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第十六章 情欲と陰謀に満ちた日常










                              《天堂陸》







『……いや。あいつは私の……その……………………《婚約者》だ』

 その言葉が耳にまだ残っている。

 紫苑はアレックス君のことを毛嫌いしているみたいだったけど――――それでも二人は婚約を交わす仲だ。

 俺はこのままでいいのだろうか?

 頭の中がぐるぐるする。

 俺はどうすればいいんだろう?

 答えは簡単だ。

 紫苑と離れるべきだ……頭では冷静に答えに行きつく。

 なのにそう考えると心が痛い。

 頭と心は正反対のことを言っていて、俺を悩ませる。

 どちらの答えが正しいんだろう。

 どっちが本当の俺の答えなんだろう。

 人は頭で考えるのか? それとも心で感じるのか? そして決断を下すのは頭なのか心なのか?

 わからない。

 ただ頭の言うことを聞くと…………胸が痛んだ。

 暗い自室。海から帰ってきて、夕食を食べて、風呂に入った。

 疲れていたせいか、いつもより早い就寝。

 今夜、紫苑は用意された客間で寝ている。

 だから、今、暗い自室でただ独りいる。

 紫苑が帰国してから、ずっと俺の周囲は騒がしかった。

 穏やかな日常はあっという間に遠のき、激変した日常が騒がしく俺を包む。

「まったく……」

 溜息を吐く。

 俺は穏やかな日常をなによりも愛している。

 こういう劇的な展開は正直なところ苦手だ。

 なのに――――

「なんで俺は笑っているんだろう……」

 気がつけば、口の端には微笑みを刻んでいる。

 苦手だったはずの騒がしい日々……それを楽しく思ってしまう。

 ふと寂しいなと思った。

 隣に紫苑がいないだけで……なんだか隙間風が吹くように寒い。

 クーラーの効きすぎなのかな……クーラーの設定温度を《おやすみ全自動》に合わせる。

 呼べば……紫苑はきっとすぐに来てくれる。

 でも頭が呼んじゃいけないと、強く囁いていた。

 それにそもそも部屋のドアにはカギをかけている。

 呼んでもカギを開かなければ、紫苑は入ることなどできない。

 そう……カギを開かなきゃ……

「寝よう……」

 湧き上がる寂寥感を抑え、布団の中に潜りこんで、手元の枕を抱き寄せて目を閉じた。

 漂うような感覚がさざなみのように繰り返され、その優しい感覚に身を委ねる。

 半覚醒状態。

 クーラーによる適度な部屋の気温に、布団の心地良さ。

 さらに言えば部屋のドアにしっかりとかけたことによる安堵感。

(最高だな……)

 心に感じる思いを肯定しながら、手元にある枕を抱き締める。

 俺には妙な癖があって、寝ている時何かを抱き締めていないと落ち着いて眠れない。

 だからベッドには頭に敷くのとはもう一つ別の抱き締め専用の枕がある。

 手探りで枕を自分の方に引き寄せ……その瞬間感じる違和感。

(?)

 感じた違和感が、右手を衝き動かす。

 さらに枕を引き寄せ、両手で枕の表面を……なぞって――――いく。

(なん……だ?)

 頭がだんだんはっきりとしていく。

 それについて、手に残る柔らかな感触に不透明な疑念が浮かぶ。

 明らかに枕とは違う手触りだ。

 軽く驚くほど柔らかい膨らみが二つほどある。それらは手のひらの動きによって形を変える。柔らかいが弾力あり、ほのかに心地良い温かさを掌に伝えてくるそれは……


 ピタリと動かしていた手を止める。


 酷く嫌な予感がし、破壊的な悪寒が全身を駆け巡る。

(そんな……ッ!? カ、カギをかけていたのに!? いつの間に!?)

 一生瞑っていたい目を開けると、やはりというか、なんというか……!

 まるでマンガのお約束のように、獰猛なピンクを纏った――――

「ぎゃああああああああああああす!?」


――――紫苑がいた!


「うわああああああああああ!?」

 悲鳴を上げてベッドから転げ落ちる。

「ふ、こんばんは陸。《情欲》と《陰謀》渦巻く……いいぃ、夜だなっ」

 処女を目の前にした吸血鬼の表情で紫苑は俺に笑いかけてくる。

 Yシャツの下は下着だけという……昨日同様のあられもない格好!

 それなのに今はYシャツのボタンは全て外されていて、まともに直に、ストレートに白い下着が俺の視界に入る!

