第六節 王宮大夜会、公爵の婚約発表
閑話「戦姫シリーズ」エピソード6 本編 ep.113
石畳の通りには雪が薄く積もり、街灯の灯りと家々の窓明かりを映して、きらめく水晶のように輝いている。市場の広場では夜更けにもかかわらず露店が並び、熱い葡萄酒の香りや香草をまぶした焼き肉の匂いが冷気に混じって漂っていた。
王宮へと向かう馬車の列が絶えなかった。飾り立てられた馬車の車輪は雪を砕き、ランプの炎が車窓に揺らめく。馬を操る御者たちは吐く息を白くしながら手綱を操り、馬たちはきらびやかな飾りを首に揺らしながら誇らしげに進む。
広場の中央では旅芸人が火の舞を披露し、群衆の歓声が冬空に弾ける。奏でられる笛と太鼓の音は、冷えた夜気にあってなお心を躍らせ、見物人は凍える手を打ち鳴らして応じた。
王都では、冬の社交シーズンの頂点ともいえる大夜会の夜が訪れていた――。
王家主催のこの催しは、貴族たちにとって一年で最も重要な舞台。夜が更けるほどに、街は貴族たちの動きで賑わいを増していた。
大夜会の会場となるのは、王宮の奥にしつらえられた離宮の晩餐会場。馬車止めにはすでに多くの馬車が停まり、次々と扉が開かれては、礼装に身を包んだ貴族たちが姿を現していた。
女性たちのドレスには宝石が散りばめられ、揺れる光が雪明かりと混じり合う。男性たちは礼装の上衣を正し、従者に外套を預けると、互いに挨拶を交わしながら離宮の入口へと歩みを進める。
離宮の大扉の先からは、すでに楽の音と笑い声がこぼれ出ていた。降り立つ馬車と人の流れは途切れることなく、王都の冬の一夜を華やかな熱気へと染め上げていく。
広間の天井から、シャンデリアの光が水のように降り注ぎ、銀糸の刺繍を煌めかせる。絹の裾が床をかすめるたび、微かなざわめきが広間に広がった。
クラリス正妃は右手に扇を持ち、ゆるやかにひと振りして微笑みを浮かべ、ヴァルディス国王の傍らで柔らかな気配を添える。リーズ側妃は軽く両手を前に重ね、静かに頷きながらも、晩餐会場を包むような落ち着いた佇まいを見せていた。
ヴァルディス国王が立つ。広間のざわめきは一瞬で消え、息を潜めた沈黙が空間を支配した。ヴァルディス国王の声は、広間の隅々まで澄んで届いた。
「今宵、我らは喜びと悲しみを共にする。北方において、王国の盾として命を尽くした者たちが散った――民を守るため、領土を護るため、若き命が消えたのである。彼らの勇気と忠義に、ここに哀悼の意を捧げる」
晩餐会場内に沈黙が落ちる。煌びやかな灯光の下、集った者たちは一様に厳粛な面持ちとなり、ヴァルディス国王の言葉に耳を傾けた。
ひと呼吸おいて、ヴァルディス国王は再び目を開き、力強く言葉を紡いだ――。
「前線は、マクシミリアン公爵家、そしてマリーニュ伯爵家によって支えられた。また、この場にいる多くの諸卿も後方にあって兵や糧を送り、王国のために尽力してくれた。我が国は一丸となり、迫り来る脅威を退けたのだ。その働きに、国王として深く感謝を述べる」
その宣言に呼応するように、広間には静かな拍手が広がり、やがて大きな波となって鳴り響いた。
――広間に響く拍手が静まり、再びヴァルディス国王の声が晩餐会場を支配した。
「だが――今宵は悲しみに沈むための場ではない。王国が結束し、難局を乗り越えたことを祝う場でもある。ここに集った諸卿と共に、王国の未来を語り、喜びを分かち合おうではないか」
その言葉に呼応するように、楽士たちが再び調べを奏で始める。重々しい空気はほどけ、華やかな旋律が広間を満たした。
「さあ、杯を掲げよ。王国の安寧と繁栄のために!」
