第十二章 《海でドッキリ急接近♪》 策略編
《天堂陸》
デパートで紫苑の水着や何やらを買い込んで、渋滞に巻き込まれる事なく数時間。
そろそろ海に近づきつつあった。
風の匂いが変わったのは、いつからだろうか?
助手席の窓から入り込む爽快感を含んだ透明な風の匂いを感じ、そんなことをふと考えてみる。
俺たちが乗っているのは日産のエルグランドの七人乗りで、ファントムブラックが堂々とした存在感と風格を感じさせるミニバンだ。
なかなかに立派な車なんだが……車内は母さんが取ってきたぬいぐるみで埋まっている。
犬、猫、オコジョ。ゴマアザラシ、イルカ、ライオン、コアラ、親子カンガルー。となりの大トトロ、中トトロ、小トトロ。ウルトラマン、ドラえもん……などなど。
それこそすれ違う車が目を見張るくらいの数だ。
あ……またすれ違った車に乗っていた人に指さして笑われ……た……。
羞恥心はもうとうの昔に品切れだ。
今じゃもう、車の中で一人で待たされたりしてもへっちゃらですヨ。
や……マジでへっちゃらですから……ううぅっ。(恥)
瞳から零れ落ちてきたトラウマを誰にも見つからないように拭う。
このぬいぐるみ達は母さん曰く――――
『ラヴで~世界を~救うの~♪』
――――らしい。
意味なんて分かんないし、その時のウットリとした何処を見ているのか判断のつかない母さんの瞳も意味不明だ。不明不明! 全然分からない!
もうラザフォードの散乱公式や正準運動方程式くらい分からない!
きっと俺には想像も及ばない深遠な意味があるのだろう。そう思う。そう思わせてくれ!
(でも……ぬいぐるみ買うお金でユニセフやらに募金したほうがいいと思うんだがな)
それはそう思うだけで、母さんには指摘しないでおく。
指摘して絶叫されながら、泣き出されても怖いからな……。
母さんは普段見られない真面目な表情でピッと背筋を伸ばし、車の運転をしている。
どことなく微笑を刻んでしまう光景だが、
「も~、前の車邪魔ね~体当たりして崖に突き落しちゃおうかしら~♪ ねえ、どう思う陸ちゃん?」
五分に一回の頻度で黒い台詞を吐くから堪らない。
「ダメだと思います! お願いですからそんな残虐行動しないで、安全運転して下さい。後生ですから。流れ星に祈ってます」
シートベルトを、長年離れて暮らしていた恋人のようにしっかりと抱き締めて懇願する。
「ふふふ~もう陸ちゃんたらヤダなぁ……冗談よ~」
「ならいいんデスけど……」
安堵のため息を――――
「でも~…これがワゴンじゃなくて~、トラックなら……殺ってたかも~♪」
――――凍りつかせる!
「………………嘘だよね(滝汗)」
「うふふふふふふ」
「…………」
忘れましょう。忘れましょ。
嫌な事はぜーんぶ、青い空が吸い込んでくれるさ! ……………きっと。
それよりも……チラリと尾行する探偵のようにさりげなくフロントミラーを見上げる。
最後尾席は紫苑と海が座っていて、何やらぼそぼそと声音を下げて話をしている。
(……)
何だろう? 気になるな……。
べ、別に紫苑が海と仲良くしてるから気になるとか、そう言うんじゃないぞ!
これは……その……何だ……そう! 純然たる好奇心が青年の主張をだな……
(……誰に言いわけしてるんだよ、俺は?)
わきあがってきたツンデレ感情を脇に置いておく。
けれど、気になるのは事実なので、耳をすませてみることにする。
「だからぁ、この露出度の高い白のビキニで陸の理性をクラァとさせてだな」
「うむ、うむ」
(ちょ、ちょっと待ってくれ。いきなり何の話をしているんだ?)
