第十章 乙女ザムライ★ラヴ駆け引き!
天堂家 陸の部屋
《天堂陸》
切迫感に襲われながらも、何気無さを装いながらクーラーのタイマーのセットをする俺こと天堂陸は危機に瀕していた。
どのような危機かというと、母さんの提案で紫苑が俺の部屋で一緒に寝ることになってしまったというものだ。
しかも紫苑はパジャマを持っていないというので、下着の上に俺のYシャツを着ているだけという色っぽい格好。
健全な高校生ならば、小躍りしそうな状況だ。
けれど、女性とのこういった状況に慣れていない俺にとっては、負担のかかる切迫感に悩まされるだけだ。
(………………いや、それは嘘かな)
少しして否定する。
俺だって男だ。やはりこういった状況に嬉しさを感じることは否めない事実だ。
それも――――もう会えないと思っていた初恋の相手で、大がつくほどの金持ちのお嬢様。
そのお嬢様は、顔良し、スタイル良し、家柄良し。
性格は……………………多少変わっているが良し。
そんなお嬢様とこんなにも近くにいるのだから、俺はかなり幸せ者なのかもしれない。
(なんだか二人っきりの雰囲気に酔ってしまいそうだ……)
そう思う。
紫苑の下着――――空港で買った勝負下着――コードネイム・ハートラヴ(紫苑命名)の上はYシャツだけという色っぽすぎる格好。この二人っきりだという状況。そして、このなんともいえない雰囲気。
興奮で身体がふわふわして落ち着かない。
ところが、その時、
「海ぃぃいを~♪ こぅえぇぇたぁぁぁ、サムライがぁぁぁ~♪ 宿敵ぃぃ~と出会って、ござる・ござる・ござるぅ~♪」
床に布団を敷きながら紫苑が歌い出したのだから、色々な意味で堪らない。
この二人っきりのドキドキした状況を、甘い雰囲気を、何と言うか……一瞬で壊滅的な状態にした。
デンプシーロールを全段直撃した後の腰砕けのボクサーとでも言った方が判りやすいかもしれない。もう正直、立てる気がしない。
いやこの場合、マタタビに引き寄せられて捕まり、保健所に強制収容させられたネコの気分の方が正しいと言えるだろう。正直、希望を抱くことができない。
とにかく、俺は思った。
顔に縦線を引きながら思った。
公衆トイレに入って用を足した後、紙がない事に気が付いたような表情で思った。
(色気が無いっ!!!)
あげく!
「ぐさっ! バシュッ! ドバドバ、グシャア! ……フフフ、拙者の刀は血に飢えているでござる~♪」
(殺伐しすぎて、ロマンスも無いっ!)
そうだよな……ッ。
紫苑があらゆる意味で普通と違うなんて判りきった事だったよな!? なに期待していたんだろう、俺……orz
「……紫苑、寝る準備できたか?」
ため息混じりに、少し虚ろな視線を紫苑に向ける。
すると紫苑は俺と違い、打って変って明るい口調で返事をする。
「うむ! 準備万端! 一〇年は寝られそうだぞ」
「……それは単純に寝すぎだろ」
軽くつっこむと、部屋の電気を消す。
途端に暗闇と静寂がひっそりと輪郭をもって部屋に訪れた。外の夜の気配が、部屋の中にすっと忍び寄ってきたかのようだった。
しばしの沈黙が部屋に横たわる。
緩慢な睡眠の欲求が、クーラーが送り出す風のように密やかに押し寄せてくる……今日は色々あってなんだか疲れたな……
「陸……」
「……ん?」
ある意味油断していた事もあった。
そんな台詞が、もう紫苑の口から出ることが無いと決めつけていたせいもあった。
だから次の台詞を聞いた時、俺は焦った。
「二人っきりだな」
「~~ッッ!?」
いきなり心臓の体温が融点を超え、沸点に送り込まれた気分だった。
「な、な、な、なななな何、いいい言ってるんだよ!?」
声は悲しいくらいに動揺していた。
と、暗闇の中……紫苑が布団から体を起こして、俺の方に顔を向ける。
暗闇と言っても、外からの月明かりがあるので、完全な闇と言うわけではない。
だから、紫苑の表情がうっすらと見えていた。
月明かりの下で、紫苑は真剣な表情で俺を見ていた。
それを認識した俺は……!