ヴァルディス国王の宣言と共に、貴族たちは一斉に杯を掲げ、高らかな声と拍手が重なり合った。シャンデリアの灯光は宝石のごとくきらめき、冷えた冬の夜を忘れさせる熱気が晩餐会場を包み込んでいった。
大夜会の会場は、やがて和やかな談笑に包まれていった。楽士の奏でる音楽を背に、杯を傾けながら各々が思い思いに言葉を交わす。
「やはり魔の森の溢れは未曽有の事態であったな……」
「北方防衛戦で散った兵たちのことを思えば、杯も重くなる」
「ああ、しかし王国が結束して防ぎきったのは誇るべきことだ」
魔の森の異変と、それに続いた北方防衛戦の話題が、至るところで口にされていた。戦の報せは王都にも深い影を落としたが、こうして大夜会の会場で語られるうち、徐々に武勇譚や忠義の象徴として語り直されていく。
やがて話題は、自然と新たなマクシミリアン公爵家当主へと移っていった――。
「現公爵ゼルガード殿は、なかなか気さくなお方だとか」
「最近、女性とご一緒に歩いている姿を見かけたそうですよ」
「おや、それは気になる話だな」
その時――。
ヴァルディス国王が再び席を立った。先ほどと同じく、その動きだけで広間の視線が一斉に集まる。
「弟のゼルガードをマクシミリアン公爵家へ養子とし、公爵家の存続をここに定める。また、ヴァルデン辺境伯家のマティルダ令嬢を、ゼルガードの婚約者とすることを宣言する」
厳かな言葉は、広間に澄み渡る――。
驚きに目を見開く者、互いに囁き合う者、静かに頷く者――反応はさまざまだったが、その一言が今宵の最大の発表であることを、誰もが理解していた。
ヴァルディス国王の宣言が告げられると、晩餐会場に静かなざわめきが走った。
その中でゼルガード公爵はすっと席を立ち、隣に座すマティルダ辺境伯令嬢へ手を差し伸べる。彼女がその手を取ると、ゼルガード公爵は堂々たる歩みで彼女をエスコートし、ヴァルディス国王の前へと進み出た。
胸に手を当て、深く一礼する。
そして凛とした声で言葉を紡いだ。
「北方の戦で命を尽くした者たちの勇気を胸に、私はここに立つ。〈王国の盾〉として、民と領土を守ることを誓う」
そのままマティルダ辺境伯令嬢へと視線を移す。
彼女を見つめ、柔らかな声音で続けた。
「マティルダ。あなたを慈しみ、支え合いながら、王国を守護する公爵家を守り続けていくことを、ここに誓う」
言葉を受けたマティルダ辺境伯令嬢は、裾を広げて完璧なカーテシーを披露した。その仕草は気品に満ち、晩餐会場を魅了する。
「ゼルガード様。私もまた、あなたを慈しみ、支え合いながら、王国を守護する公爵家を守り続けていくことを誓います」
ふたりは並び立ち、今度は晩餐会場に向き直った。軽やかに礼を示し、声を合わせて告げる。
「――王国のため尽くす姿を、どうか見守っていてほしい」
その宣誓に、広間は拍手と歓声に包まれ、冬の夜の大饗宴は新たな祝福の熱を帯びていった。
楽士の奏でる調べが高らかに響き、舞踏の幕開けを告げた――。
ゼルガード公爵はマティルダ辺境伯令嬢の手を取り、優雅にエスコートしてダンスホールの中央へと進む。二人が中央に立つと、周囲の視線が自然と集まった。
軽く一礼を交わし合い、微笑みを浮かべて向き合う。
次の瞬間、音楽が切り替わり、ファーストダンスが始まった。
軽やかにステップを踏み、裾を翻して舞う二人の姿に、周囲から感嘆の声が洩れる。息の合った動きは流れるようで、まるで舞台の演者のようにフロアを巡った。
踊りの合間、マティルダ辺境伯令嬢が小さな声で囁いた。
「陛下の真面目さんが、今日はずいぶん長く続いていますわね」
「もうそろそろ限界だな。クラリス姉さんが動くと思うよ」