耳を澄ませた瞬間、飛び込んで来たいきなりの内容にギョッとしてしまい、思わず後ろを振り向きそうになる。
「デパートで買ったこのサンオイルを、恥じらいながら……恥じらいながらだぞ? 塗って~と頼むんだ! あんまり露骨に媚びすぎてもダメだよ、紫苑ちゃん。露骨に媚びられるとだいたいのヤツは冷めちゃうから。特に陸は真面目だからな、それが顕著なんだよ」
「うむ、うむ! しかと心得た」
(心得るなよ!? 頼むからッ!)
「うまくサンオイルを塗らせたら、さり気なく陸の股間に注目だ! ここで、●×ていたら勝負はもらったね! 陸は紫苑ちゃんにぞっこんだね!」
「な、なるほど……(ゴクリ)」
あ、あまりの内容に泣きそうになる。
「しかし、ここで陸の股間が●×ていない。もしくはあまり反応を示さなかったら……」
「示さなかったら!? ど、どうするのだ、海殿!?」
焦りを含んだ紫苑の声。
頼む。何に頼むかどうか分からないけど、とにかく頼む。ホント頼む!
「ふ・ふ・ふ。この平成のラヴ救世主海に任せなッ!」
(誰だよ!?)
振り向きそうになるのを堪え、心の中で海の胸倉を掴んで恫喝する。
「作戦名その名も――《海でドッキリ急接近♪》!」
「う……《海でドッキリ急接近♪》!?」
も、もはや言葉もでねぇ。心の中で地面に膝をつく。
「そう。これはね……一緒に泳ごうって陸を誘ってだね」
「うむ、うむ! で?」
「そこでだね、波の動きに転じて、陸の身体にあくまで波のせいと言うことにして……」
「して!?」
「紫苑ちゃんのナイスな胸をだな~………………密着させるのだ!」
何か……俺目の前暗くなってるんですけど……何で? お迎え? お迎えですか?
いや、分かってさ。分かってるとも。
ただ逃避したくなる時ってあるよね? たとえば今とか。そう今とか。
「密着……!」
紫苑の上擦った声が遠くで聞こえます。
「サンオイルの段階で陸の理性は破綻寸前! その状態に密着攻撃!」
「お、おおお……高等テクニック……ッ!」
(か、勘弁してくれ)
力なく頭をたれる。
何で今朝、俺は海なんていう選択したんだろうか?
少なくとも背後で話すような展開になるとわかっていれば、山にしたものを……
いやいや、それならば水族館やら、色々あったというのに、どうしてよりによってこんな危険地帯に?
「そうだ! その後、わざと……」
何かを思いついた紫苑の声だが、さらに声を潜められて、聞こえない。
(な、何なんだ?)
「バ、バッチリだよ、紫苑ちゃん!」
感極まったという海の声に、さらに疑問と好奇心を強く感じる。
「そんで、この日の夜に、陸の部屋に訪ねたら~」
「む、訪ねたら?」
(とりあえず鍵をかけておこう。それも、強力な南京錠だ。指紋と網膜認証機能もつけよう)
そう決意する俺。
「陸のハートはゲットだぜ!」
「陸のハートをゲッチュー……!!」
「そう、ゲッチューだ」
(俺はポケモンじゃない!!)
くそ、二人の思い通りになるもんか! 絶対に捕まらないぞ!
俺は出現確率が低いんだ!
今夜は必死の抵抗を決意する。
そう――――男とは抵抗することとみつけたり!
「それは……いいな」
怪しい二人の笑い声。
それがホラーの亡霊の哄笑のように鼓膜にへばりついてくる。思わず耳を塞ぐ。
「ふ~ふふふふ」
「ふ~ふふふふ」
体と心が震える。
原始の感情――――恐怖に囚われた体が悲鳴を上げてるかのように震える。
それは決して、車内のクーラーのせいではない。
海が……近づいてきた。
欲望、策略、そして恐怖を孕み、青い海原が俺を迎えてくれる。
紫苑と海の話を聞いて、良かったのか悪かったのか……おそらく後者だろう……。