顔が火照り、喉の渇きを感じる。唾を飲み込むゴクリという音がひどく大きく聞こえたような気がした。聴覚が異常なくらいに鋭くなっている。
「今夜は………………寝かさぬぞ…………」
ゆらりと立ち上がった紫苑が、俺の寝ているベッドへとゆっくりと近づいて――くるッ!
彼氏に迫られる女の子の気持ちが、今、非常に良く判ったような気がした。
(何と言うか……おいしいけど、怖いな!? うんッ!)
などと思っている間に、紫苑は目の前にいた。
(あ……っ)
と言う間もなく。
グワッシィィッ!
そんな効果音が聞こえてきそうな勢いで、紫苑に両肩を捕まれる。あ、あのちょっと痛いんです、けど……
瞳に凄みを潜ませた紫苑は、漢字四文字で言うならズバリ、天下無双。
生死を悟りきった瞳で宣告された気がした。
『ぬしはもう……終わりじゃ。観念せい』
(本気スかああああああああぁぁぁッ!?)
そんな、幻覚アンド幻聴を見聞きしている中、気が付けば紫苑は俺と鼻の先が触れ合うような距離にまで接近していた! い、いけないこのままじゃ色々な何かがぶつかってしまうッ!
「今宵は楽しもうぞ…ふ~ふふ」
「ななな、何を楽しむんだよぉーーっ!?」
もはや凄みどころか、狂気まで潜ませた紫苑の瞳に、俺は半泣きどころか全泣きして叫ぶ。内心の思いは『頼むから堪忍や』という具合だ。これ一応、R15ですよ!?
と、そこで紫苑は俺の叫びにピッタリと動きを止めると、ちょこんと首を傾げる。
「本当だ……何を楽しむのだろう?」
そのコメントに俺の脳は一瞬動きを止め、その次に脳から送られた指令を実行する。
「なんでやねん! 分からんのかーッ!?」
お、おおお、お前それは反則やろ。こここっここ、ここまで引っ張っておいて、さ、さささすがのワイもそれは許されへんわー(何とも言えない感情のあまり関西弁)
紫苑に全力でつっこみを入れる。
「む……では陸には分かるのか?」
「ッ!?」
ニコニコと満面の笑みの紫苑の質問に動きを止めてしまう。
や、野郎……そうきやがりましたかッ。
ぬかった。これは紫苑の策略!
さながら紫苑ちゃん七つの大技の一つ《乙女ラヴ駆け引き》に違いない!
わざと無邪気にふるまうことにより、相手の本音の感情を引き出そうとする巧みな人心掌握だ!
紫苑、なんて恐ろしい子。どうでもいいけど、紫苑の名前は呪怨に似てるな。
いやいやそれどころじゃない。
そりゃ俺だって清浄無垢の赤ちゃんとじゃないんだから、分からないわけじゃないけれども、だからって!
(い、言えるわけがないだろーっ!)
心の中で絶叫する。
こうなったら紫苑を丸め込むしかない! じゃないと俺の立場がヤバイ!
捕食者にいつでも食べられる草食動物だと思うなよ!?(涙)
「と、当然分かるに決まっているじゃないか」
「ほほう。では何なのだ?」
「それは、その……なんだ……(もう手詰まり)」
早いッ! 早いよ、俺。三秒とすら持たなかったよ。
目まぐるしく頭脳を回転させる。ちょうど、テスト五分前の最後の足掻きの如く。
あまり適当なことを言うわけにはいかなかった。もしあまりにも軟弱な回答をしようものならば、ピンクに狂った獣が襲いかかってくることは間違いがない!
確信があるね!
だって彼女、ピンクの吐息をコフゥーコホゥーとダークスペイダーのように吐いていらっしゃるんですもの!
少し考え方が人よりずれているが、紫苑は無能というわけじゃない。
むしろピンクに狂えば、これほど恐ろしい野獣はいない。
手負いのトラより獰猛だ。
ここは本当半分嘘半分でいくしかない。そう、最も巧みな嘘というのは真実が半分入った嘘なのだと何かの本で読んだ気がする。
「一緒に寝る……とか?」
「ふむ……なるほど。よかろう! では……いざッ!」
紫苑が。とんでもなくいい匂いが、柔らかい肢体が布団の中に滑りこんでくる。
(何言ってんだ俺はーーーッ!?)
