灰かむりの瞳(1)
「あのー、気が付いたらここにいて。というか、ここなんですか?」
扉から、手、顔、足の順番で入ってきた赤い巻き毛の少年。
「秘密のアトリエですよ」
ルイは少年の手を取ると自分がいつも座っているソファへ連れてきて二人並んで座る。向かいのソファには風属性の大魔導士ローガンが座っているからだ。
アトリエの中に充満する甘い香りに少年は鼻をひくつかせる。
「……何の匂い?」
「あ、きっとウサギさんが焼いてくれたクッキーの匂いですね」
ルイの弾んだ声と共にちょうどクッキーが焼けたようだ。テーブルから飛び降りたウサギのぬいぐるみは両手にお気に入りのミトンを付けてオーブンを開ける。
「んー、いい匂い。ルイ、今日も美味しく焼けたよ。さすが僕だね」
ウサギのぬいぐるみは桃色の丸い両手を上にあげてその場でクルリと一回転。そんな姿を見たらあの子が黙っていない。
そう、ティースプーンだ。引き出しから自ら這い出てきたティースプーンは、ウサギのぬいぐるみに手本を見せるかのように美しく何回転もする。
「……え? ぬいぐるみに食器が動いている!?」
少年は灰がかった瞳をこれほどかと丸くし、鼻歌交じりにクッキーをお皿に移し替えるウサギのぬいぐるみを見ていた。もちろんお皿も自分で棚から出てきている。
「ルイ、飲み物はどうしようか」
ローガンの肩に噛みついていたクマのぬいぐるみはルイの膝へ移って首を傾げた。
「ホットミルクふたつ。ぬくいので」
「任せて!」
丸い茶色の手を目の上に持ってきて了解のポーズを取るとクマのぬいぐるみは棚へと向かっていく。
少年とルイの前にひとりでにやってきたマグカップに小さなハニーポット。戻ってきたクマのぬいぐるみはマグカップにミルクを注いだ。
「ハチミツは好きに入れてくださいね。あ、お任せもできますよ」
「じゃ、じゃあ、お任せで……」
「二人分お任せでお願いします、ハニーポットさん」
ルイの言葉を聞いたハニーポットがピョンピョンと飛びながら近づいてきた。開いた蓋の中から出てくるハニーディッパーはハチミツを巻き取り、上品に二人分のホットミルクの上に移動するとハチミツを垂らしていく。ハニーディッパーがポットの中に戻るとティースプーンが現れやさしくかき混ぜた。
「す、すごい……! まるで生きているみたい! ここは夢みたいな不思議なアトリエだ」
「ふふ、はい」
笑顔を咲かせた少年に、ルイも春に芽吹く若葉を思わせる淡い萌黄色の瞳を細めて笑った。
「今日のクッキーはね、ルイの好きなストロベリージャムとアプリコットジャムのクッキーだよ」
ウサギのぬいぐるみが持ってきた皿の上にはたくさんのロシアケーキ。中央に絞られた赤とオレンジのジャムが可愛らしい。
「いいよ。たくさん食べてね」
ウサギのぬいぐるみはクッキーを少年の前の皿にいそいそと移した。自分たちの仕事が終わったと見るや、ぬいぐるみたちは定位置であるテーブル上の小さな木製チェアに座る。
「本当に俺にはないんだな」
鼻を鳴らしつつ膝の上で頬杖をついたローガン。テーブル上には彼の前を避けるように並べられていたのだ。
「お前にやるものはない」
「ルイを連れていく誘拐犯め」
「魔法の特訓だって何回説明すりゃいいんだよ」
ローガンは肩をすくめため息を零す。
ホットミルクは飲むもクッキーには手を付けない少年。
「……もしかして、苦手でした?」
「あ、アプリコットジャムはちょっと苦手です。いや、でも、ストロベリージャムは大好き! でも……」
言い淀んだ少年はクッキーに落としていた視線をルイへと向け口を開いた。
「あの、ストロベリージャムのクッキーはどれですか?」
「えっと、ストロベリージャムのクッキーはこれとこれで、苦手なアプリコットジャムのクッキーがこれで……」
戸惑っているルイを見かねて少年の傍らに膝をついたリュカが丁寧に指さしで伝えていく。
「こちらがストロベリージャムのクッキーです。苦手とのことなのでアプリコットジャムのクッキーは除かせていただきますね」
「は、はい。ありがとうございます」
甘い微笑みを少年に向けたリュカは、少年の皿にあったアプリコットジャムのクッキー三つを手のひらに置いたナプキンに移すと立ち上がった。そのままソファの後ろを回りローガンの背後に立つとナプキンを手渡す。
「気が利くね、光の精霊さんは」
「感謝なら客人に述べてください」
「……ありがとうな、客人」
少年は複雑な笑顔を浮かべて頷いた。
「気にしないで。こいつにはこれくらいでちょうどいいんだ」
「そうそう。もらえただけありがたいことなんだから」
「お前らなぁ……」
眉を八の字に下げ苦笑いを浮かべたローガンを見て笑ったルイ。
おやつタイムが終わりほどなくして少年は語り始めた。
「……僕の世界には色がありません。僕の瞳は“灰かむり”なんです」
『灰かむりの瞳』
瞳は灰がかかったように濁っており、見える世界までもが灰色の原因不明の難病だ。生まれつきの病気のため幼少期から苦労を強いられ、その特徴的な容姿からいじめられることも少なくない。
長生きできないとも言われているがその実、色のない世界での喪失感や差別、いじめなどにより自ら命を絶ってしまう者が多いからである。
「みんな意地悪を言うんです。この中から赤と青の風船を当ててみろ、とか。で実際はその色の風船なんてないんです。僕をからかって楽しんで、期待した反応がなければつまんないと払いのけられて……」
膝の上で握られる拳。ルイはその震える拳の上に小さな手のひらを乗せた。
「いいな。色のある世界、憧れちゃうなぁ、なんて。……こんな瞳で生まれなければ僕はもっと……」
「あなたのお名前は?」
「ラ、ライラ」
頷いてソファから立ち上がったルイはショーケースの中から何かを取り出す。それは丸眼鏡と手紙だった。
「この手紙にライラくんのお名前が書いてあります」
ルイから手紙を受け取ったライラはやや黄ばんだ手紙をゆっくりと開いていく。
『愛しい孫 ライラへ。
どうか君の世界が色づきますように。
ウォルター』
短い手紙。だけど、ライラには充分であった。灰がかった瞳から零れ落ちる大粒の涙。
「ウォルターおじいちゃんっ……、僕のためにありがとっ」
「ひと時の夢をどうか楽しんで。‘Olu Makana」
ルイは小さな声で魔法を唱え、眼鏡をライラに渡す。受け取ったライラは大きく深呼吸をして眼鏡をかけた。強く瞑っていた目をおそるおそる開いていく。
「……あ、これが、本当のせかい……なんて奇麗なんだろうね」
ライラは涙を零しながら人生で一番の笑顔を浮かべた。
『ライラ』
「え? おじいちゃん?」
ルイの魔法によって生み出された幻影。白いひげで口元が覆われた皺の目立つ男性はライラに手を広げた。その胸に飛び込んでいくライラ。
「いってらっしゃい」
アトリエの扉を開いたルイにお礼を述べた二人は仲良く手を繋いで外の世界へ繰り出した。きっと二人にとって最後の特別な時間となることだろう。
扉が完全に閉まり静まるアトリエ。間もなく、ローガンの声が響く。
「……ところで、小僧。お前、ずっと誰と話していたんだ?」




