて、紫苑ちゃんを幸せにしてやってくれよ!」

「ありがとう、海……」

 一言、最高の弟へとすれ違い様に礼を言う。

 後は部屋を飛び出し、夏の夜の大気へと飛び出した。



 海が俺のライバルとして、立ち塞がってきた理由。それは――――――俺を奮い立たせるためだ!








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