第十一章 朝のラヴ★チャンス到来
《綾崎紫苑》
「む……う……うう……朝か?」
鳥殿のさえずりを耳に目覚めた私は、おそらく三国一の幸せ者だ。
思わず右手の親指を立てたくなる。いや、むしろ立てる。
と!
瞳を開けると目の前には陸のアップがあった!
「!?」
私は驚く。
ちなみに陸のアップに驚いているわけではない。いや、それはそれで驚いているのだが、それ以上に驚くべき事実があるのだ。
なんといつの間にか、私がっ、陸にッ、抱き締められていたからだ!
思わぬ幸福的展開に私の頬は弛みそうになる。いや、弛む。
今ほどクラッカーを鳴らしたいと思ったことはない。今日はハンバーグを食べよう。
「据え膳食わぬは漢の恥でござるな」
このありがたい展開に感謝すべく両手を合わせる。
こちらからも遠慮なく抱き締めさせて貰うことにしよう。
ギュウと抱き締め、顔を陸の胸辺りにグリグリと押し付ける。
「グリ~ン、グリ~ン♪」
陸の身体は私よりも一回りほど大きくて、私の身体はすっぽりと陸の腕の中に収まってしまう。
鼻孔に陸の匂いを感じる。
私はハイエナのように鼻を膨らませた。
(ああぁぁぁぁぁッ、た、たまらん……ッ!)
私はマタタビを手にした猫殿と化した。
恍惚とした溜息を吐き出す。これだけでご飯三杯はいけそうだ。
人間誰しもその人自身の匂いを纏っているものだと思う。
陸の匂いは何と表現したらいいのだろうか……?
ハンバーグの匂いでもないし、猫殿や犬殿の匂いでもない。
ただ一つ言えること。
それは私が一番安心できで、心地良い匂いということだ。
私専用の麻薬のようなものだ。ふふ……胸キュンだな。
(さあーて……)
陸の顔をまじまじと見つめる。整った鼻筋に、ひき締まった口元は……
「いかん、よだれが……じゅるり」
口からこぼれ落ちるよだれを右の甲で拭き取る。
「ん……? んん……」
慌てて身じろいだせいか、陸が目を覚ます気配を見せる。
「いかん! まだ夢の中で、どんぶらこしていろ!」
陸の頭に手刀をビシリと落とす。
「う!? 痛ッ……ああ? 朝か……?」
だがどうも逆効果だったらしく、非常に遺憾なのだが……陸は目を覚ましてしまった。
「…………へ?」
陸は自分の腕にいる私を見て思考を止める。
数十秒間、私と陸は至近距離で見詰め合うことになる。
「……」
「……!」
(ラヴ★チャンス到来ッ!)
明晰な私の頭脳は答えを導き出す!
さすが私だ! 愛しいものとの機会を確実にものにする、それこそが恋する乙女の必須条件!
これぞ紫苑ちゃん七つの大技の一つ《乙女ラヴチャンス奪取》!
恋する乙女は、機会に敏感なのだ!
機会到来、即奪うように行動! 先手を打つ。それこそが乙女の恋の成就に繋がるのでござる。
陸の唇を奪うべく、顔を前に……前に、前にッ、前にィッ!
「どわくぁあああああああぁぁアアアあっ!?」
陸は奇怪な叫び声を上げて慌てて飛びのき、私の唇の射程から逃れるッ。
おのれ、後一歩のところで……。
「な、なななななん……なんで!?」
陸は震える指先を彷徨わせ、私を指差す。
「いや、陸が抱き締めてきたのだぞ」
「あ……。ああああっ!?」
私の主張に何か気が付いたのか、陸は大声を上げる。
「すまん! 俺、寝てると無意識に側にあるもの抱き締めてしまうんだよ。ほ、ホントにゴメン、悪かった!」
陸は両手を合わせて平謝りに謝ってくる。
(これは良いことを聞いた。……今度から利用させてもらおう)
心の親指をビシッと立てて、会心の笑みを唇の端に刻む。
(さて、ここでさらに陸に貸しを作っておくか……)
まあ、恋する乙女はいつでもしたたか。駆け引きが巧みでないと、な♪
「ふ~ん……抱き締めてしまうか……」
口調にさり気なく悪意と毒を込めて、陸を半眼でチラリと見やる。
ちなみに演技だ。
「え、え、え?」
私の様子に、陸は言いようのない不安を覚えたのか、激しく動揺の言葉をもらす。
いい感じだ、むふ。
「…………」
黙して陸を半眼で見つめ続ける。
こういう時は、下手に罪を暴き立てたずせずに、ジッと待つのが得策というものだ。
「お、俺何かしたのか……?」
私の沈黙の視線プラス自分自身の言いようのない不安に耐えかねず、陸が尋ねてくる。
(フフフ……もはや紫苑ちゃんワールドの虜だな)
内心でほくそ笑むと、仰々しくため息をついてみる。
「……覚えてないのか?」
陸に鋭い一瞥を投げかける。
「な、何……が?」
陸は緊張した面で、私を見る。
瞳は不安に揺れに揺れまくっているという具合だ。
やれやれというのをたっぷりと込めた溜め息をつき、一気に淡々と嘘の説明を陸にしてやる。
「お前は未来の妻を愛するという証明のように私をきつく抱擁し、さらにその後、陸は、自分の顔を躊躇なく私の87センチの胸に、グリグリと発情期の野獣のように押し付けて蹂躙し、あげく私の匂いを嗅ぎ、よだれをたらす始末だ」
陸は嘘の説明に顔を真っ青にする。
眼は恐ろしいものを見たかのように見開き、麻薬患者の薬切れのように歯をカチカチと打ち鳴らす。
(むう……そこまで真に受けられると罪悪感が……)
そもそも陸は私を抱き締めていただけだ。
しかも、それから後のことは私がやっていたことをさも陸がやったことにように捏造した……というのが実情だ。罪悪感を抱かないわけでもないが、まぁ政治家も国民ないがしろにしたい放題であるし、構うまい!