心の中でまたしても絶叫する。
なにか俺はわざわざ自分から両手を上げてアホのように叫びながら、崖っぷちに向かって全力疾走している気がする。
先は落ちるしかないとわかっているのに!
そんな俺の心情を置き去りに、紫苑という超絶的な女の子的存在が、俺の横に数センチ先に確かにいる。
(う、うわああああぁぁぁぁぁぁッ!?)
背中を向ける。
壁にへばりつく。俺はトカゲイモリスパイダーマン! 可能であるならば、壁の先へと逃げたい。へたれと呼んでくれていいさ! ああ呼ぶがいいさ!
神様に祈りたくなってきた。
俺だって男だ。初恋の相手がこんな近くに寄ってきたら、何も感じないわけがない。
だけど、いつも最後にぶつかる壁がある。
それはやっぱり紫苑を取り巻く状況だ。差別しているわけじゃない。
どちらかと言うと強大な遠慮だ。
だってそうだろう。たとえるなら、農民の俺は今……一国のお姫様と同じベッドで寝ているもんなんだ。
く、くそ釣り合わない。身分違いにも程がある。
紫苑のことを想えば想うほど。考えれば考えるほどに紫苑と俺との距離を感じる。
痛いくらいに……
恋慕の想いはただ空回りして、紫苑に伝える前に常識や状況に潰される。
好きだってことすら口にできない。
(やっぱり一緒に寝るなんてだめだよな……)
冷静になってみてそう結論をだす。
「紫苑……やっぱりさ……」
と、そこで気が付く。
あまりにも隣が静かすぎることに。
おかしいぞこれは。紫苑ならば布団に入るや否や俺を組みしいてもおかしくないのに……
たとえるなら蜘蛛の巣にひっかかった虫のように食われてもおかしくないのに。
「し、紫……苑……さん?」
恐る恐る後ろにいるであろう紫苑を振り返る。
「スー……スー……」
納得した。
いつのまにか……紫苑は眠っていた。
なんつー寝つきの良さだ……。
「まったく……人の気も知らないでさ……」
苦笑を漏らして、つい出来心で紫苑のほっぺたをつんつん右手の人差し指で突く。
それが間違いだと言えなくもない。
混ぜるな。危険?
いや、この場合エサをあげないでくださいか。
なぜなら――――
つんつん、と柔らかい頬を突いた瞬間、俺の指は、
――――噛みつかれます、から。
そうぱくりと。
パクリと紫苑の唇に食いつかれた!?
やわらかい唇の上と下が俺の指を挟み、優しい甘噛み。暖かい口内の気配――――
(うひゃぁあああああああああああああああぁぁッ!?)
背中を海老反りにして悶絶する。
あげくの果てに紫苑の、し、ししし、舌が!!
腕を細心の注意を払いながら引き抜く! ちゅぽんとまるでタコの吸盤のような音を立てて、なんとか指を引き抜くことに、はぁはぁ、ぜぃぜぃ、せ、成功する。
「う~ん、むにゃむにゃ……紫苑ちゃんベロチューは得意だぞぅ……」
(聞いてないから!? そしてその実力はよくわかりましたからッ!)
人が混乱の極みにある中、紫苑はと言えば幸せそうな寝顔を無防備にさらしている。
その寝顔に視線がはずせない自分がいた。
紫苑の吐息に、半開きの唇に、閉じられた瞳に、魅了されずにいられない。
隣で寝る紫苑の髪を、俺の出来るかぎりで優しく撫でる。
紫苑の髪は手に心地良く、凄く感動的なくらいサラサラしていた。女性の髪に手を触れ
たのはこれが初めてのせいだろうか。
顔が熱くなり、脈拍が速くなるのを止められなかった。
この瞬間をひどく幸福に思う。
繊細な波のような幸福感に包まれ目を閉じる。
先程までの気持ちが嘘のように安らぎ、いい夢が見れるような予感がした。