第二十七章 もどかしい関係
《綾崎紫苑》
「海殿……」
振り返った先には、海殿が微笑んでいた。
こうして見ると、陸と海殿の容貌は双子のせいかとても似ている。けれども纏う空気が……雰囲気が違う。
同じ顔をしているのに、違う人なのだ。
それでも陸を思わせる微笑に胸が高鳴り、陸本人の笑顔と錯覚する。
けれど、胸を貫くのは痛みだ。
一体、最後に陸の笑顔を見たのはいつのことだろう?
焦って、陸を怖がらせていた私は、陸の笑顔を曇らせてばかりだったのではないのか。
高まる恋慕を押し付けて、ただ陸を困らせていたのではないのか。
私は陸に迷惑な女子だと思われているのではないだろうか……
込み上げてくるものを堪えきれない。
溢れてくるものを零してしまう。
「紫苑ちゃん……」
目尻から溢れて零れた悲しみの残滓――――海殿の指先が拭うように私の目尻をなぞり、涙をすくい取ってくれる。
「ううっ、ひっく……か、かたじけないでござりゅ……」
優しくされれば、されるほど。
陸に似た顔で優しくされればされるほど。切なくて悲しくて、どんどん私は泣けてくる。
「紫苑ちゃん、今は泣くべきときじゃないよ」
悲しみの底なし沼に沈みこんでいた私は、海殿のその言葉に俯いていた顔を上げる。
「紫苑ちゃんの今までのやり方が全部間違っていたとは俺には思えない」
ゆっくりと。
噛んで含めるように海殿は静かな口調で続ける。
「でも、陸の声は聞いていた? 想いをぶつけるだけじゃ進展しないんじゃないかな」
「陸の声…………」
それはとても不思議な抑揚で私の胸に問いかけるように響いた。
まるで何か、とても重要な核心にようやく手を触れたときのような。
目の前を覆っていた霧が晴れたときのような。
世界が広がり、透明感を増したような気がした。
「陸は奥手だからついつい迫っていく気持ちはわかるけど……想いをただぶつけるだけじゃなくて、相手のことを気遣って陸の声を聞いてみたらどうかな」
「私に陸の声を聞くことができるだろうか…………」
自信も余裕も喪失していた私は、ついそんな弱音が突いて出る。
口にして後悔。
眉の形を困難に寄せて、顔を伏せる。
「できるよ」
海殿の強い断言に、私は縋るように海殿へと視線を向けた。
強い……でも優しい。
陸によく似た眼差しが私を見ていた。
「紫苑ちゃんならできるよ」
ひょうひょうとした表情で海殿は笑う。
「俺の知っている綾崎紫苑って女の子は、それができる子だよ」
胸が熱くなった。
両手の拳をぎゅっと握り締める。
私は……こんなところでメソメソするためだけにアメリカから帰国してきたのか?
否!
断じて否ッ!
泣くなんて、みっともない。強い者は、決して泣きはしない!
そして諦めないはずだ。
お爺様に逆らい、運命に抗い、私は未来掴み取るために陸に逢いにきたんじゃないか!
掌で乱暴に両方の瞳を擦ると、寄りかかっていた壁から体を離して、ちゃんと立ち上がる。
「ありがとう、海殿。おかげで勇気百倍、常勝無敗、天下無双だ。しいて言うなら顔を取り替えたアンパンマンの如し」
「はは、惚れ直した?」
「ふふ……陸の次にならな」
海殿の冗談めかした問いに、私もいつもの調子を取り戻してにやりと笑いかける。
「…………頑張れそう?」
「無論ッ!」
海殿の問いかけに答えるように背を向け、陸の部屋へと向き直る。
今の決意の気持ちが消えないうちに、扉のバリケードをどけて、陸の部屋に入っていく。
「頑張れよ……紫苑ちゃん」
海殿の応援を背中で受け止めながら……
電灯が消え、闇夜に染まった部屋は当然ながら暗かった。
それでも月明かりに照らされたベッドは、仄かに明るい。
陸はベッドにいた。
連日の襲撃で泥のように陸は眠っている。
耳を澄ませば、規則正しく安らかな陸の寝息が聞こえてくる。
夜から深夜へと変わる時間は、部屋を静寂に満たしていた。
窓へ視線を走らせると、風に運ばれた夏の匂いが鼻孔をくすぐる。
切り取られたような空間。
そんな穏やかな静寂が部屋にはあった。
陸のベッドへと近づくと、陸の顔を見つめる。……とてもかっこよかった。
少し躊躇すると、マナー知らずとは百も承知だが、陸の寝床に邪魔させてもらう。
陸の顔のアップと体温。
そして陸が私のすぐ隣にいるという認識が、心臓を一際大きく跳ね上がらせる。
動悸を激しくさせる。頬が熱くなるのがわかった。
そこで駄目押しのように、陸の無意識の癖が出た。
つまり……その……私は抱き締められることになった。
承知の事実とはいえ、この一瞬は頭が真っ白になり、まともに思考ができなくなる。
私はあたふたした。
そして、暫くしてようやく落ち着くと、勝手な行動の罪悪感のためか、視線を逸らしながら、けれどしっかりと陸の頭の後ろに両手を回す。
陸が起きないのを確認すると、大胆にも自らの身体を陸の体へと密着するように抱きつく。
いつもなら…………いつもの私なら、抑えきれない笑みが顔に広がるはずなのに……今は……
私は泣きたくなるような幸せと、乾いた笑いを出したくなるような虚無感に囚われた。
(もう……嫌だ)
唇を強く噛みしめる。
このやるせない想いを振り払うように、陸に強く抱きついた。
「無意識の抱擁では……もう嫌だ、ッ」
初めは無意識でも私を抱きしめてくれれば、それだけで満足できた。
でも今は違う。
意識している陸に私を――――綾崎紫苑という女を抱きしめてもらえなければ、意味がないんだッ!
「わかっ……て、いるの……か?」
涙腺が決壊。
涙で滲む視界。内心の激しい想いを吐露する。
「私はお主が、好きなのだぞ……っ!」
世界中の誰よりも私は陸が好きだ。
それは愛と呼べる感情で、陸と逢った時からずっと私の中にあった想いだ。
誰にも譲る気はないし、誰にも負ける気はない。
私は陸が好きだ。
大好きだ。
でも、陸はどうなのだろう?
「教えてくれ…………陸は私のことが好きなのか?」