 十代後半の男には、あの下着のレースの飾りとかは、視覚的にきつすぎる映像だ!

「なんちゅう格好してるんだよッ!」

 顔を真っ赤にした俺は、慌てて紫苑の下着を隠すためにYシャツに手を伸ばすと、その瞬間!

「だ、駄目だ陸ぅ、いきなりそんな所♪」

 やけに色っぽい紫苑のため息にも似た呟きに、床へとずっこける。

「な、なんでやねん!」

「ふふふ。ウイやつめ」

「な、何言っている!? つーか、そもそも何でここにいるんだよーーーッ!?」

 質問と言うより、既にパターン化してしまった日常に絶叫する。

「ん? いや、なに。夜中に便所に行ったら、寝ぼけてたんでまちがえてこの部屋にきてしまったようだ。いや~失敗、失敗。テヘ☆でござる」

 紫苑は邪気を微塵も見せない笑顔でニッコリする……いや、しやがるッ。

(か、確信犯だ! こいつは計画的犯罪者だ! 微笑む悪魔! 嘲る天使だ!)

 唐突に思い浮かぶ疑問。

「し、紫苑……この部屋にカギをかけていたと思うんだが……?」

 俺の問いかけに、紫苑はむっつりとした表情で両眼を閉じて胸の前で腕組み。

 それや、やめてください胸の谷間が……!?

 俺は首の角度を九十℃右へと反らし、正面にいる紫苑から視線を外す。

「フッ。乙女ザムライの恋路を邪魔するやつは切って、やすって、Go To Hell!……でござる」

「なっ!?

 とんでもない紫苑の告白に慌てて正面に向き直る。

 紫苑は酷薄そうな表情で胸の谷間からこれでもかーってくらいやすられたカギの部品を取り出し、俺の膝の上に投げてくる。


 ガラーン……(ごめん、僕……守れなかったよ)


 カギの部品は膝の上に跳ね返り、自室の床の上に音を立てぐったりと床に横たわる。

 鋭い戦慄が、電流のように背中を山嵐のように駆け抜けた。

「ほ……本当に間違えたのかよ!? これだけ冷酷にカギをやすっておいて……! お前は寝ぼけてたって言うのかよ!?」

 立ち上がり絶叫する。

 カギの……いや俺を守ってくれた戦友の代わりと言わんばかりに、喉も枯れよと絶叫する。

「うむ」

「マジですかああぁぁッ!?」

 しれっと頷く紫苑に絶望の叫びを上げる。

 ななな、なな、な、なんちゅーやっちゃ!? し、信じられへんわっ!


(↑混乱の余り関西弁


 な、なんでそんな堂々と嘘つけるの。え、マジなの? 俺が間違ってるの!?

「何にせよ……今宵の陸は積極的だな」

「え!? ど、どういうことだ?」

 見えない恐怖の手が、心臓をザワリザワリとと撫でる。

 嫌な汗が滝のように額と背中を流れ、その感触が焦燥を急き立てる。

「いや……昨日はせいぜい私の胸に顔を押し付けるくらいだったが……まさか私の胸を

もみしだくとはな!」


『もみしだくとはな! もみもみももももももももももも――もみもみもみもみしだく! もみしだくとはなッ!』


 ニコニコ動画のMAD画像のように俺には聞こえた。

 紫苑の放つ弾劾の声は、戦艦ヤマトの充填率120%の波動砲のように、俺の心臓を特殊効果満載の惑星規模的破壊力で貫いた。

「いや~紫苑ちゃんビックリでドッキドッキだ~!」

「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

 三味線にされる、断末魔の猫の悲鳴を上げる俺。

 手に残るほのかな感触に、思わず自分の掌を見る。

 思いあたることが……あった。ありすぎた!

 け、けど、言い訳する気じゃないけれどさあぁぁぁぁぁー!

 追い詰められた犯人の形相で叫ぶ。

「罠だッ! これは罠だあぁぁッ! お、おかしいじゃないか! 俺は部屋にカギをかけて一人で寝ていたのにッ! それなのに目が覚めるとカギをやすって殺し、俺の習性を利用してベッドに忍びこむだなんて! この状的証拠が罠だという証拠ッ! 証拠ォッ!」

 必死で命乞い。絶叫を放つ。今まさに新世界の神ピンチ!

「だが、胸をもみしだいたのは事実だ」

 冷然と思い通りという笑顔を浮かべる紫苑。

「ぐっ!?」

 言葉に詰まる俺。

 ま、負けるな! まだ逆転のチャンスはあるはずだ!