「お、おおお、おおお俺がそんなことをッ!?」
陸は戦慄に身を震わせる。
あぁ……っ。だがしかし! ……フフフ、この戦……もらったな!
「すみません! すみません! ごめんなさい! う、生まれてきてごめんなさい!」
「まあ……反省しているようだしぃ……」
必死の形相で土下座を繰り返す陸へと鷹揚に頷いてやり、そのくせ要求する。
「その代わり……私をどこかに連れて行ってもらおう!」
巧みにデートの約束へとこぎつける。
ふぅ、たまに自分の頭脳の冴えに戦慄を感じるでござる。
「………………………う、海で……どう?」
暫し黙考していた陸がおそるおそるという感じで尋ねてくる。
(海か…………)
天井に視線を彷徨わせ、シミュレーションを開始する。
海 → 水着 → 露出度少ない → 紫苑ちゃんの色気 → 陸クラクラ
=ラヴ★チ~ャンス♪(☆ω☆)b
「よし海だ! 海で万歳! 海はサムライ! 一芝居打った甲斐があるというものよ! 作戦成功でござる!」
瞳を輝かせ、右拳を天に届けとばかりに振り上げる。
そしてグッと右の親指を立てる。
「ちょ、ちょっと待て……一芝居と作戦成功っていうのは……どういうことだ?」
「う……」
背中に嫌な感じの汗を浮かべる。
調子に乗って内心の考えを暴露してしまったようだ。
「それになんか、俺の胸元がよだれのようなもので濡れてるし、なんか胸のあたりがすりつかれたように赤くなってるんだが……何か俺……また騙されてないか?」
陸は半眼で呟く。
ぬ、ぬぅ! ここは押しの一手で行くしかあるまい。
「いや、気のせいだ。使用後のつまようじくらいどうでもいいことだ」
「それは確かにどうでもいいけどさ……」
釈然とせずに首を捻る陸。
そんな陸の内心の疑念を払うように、大声で叩きつける。
「ならば海に行くのだ! 絶ぇぇ~っ対ぃに海に行くのだ! 必ず海に行くのだ! 何が何でも海に行くのだ! チャンスなのだ! ラヴなのだ!」
陸の胸倉を掴み、鬼気迫る表情で陸に詰め寄る。
「何が何だか良く分からんのだが……」
「ええい! とにかく海に行くことに決定多数だ! 記憶にございませんだ! その案件は担当のものに一任しているので私には関係がございませんだ!」
駄目押しの一言を放った瞬間、ガチャリと、音をたてて海殿が部屋に入って来た。
「俺のこと呼んだと思って、来たんだけど……」
そこでいつの間にか陸を押し倒している私を見て、陸の顔を見ると、表情を変えずに海殿が尋ねてきた。
「もしかして……取り込み中?」
「うむ。その通りだ」
とりあえず、海殿には肯定の返事をしておく。
と、陸は自分の今の体勢に気が付いたらしく、慌てて弁解しだす。
「ち、違うッ!? 違うぞ海! これは、これは罠だ! 策略だ! そもそもおかしいじゃないか! そういうみだらな行為を朝にやるわけがない! 紫苑が俺をハメようとしているんだー! 言うならば、これはテロだ! というか海と連呼して第三者を呼んだのがその証拠ッ!」
某死殺ノートの真犯人の形相で、陸は叫び、海殿は首を傾げる。
「俺、誤解した?」
「いや、全然誤解していないぞ」
今度は私が海殿の質問にきっぱりと冷静に否定しておく。
「紫苑!? 何をい……フムゥ!? フグフグ、ンムゥ!?」
「海殿の見たもの……それが全て真実だ。某人気探偵ものアニメのコ●ンも言っているだろう? 『真実はいつも一つだ!』とな」
暴れる陸を組み敷き、口を押えてしゃべらさない。えぇいしゃべらすものか。
「ん、そうだな。つまり陸は紫苑ちゃんと朝の《ラヴラヴ色気っけ》ってことだな」
「んん!? んんんーッ、んんんッ!」
「その通りだ、海殿。なかなかのご賢察。紫苑ちゃんむふふのふだ。これで事件は解決!……花丸をあげよう」
「んんぐッ! ちがっ……ふんぐううんん!?」
やれやれ、陸が何と言っているのか、全く分からないな……フッ。
まったくやれやれでござる。
「んじゃ、もうすぐ朝飯だから。まあ……ごゆっくり~♪」
手をヒラヒラと振りながら、海殿は退室する。
海殿が退室して暫くしてから陸を自由にしてやる。
「ご、誤解だ……お、俺は……ラヴ……ラヴしてない……それに色気っけて何だよ?」
何やら虚ろな表情で呟く陸は置いておいて、カーテンを開け、差し込む朝日に目を細める。
「ふ、いい朝だな……」
「な、なんでやねん……!?」
陸は絶望を表情にはりつかせ、つっこみを放つとがっくりと力尽きたように布団へと倒れこむ。
それは糸の切れたマリオネットを彷彿とさせた。
まあ何はともあれ、海行き決定でござる♪
なっはははははははは!