ゼルガード公爵はそう答え、マティルダ辺境伯令嬢の腰にそっと手を添える。裾がふわりと舞い上がり、二人は流れるようなターンを描いた。
リーズ側妃が、隣に座すクラリス正妃に小さく笑みを向けた。
「もうそろそろ口を閉じさせた方が、よろしくなくて?」
「そうね、真面目は店仕舞い近いわ」
「このまま回収します?」
「いいえ――久しぶりに三人で踊りません?」
「そうしましょう。楽しくなってきましたわ、お姉様」
二人は席を立ち、ゆったりとした所作で舞踏の輪へと向かっていく。
ゼルガード公爵とマティルダ辺境伯令嬢の踊りは終盤へ差しかかっていた。ターンを繰り返すたびに裾が花のように広がり、ダンスホールの熱気を引き上げていく。
「見えましたわ。リーズと二人で回収に向かったようですわ」
「曲も終わる。タイミングは申し分ないね」
互いに笑みを交わし、最後の調べに合わせて華麗なステップを踏む。流れるターンが締めに向けて重なり、やがて音楽が終わりを告げた。
二人は正面に立ち、深々と礼を取る――。
ゼルガード公爵とマティルダ辺境伯令嬢のファーストダンスが華麗な締めを迎えた。会場からは割れんばかりの喝采が湧き上がり、余韻がホールを包み込む。
拍手と歓声が落ち着き始めたころ、クラリス正妃とリーズ側妃がヴァルディス国王を確保した。ゼルガード公爵とマティルダ辺境伯令嬢は軽く目配せを交わし、微笑みで合図を送る。二組の目が一瞬だけ交わったその瞬間、会場の視線は次の舞踏へと向けられた。
準備が整ったことを確認すると、静かに次の音楽が流れ始める。今度はヴァルディス国王、クラリス正妃、リーズ側妃の三人が、ダンスホールの中央へと進み出た。
三人は音楽のリズムに合わせ、流れるように足を踏み出す。クラリス正妃の落ち着いた気品、リーズ側妃の華やかな軽やかさ、ヴァルディス国王の堂々とした導きが一つに絡まり、まるで芸術作品のように調和の取れた舞踏となった。
その舞踏の美しさに、会場の貴族たちから再び喝采が巻き起こる。音楽と拍手が重なり合い、冬の夜の大夜会は、祝祭の頂点へと押し上げられていった。
ゼルガード公爵とマティルダ辺境伯令嬢は席に戻ると、給仕に軽めの食事をいくつか頼んだ。ダンスホールは、陛下たちの舞踏で熱気を帯び、歓声が鳴り止む気配はなかった。
ゼルガード公爵がふと息を吐き、マティルダ辺境伯令嬢を見つめる。
「これから多くの苦労をかけさせてしまうと思う」
マティルダ辺境伯令嬢は微笑み、肩の力を抜く。
「苦労というのは、やりたくないことをやるから苦痛なのです。やりたいことをやるのですから、苦痛ではありません」
ゼルガード公爵は静かに俯き、心を込めて言った。
「……心の底からマティルダのことを愛している、あの出会いの時から」
マティルダ辺境伯令嬢は少し意地悪そうに目を細めゼルガード公爵の耳に唇を寄せて、「ずいぶんチョロいですわね」とささやき、くすりと笑った。
「まぁそうなんだが」
ゼルガード公爵は肩を軽くすくめた。マティルダ辺境伯令嬢は真剣な眼差しで見返す。
「わたくしは、ボロボロになりながらも真摯に模擬戦をされる姿が好きですわ」
柔らかく微笑みを浮かべ、続けた。
「ゼルガード様となら楽しくやっていけると……わたくしも愛していますわ」
ダンスホールでは、ヴァルディス国王たちの舞踏が終わり、参加者たちが思い思いに踊りだしていた。
二人は自席で歓談を終え、静かにヴァルディス国王たちに挨拶を済ませ、会場を後にする――。
公爵邸へと続く専用回廊を歩きながら、二人は公爵領を回る算段などについて話を進めた。――夜の空気に包まれた回廊の中、互いの声だけが穏やかに響いている。