 打ち負けそうになる心を雄雄しく奮い立たせる。

「だいたいでござるがな……」

 睨み付ける俺に、紫苑は大袈裟にため息をついて俺の下半身の一部を……指差す?

「そんな股間状態で言い訳しても、問答無用だ」

「へ……?」

 視線を股間に落とす……

「きゃああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 自分の股間を見て、乙女的叫びを漏らす。

「ち、違う! これは朝立ち、男の生理現象なんだ! 不可抗力! 情状酌量の余地を求めるぞ俺は!」

「よくわからぬが……今はまだ夜だ」

「!?」

 必死の弁解を砕くと、「ニヤリ」と獰猛な笑顔を見せる!?


「そのある意味雄々しい首を――――貰う!」←織田信長が桶狭間で今川義元を討ち取る寸前に浮かべた笑み。


 ああ、今川義元さん!

 俺は今、貴方の気持ちがよくわかる!! 戒名、天沢寺殿四品前札部侍郎秀峰哲公大居士天澤寺秀峯哲公どの! 悔しいス! マジ悔しいス! 勝てる寸前まで来てたのに! あと一歩ですわ天下統一だのに!

「ち、ちが!? 大いなる勘違い! 絶対無敵大間違いですよ!?」

 首を獲られてなるものかー!

「聞く耳持たぬわ!」

「ですよねーーー!?」


「ごさるぅううううううう!!」

「と、飛んだッ!?」

 一際大きい奇声を放ち、紫苑がベッドのスプリングを利用して舞い上がる。天井に届きそうなくらいの高さだ。飛び跳ねる様はムササビ! 襲いかかるは虎の如し! 生きながら獲物を喰らうは飢えたジャッカル! 

 紫苑が俺に襲い掛かってくる!

「ヌハハハハハハハハハハハハ! 紫苑ちゃんのラヴの餌食となれ!」

 紫苑は世紀末覇者のような哄笑を放ちながら、手早く俺を組み伏せる。早い、手慣れすぎてる、ありえねぇ!?

 すぐさまマウントポジションをゲットする巧妙さは一流のグラップラーもかくやと言わんばかり! 

(ひぃぃい!? た、食べられちゃうよぉッ!)

 その手馴れている一連の動きに、俺の涙腺は洪水状態だ!

「アアアッ!? だめ、駄目だあぁぁ! まだ俺には、け、経済力がッ! 自分はおろか、相手を養う経済力がない! そんな男が女性と安易にこ、こんなぁあ…ああぁぁぁぁぁぁぁぁッ!? か、堪忍、堪忍や~!? パジャマを返してくれーーッ!」

 必死で抵抗するが、組み敷いてきた紫苑の膂力は凄まじく、まるで鬼。鬼は貴様の服をよこせと衣類をドンドン剥ぎ取っていく!

「ふーっ、ふーっ、むふーっ、むっふふふッ! ええい、観念せい! 男らしくな!」

 猪のように荒い紫苑の鼻息が、頬を叩く。ど、獰猛すぎる!

 ほ、本気で怖いんですけどォ!? この子、ほんとに乙女ですか!?

「た、助けて! 助けて母さぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーんッッ!」

 人間恐怖に駈られると、成人男性の三人に一人は母親の名前を呼ぶと言う。

 この時の俺もその例通りだった。

「空音ちゃん行っきまーす!」

 と、俺の声を聞き届けたかのように、母さんが部屋に入ってきた。

「か、母さん!」

 感激の声を上げる俺。

 地獄に仏、天の助け、寝所でもつれあうタイミングで母親参入…………あれ?

 そこで……またしても気がつくある事実。

 着乱れている衣服。抵抗したため、お互いに荒らげている俺と紫苑の呼吸。


 あげくマウントポジション……ッ!?


「まあ……………………初孫作りね?」

 なぜか頬を赤く染めて母さん。

「ぐはっ!?」

 なにこのまずいシチュエーション!

 オナニーの最中に母親に入られたよりも一段上の羞恥が存在しただなんて!!

「ええ! 小癪にも抵抗しておりますが、あと一歩です!」

 ビシリと親指を立てて母さんに答える紫苑。

 凄まじい単語が飛びあう日常に、俺は意識を手放しそうになった。

 そう……頼むからこの変な日常が夢であってくれという切実な願いを込めながら……

「なんでやねぇええええええん!?」

 絶叫めいた突っ込みが、今日も響く。

 あぁ、穏やかな日常よ。どこですか。俺はここにいますよ?







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